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【芳垣安洋のドラム・ノーベル賞!第185回】70年代ハード・ロックの基礎を築いたユーライア・ヒープのドラマー、リー・カースレイク追悼

  • Text:Yasuhiro Yoshigaki

【第185回】70年代ハード・ロックの基礎を築いたユーライア・ヒープのドラマー、リー・カースレイク追悼

DISCOGRAPHY



『Look At Yourself(非対称)』 『Demons and Wizards(悪魔と魔法使い)』
Uriah Heep Uriah Heep
   
『Blizzard of Ozz』 『Diary of a Madman』
Ozzy Osbourne Ozzy Osbourne
   

今回は、いわゆるロック・クラシックスのバンドのことを書いてみようと思います。日本では、爆発的に有名にはならなかったので、若い世代には馴染みがないかもしれませんが、本国UKではレッド・ツェッペリンやディープ・パープルなどに比するほど人気があったロック・バンドに、ユーライア・ヒープというグループがありました。“ありました”というのは語弊がありますね。メンバー・チェンジを繰り返しながらも、今日まで半世紀にも渡って活動を続けている長寿バンドの1つであります。今回は、私が知っている70年代の最盛期の頃、そしてその頃を支えたドラマー、リー・カースレイクを聴いてもらおうと思います。

ユーライア・ヒープが世界のトップ・シーンに躍り出たのは、71年、3枚目のアルバム『Look At Yourself(対自核)』のヒットによるものでした。その後のロックの定番となっていく熱量の高いギターを中心としたリフ、ケルト音楽の影響もうかがえるフォーキッシュなメロディ・ライン、高度なヴォーカルのハーモニー……などなど、ハード・ロックの基本要素をすべて満たしたサウンドでした。

このように書いていますが、まだ“ハード・ロック”という言葉は定着していないこの当時、彼らはパイオニアだったということです。同じような指向性を持って作られた、レッド・ツェッペリンの3rdアルバムやディープ・パープルの『マシン・ヘッド』に先んじてリリースされているのです。シングル・ヒットしたタイトル曲「Look At Yourself」を聴くと、ディープ・パープルの大ヒット曲「ハイウェイ・スター」や「ブラック・ナイト」、「チャイルド・イン・タイム」なんかと構造が似ていることに気づくと思います。ギターの特徴的なリフの合間を縫うオルガンのロング・トーンや、だんだんと積み重なってハーモニーを作っていくスタイルなど、そっくりなことに驚くと思います。2曲目の「I Wanna Be Free」もツェッペリンを思い出してしまいますよね。でもこれは決してマネをしたのではなく、この時期のUKのシーンで同時多発的に起きたことで、むしろユーライア・ヒープの方が早かったようです。そしてこのユーライア・ヒープのスタイルの要素が出発点となってヨーロッパのハード・ロック、ヘヴィ・メタルが形成されていくのです。

このヒット作『Look At Yourself』のドラマーはイアン・クラーク。疾走感溢れるダイナミックなプレイを聴かせてくれます。ただ、何があったのかわかりませんが、イアンはレコーディングと1回のツアーのみの参加で脱退してしまい、その後を埋める形で参加したのがリー・カースレイクでした。リーを迎えて、翌72年に発表したのが『Demons and Wizards(悪魔と魔法使い)』です。

ジャケットの絵に、イエスらとの共同制作で有名になる画家、ロジャー・ディーンの作品を使ったことで話題になったこの作品は、そのイエスをはじめとするヨーロッパのプログレ・ロック・バンドのサウンドにも通じるようなメロディアスな歌のメロディを持つ曲がフィーチャーされています。ディーンはユーライア・ヒープの次作『魔の饗宴』でも引き続き起用されているので、バンド自体の指向がこの時期、その方向を向いていたのかもしれません。「Demons and Wizards」はかなりバラエティの富んだ作品で、フォーキーな「The Wizard」、アメリカン・ハード・ロックからプログレ的な要素などのテイストを持った「Traveller In Time」「Poet’s Justice」、重くハードでメタルにも通じるような曲「Rainbow Demon」などなど。このアルバムの中からは「Easy Livin’」という若干ハードでコーラスを前面に出した曲がヒットしています。

リー・カースレイクはこの後79年までバンドに在籍し、ユーライア・ヒープの全盛期を支えることになります。70年代、バンドは来日を含むワールド・ツアーを数回敢行し、当時は日本にもかなり熱狂的なファンも多くいたようですが、ツェッペリンやパープル、その他アメリカから来るハード・ロック・バンドも多く、日本では次第に埋もれてしまった感が否めません。楽曲のクオリティも高く素晴らしいコーラス力もあるのに、彼らがそうなってしまったのは、たぶんパフォーマンスの上で圧倒的なスター要素を持ったメンバーがいなかったことにあるのかもしれません。聴き比べると申し訳ないのですが、ツェッペリンのロバート・プラントやパープルのイアン・ギランのようなハイ・ノートでのシャウト、ジョン・ボーナムのような圧倒的なドラム・ソロ、リッチー・ブラックモアの速弾きなどのような、圧倒的なものはユーライア・ヒープにはないものでしたね。でもこういったものこそは、ロック・バンドのパフォーマンスの中では大きな戦力だったはず、こういったものを望むファンも多かったはずです。もう1つ、あまりにサウンド・カラーの異なる楽曲が多く、バンドの指向が多岐に渡りすぎていて、リスナーがバンドの特徴を捉えにくかったのではないかと思います。決して他のバンドのマネをしているわけではなく、むしろ先んじていたのかもしれませんが、曲ごとに似ているバンドを連想してしまうこともありました。

とはいえ、70年代にハード・ロックの基礎を形作ったバンドの代表であることは間違いありません。今聴いても新鮮さと溢れるアイディアに感心してしまうバンドです。そしてこのバンドに参加してきた多くのメンバー達が、バンド脱退後にいろんな著名バンドのメンバーとして活躍してきたことによって、ハード・ロック以降のロックの進化に貢献してきたことをもう一度感じることができるのではないかと思います。ゲイリー・ムーア、デヴィッド・ギルモア、マイケル・シェンカー、エイジア、AC/DC、オジー・オズボーンなどなど、山のようにありますよ。

リー・カースレイクもユーライア・ヒープを抜けたあとは、ブラック・サバス解散後にソロ活動を始めたオジー・オズボーンのバンドに参加しています。オジー・オズボーン・バンド名義の1、2枚目の作品『BLIZZARD OF OZZ』、『DIARY OF A MADMAN』で、彼のドラムが聴けます。

リー・カースレイクさん、本年9月に亡くなられました。今回は、彼のドラミング、そして彼のキャリアの出発点になったユーライア・ヒープの初期の作品から、ハード・ロックの原点を聴き直してみました。

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◎Profile
よしがきやすひろ:関西のジャズ・シーンを中心にドラマーとしての活動を始める。モダンチョキチョキズ、渋さ知らズなどのバンドに参加後上京。民族音楽/パーカッションなどなどにも精通し、幅広いプレイ・スタイルで活躍している。菊地成孔やUA、ジョン・ゾーン、ビル・ラズウェルなど数多くのアーティストと共演し、自身のバンドであるOrquesta Libre、Vincent Atmicus、Orquesta Nudge!Nudge!をはじめ、ROVOや大友良英ニュー・ジャズ・クインテットなどでも活動している。ジャンルやスタイル、国籍などを取り払い、ボーダレスに音楽を紹介するレーベル=Glamorousを主宰している。

◎Information
芳垣安洋 HP Twitter