NOTES

UP

【芳垣安洋のドラム・ノーベル賞!第184回】NYジャズの名サックス奏者、スティーヴ・グロスマン追悼

  • Text:Yasuhiro Yoshigaki

【第184回】NYジャズの名サックス奏者、スティーヴ・グロスマン追悼

DISCOGRAPHY



『Miles Davis At Fillmore』 『A Tribute to Jack Johnson』
Miles Davis Miles Davis
   
『Live-Evil』 『BIG FUN』
Miles Davis Miles Davis
   
『Get Up With It』 『Merry-Go-Round』
Miles Davis Elvin Jones
   
『Mr. Jones』 『Live at the Lighthouse』
Elvin Jones Elvin Jones
   
『ススト』
菊地雅章
   
『Stone Alliance』 『Con Amigos』
Stone Alliance Stone Alliance
   
『Stone Alliance-Marcio Montarroyos』
Stone Alliance

本年は、私が若い頃によく聴いていた、憧れの音楽家達の訃報があまりにも多い。年齢的にも不思議ではない方もいらっしゃるのだが、さほどな年齢でもなく、まだ元気で演奏されていた方の突然の知らせに大きなショックを受けます。先月はサックス奏者のスティーヴ・グロスマンさんが亡くなられました。我々世代のサックス吹きは大学時代に彼の影響を受けた人がほとんどだろうと思います。重厚な音色とスピード感のある独特な節回しで、先鋭的なサウンドのバンドでも、メイン・ストリームのビ・バップでも、見事に存在感を際立たせていました。10代でNYのジャズ・シーンで頭角を現した途端に、マイルス・デイヴィスのグループにウェイン・ショーターの後釜として迎えられ、その後に次々と加入した幾多のバンドで、歴史的な作品を残しています。今回はそれらを紹介しながら、スティーヴ・グロスマンと関わったドラマーたちの紹介をしていきましょう。

まずはグロスマンの名が世の中に知られるきっかけとなった、マイルス・グループの作品、『Miles Davis At Fillmore(マイルス・アット・フィルモア)』。マイルスがバンドの編成を変えてアコースティックなサウンドから、キーボード中心のエレクトリックに変革し始めた時期のライヴ盤です。

69年に録音が始まり、70年に発表された作品『Bitches Brew』の楽曲を演奏するにあたり、マイルスはそれまでのジャズ・エリアでの演奏ではなく、ロック・ファン達の前での演奏の機会を重要視して、出演する場所を変えるようになります。その最初の場が、有名なロックのライヴ盤を多く生み出したホール、“フィルモア”でした。この少し後にマイルス・グループは、ジミ・ヘンドリックスの最後のパフォーマンスとしても知られる“ワイト島ロック・フェス”に出演します。まだサックス奏者は流動的に変わっていて、このときはゲイリー・バーツでした。現在、映像がリリースされて、ワイト島ロック・フェスの方が印象強くなっていますが、ショーター以降にレギュラーとして1人に絞れなかった時期でもあったのだろうと思います。サックス以外は同じメンバー、チック・コリアとキース・ジャレットのツイン・キーボード、ジャック・ディジョネットとデイヴ・ホランドのリズム体にアイアート・モレイラの摩訶不思議なパーカッション、という布陣。何しろ、この時期のディジョネットの凄まじさは他ではなかなか聴けないので、ぜひご一聴ください。

70年、マイルスは、キーボード中心のバンドからギター中心のサウンドへと徐々にシフトを変えながら、次々にスタジオでの録音やライヴ作品の発表を行いました。実はこのシフト替えは、ジミ・ヘンドリックスに影響を受けたことが原因で、ジミが亡くなっていなかったらマイルスとのレコーディングが実現するはずだったと言われています。そして、この時期にマイルスのそばでグロスマンは凄まじい演奏を聴かせ、マイルスに刺激を与えたことは間違いありません。『A Tribute to Jack Johnson』、『Live-Evil』、『BIG FUN』、『Get Up With It』などの作品がまさにこの時期のものでした。