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Column – 芳垣安洋のドラム・ノーベル賞! ♯14

  • Text:Yasuhiro Yoshigaki

【第193回】
追悼チャーリー・ワッツ〜 Vol.1

(延期となっていった)ワールド・ツアー(の再開)を予定していた、ザ・ローリング・ストーンズ。ドラマー、チャーリー・ワッツが、病気のため、ツアー不参加を発表し、ファンがやきもきしていた中、8月24日、訃報が伝わってきました。享年80歳。年齢的には仕方のないことかもしれませんが近年、次々にロック・クラシックスのUKバンドのメンバー訃報が多いですね。そんな中でも最も長寿で、最も有名なロック・バンドのオリジナル・メンバーであったチャーリーの死は、我々の世代にとって、時代の移り変わりを感ぜずにはいられない大きなニュースでした。

私は少年時代、洋楽を聴くのは大好きでしたが、特にドラムに興味を持っていたわけでもなかったので、ストーンズの曲の思い出はあっても、チャーリーのドラムに興味があったわけではありませんでした。実のところ子供の頃は、“ビートルズ派”か“ストーンズ派”かなどと選択を迫られた私は断然ビートルズに傾倒しており、映画「レット・イット・ビー」で観たメンバーのカッコ良さに惹かれていました。ストーンズは中学のとき、TV番組で観た「ギミー・シェルター(コンサート)」やその頃にヒットした「悲しみのアンジー」のときの映像でのミック・ジャガーの個性的な顔、他のメンバーの不良っぽさに一歩退いて観ていた気がします。

とはいえ、先述の「アンジー〜」「ギミー・シェルター」「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」「サティスファクション」など、初期のオリジナル・ヒット曲は自分ではレコード持ってはいなかったのに、ラジオ番組でよくかかっていたりして、かなり強烈な印象として残っています。UKロック・バンドの中では最もロックンロール、ブルースなどアメリカの音楽の影響を受け、独特なギターのリフやリズム・パターンとドラムの絡み合いが曲の性格を形作っていて、シンプルで力強い印象を聴く者に与えていたのだと思います。

初期の作品には、オリジナル以外にも多くのR&Rやアメリカ南部のルーツ・ミュージックのカヴァーが取り上げられていますね。セカンドライン的なアクセントのボ・ディドリーのブルース・ナンバーなどもやっていて、これらを原曲のニュアンス通りにマラカスなどを加えた演奏をしているのも面白いですね。この手法は手を替え品を替え、後にもいろんな曲に使われています。こうして振り返ってみると、自分がドラムを叩きだす前に無意識のうちに、チャーリーのドラムの特徴的な部分を聴いていた気がしてくるのが不思議ですね。

何しろチャーリーのドラム・パターンはシンプルなのですが、他の楽器との絡みで大きな動きを決め、ハイハットの刻みやスネアのアクセントを曲の構成に合わせてほんの少し変化させる、という作り方が多いように思います。ドラム以外でアクセントが欲しいところにタンバリンでアクセントをつけたり、盛り上げたいところにマラカスを細かく振ったりして、リズムの色合いに変化を持たせることもあります。

64〜65年の最初期のアルバムには、R&Rバンドとしての基礎を見ることができます。「I’m A King Bee」「Route 66」「Susie Q」などのブルース・ナンバーのカヴァーをストレートにやっている演奏が聴けます。そして次には、65年の『アウト・オブ・アワ・ヘッズ』から「サティスファクション」、そして66年の『アフターマス』から「黒くぬれ!」という初期のヒット曲を聴いてみてください。非常にシンプルで大胆なドラム・パターンを演奏するようになっています。何しろ音の響きが深いですね。もちろん録音の条件もあるかと思いますが、太く重いスネアの音だけでリズムが出来上がってしまっているような感がありますね。「サティスファクション」はこのスネアの4分打ちの凄みで成り立っていますよね。この頃からストーンズは、ギターのキース・リチャーズとドラムのチャーリー・ワッツの2人がバンド・サウンドの核を作っていると言ってもおかしくないような状態になっていきます。

