NOTES

【第183回】“クラプトン再起を支えた”ジェイミー・オールデイカー追悼

DISCOGRAPHY



『461 Ocean Boulevard』
Eric Clapton

今月もまた追悼記事になってしまいました。アメリカのセッション・ドラマー、ジェイミー・オールデイカーさんが亡くなりました。がんとの闘病が長かったそうですが、まだ68歳……ちょっと早すぎますね。今の若い世代の方々にはあまりピンとこない名前かもしれませんが、70年代の中盤のエリック・クラプトンの復活を支え、クラプトンがまたトップ・アーティストに返り咲いたきっかけの楽曲を叩き、70~80年代のクラプトン・バンドに在籍していた、というある意味アメリカの音楽を代表するドラマーでありました。

“ある意味アメリカの音楽を代表する”と書いたのは、ジェイミーのバック・ボーンと彼が常に活動を共にしていたミュージシャン達が、“スワンプ・ロック”の人脈だからです。スワンプ・ロックというのは、カントリーやブルーグラスなどのアメリカのルーツ・ミュージックの要素に加えて、ブルース、R&Bの匂いを持つロックとでも言いましょうか。サウンドはいわゆるサザン・ロックに近いのですが、アメリカ南部だけじゃなく、オクラホマやアカンサスなどの中西部、あるいは西海岸出身のバンドやミュージシャンが多くいました。CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)なんかは、この括りに入るのではないでしょうか。カナダ出身のザ・バンドもスワンプ・バンドだとする見方もあるそうです。

エリック・クラプトンは、クリームやブラインド・フェイスなど、母国UKで参加していたバンドの解散後、アメリカを中心に活動をするようになります。ブルー・アイド・ソウルのスターであるデラニー&ボニーのツアーに参加したことで、彼らの周りのスワンプ系のアーティストや、サザン・ロックを代表するオールマン・ブラザーズ・バンドのデュアン・オールマン達と共演する機会を得ました。アメリカのブルース・ロックの影響を受け、新しい世界に目を向けたくなったのでしょう。

デラニー&ボニーのバンドのメンバーをスカウトして作られたのが、「いとしのレイラ」で有名な「デレク&ザ・ドミノス」です。ただ、大ヒットを飛ばしたのにもかかわらず、デュアン・オールマンの正式参加を巡って、メンバー達との確執からバンドは解散。クラプトンは、デュアンやジミ・ヘンドリックスの相次ぐ死のショックも重なり精神を病み、ドラッグに溺れ、音楽活動から遠ざかってしまいます。

4年後、デレク&ザ・ドミノスのプロデューサーであったトム・ダウドとクラプトンは、復活をかけてアルバムを制作します。メンバーはデレク&ドミノスのベーシスト、カール・レイドルが集めることになり、そこに推薦されたドラマーがジェイミー・オールデイカーでした。

こうして作られたのが、クラプトンの初の全米1位となるアルバム『461 Ocean Boulevard(461オーシャン・ブールバード)』で、アルバムの中の「I Shot the Sheriff」という曲もクラプトンの楽曲で唯一全米No.1のシングル・ヒットに輝くことになります。このヒットによってそれまでのクラプトンの薬物依存による悪い噂がいっぺんに払拭され、健在ぶりが裏づけられたこと、その後の大きな成功への道が保障されたことは言うまでもありません。

この「I Shot the Sheriff」という曲は、当時はまだ本国以外にはほとんど知られていなかった、ジャマイカのボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズが、73年に発表した曲のカヴァーで、レコーディング・メンバーのギタリスト、ジョージ・テリーの提案だったそうです。彼はこの後もクラプトンのために曲を提供したり、ABBA(アバ)やビージーズなどのサポート・ミュージシャンとして活動したプレイヤーです。ブルースなどのカヴァーを中心に考えていたクラプトンは、初めはこの提案を躊躇したそうですが、受け入れ、結果として大ヒットが生まれました。

クラプトンのヒットがきっかけとなって、あっという間にボブ・マーリーの名前が世界中で知られることとなり、“レゲエ・ブーム”が起きるのです。音楽の伝播力/影響力の凄まじさは、現代ほどジャンルの細分化がされていない70年代の方が大きかったのかもしれません。

アルバム全体としては、このレゲエ曲、渋いブルース・ナンバー、明るいルーツ・ミュージックなどがバランス良く並んでいて、当時のクラプトンの精神的な余裕と音楽への希望が感じられる名作だと思います。クラプトン自身の歌は若干弱い感じがしますが、ミュージカル「ジーザズ・クライスト・スーパースター」の舞台や映画によって有名になった直後のイヴォンヌ・エリマンと、後にマーセラ・デトロイトと改名しスターになるマーシ・レヴィの女性2人をバック・コーラスに迎えることによって、歌のパートのインパクトをうまく作り出しました。特に「I Shot the Sheriff」の歌の導入部にはコーラスの効果が顕著に顕れていて、メッセージ性の強い歌詞、力強いメロディを持つこの曲がアメリカでヒットしたのもうなづけます。そして、クラプトンはこの後しばらくこのレコーディング・メンバーをレギュラーにしライブなども行うようになりました。

当時はまだマイナーだったレゲエのリズムも、ジェイミーだからこそうまく8ビートに翻訳して、ロック的に表現していますね。いわゆるバック・ビートの位置にバス・ドラムが入る“ドロップ”と呼ばれるドラムの奏法を用いず、ギターやオルガンなどによってウラ打ちのリズムを強調をせずに演奏していますが、ハイハットによる8分音符のウラのアクセントが効いています。ダウン・ビートに当たる1拍目の4分音符にバス・ドラム、2・4拍のドロップにはスネアという配置で基本のリズムを構成し、シングル・ヘッドと思われるタムによる3拍フレーズのフィルインを多用しています。このジェイミーの叩くスタイルは、その後のポップスにおけるレゲエ・スタイルのドラミングに大きな影響を残していると思います。リニア・リズム(重複箇所のない叩き方)というやつですね。彼は、少年時代にはジーン・クルーパーやバディ・リッチに憧れたという話もあるので、ジャズ的な概念も持ったドラマーで、レゲエ以外のリズムの中にも同様に、パターンの中にいろんなアクセントを入れたり、リズムを刻む中でも比較的細かい手数を入れることが多いですね。スタスタと躊躇なく進んでいく推進力が気持ちいグルーブを生むタイプでもあります。

今回はジェイミー・オールデイカーさんの追悼として「I Shot the Sheriff」をお聴きください。

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※これ以前のコラムは、誌面版のリズム&ドラム・マガジンにてご確認ください。

◎Profile
よしがきやすひろ:関西のジャズ・シーンを中心にドラマーとしての活動を始める。モダンチョキチョキズ、渋さ知らズなどのバンドに参加後上京。民族音楽/パーカッションなどなどにも精通し、幅広いプレイ・スタイルで活躍している。菊地成孔やUA、ジョン・ゾーン、ビル・ラズウェルなど数多くのアーティストと共演し、自身のバンドであるOrquesta Libre、Vincent Atmicus、Orquesta Nudge!Nudge!をはじめ、ROVOや大友良英ニュー・ジャズ・クインテットなどでも活動している。ジャンルやスタイル、国籍などを取り払い、ボーダレスに音楽を紹介するレーベル=Glamorousを主宰している。

◎Information
芳垣安洋 HP Twitter