69年の『レット・イット・ブリード』の1曲目「ギミー・シェルター」は、イントロでのギターとの軽めの絡みから始まり、本編に入ってからのゆったりとしつつもぐいぐいと押していく8ビートが、オーヴァー・ダビングされたギロとマラカスと絡んで、少しファンキーさを醸し出していますね。  チャーリーはよくインタビューで「ドラムはみんなを踊らせるためにあるんだ」と発言していますが、この時期の彼の演奏はこの言葉をよく表していると思います。また彼が、スネアのバック・ビートを叩くときにハイハットの音を抜くという、手癖が元になった特徴的な叩き方は有名ですが、この方法はスネアのバック・ビートが強調されるという効果になることもありますが、時にはその部分が沈んだような効果を生んだりもします。「ギミー・シェルター」はそんなふうにも聴こえます。

73年の『山羊の頭のスープ』は、ゲスト・ミュージシャンやスタジオの状況が作用したのか、全体にファンキーな印象が強く出ています。特にレコードのA面に当たる1~5曲目は、チャーリーのドラムのハネ方というかスウィングした感じがとても気持ちいいです。最初に書いた、私が中学のときに大ヒットした「悲しみのアンジー」もこのアルバムに収録されていて、ハイハットとスネアの音の生々しさがたまりません。

続く『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』『ラヴ・ユー・ライヴ』とバンドはどんどんと脂がのっていた頃だと思います。多分このライヴ・アルバム『ラヴ・ユー・ライヴ』は私が大学の頃だと思います。実はこの頃ジャズばっかり聴いていたのですが、友人の下宿の部屋で聴かされて、レコードのジャケットはよく覚えています。特にこの頃のチャーリーは勢いがあって、ラストに向かっての「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」「悪魔を憐れむ歌」のバンドのドライヴ感がすごかった覚えがあります。

ライヴ盤『ユー・ガッタ・ムーヴ(ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト!)』の「悪魔を憐れむ歌」

「悪魔を憐れむ歌」のスタジオ・テイクは、68年の『ベガーズ・バンケット』でしたね。私はこのテイクは後追いで聴いたのですが、ライヴと違ってベースとピアノ、薄く入ったドラムとパーカッションで構成されている、ダンサブルな演奏です。クレジットを見ると、ベースもギターもキース・リチャーズ。ツアー・サポートもしていた、UKのトップ・セッション・プレイヤー、ニッキー・ホプキンスのピアノがご機嫌ですね。調べてみたら「悲しみのアンジー」のピアノも彼でした。

81年の『刺青の男』になると、録音も80年代っぽさが強くなり、ベースとバス・ドラムが強調されていくのですが、ハイハットとスネアは相変わらず生々しさがあっていいですね。ヒットした「スタート・ミー・アップ」とソニー・ロリンズがソロを吹いた「奴隷」は何ともカッコいいなぁ。チャーリーはまだ40歳くらい。素晴らしいグルーヴを聴かせてくれます。

私がリアルタイムで聴いたローリング・ストーンズはこのあたりまでなんですが。ひとまず今回は、ここまでのチャーリーの演奏を聴いてもらって彼を偲ぶことにしましょう。彼のジャズメンとしての顔はまた次回に。

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◎Profile
よしがきやすひろ:関西のジャズ・シーンを中心にドラマーとしての活動を始める。モダンチョキチョキズ、渋さ知らズなどのバンドに参加後上京。民族音楽/パーカッションなどなどにも精通し、幅広いプレイ・スタイルで活躍している。菊地成孔やUA、ジョン・ゾーン、ビル・ラズウェルなど数多くのアーティストと共演し、自身のバンドであるOrquesta Libre、Vincent Atmicus、Orquesta Nudge!Nudge!をはじめ、ROVOや大友良英ニュー・ジャズ・クインテットなどでも活動している。ジャンルやスタイル、国籍などを取り払い、ボーダレスに音楽を紹介するレーベル=Glamorousを主宰している。

◎Information
芳垣安洋 HP Twitter