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    ビル・ブルーフォード|孤高の天才が16年ぶりのインタビューで語ったドラムへの想い【Archive Interview ②】

    キング・クリムゾン、イエス、アースワークス──。数々のバンドで独創的なアプローチを繰り広げてきたビル・ブルーフォード。彼は2009年に演奏活動からの引退を表明。その後は大学で音楽学を研究し、“なぜ音楽をやるのか”というテーマに向き合っていた。2024年に彼が来日した際に実現したロング・インタビューでは、活動休止中の研究や自身の創作哲学、ジャズ愛などを語り、その後、実際に演奏活動も再開。本日5月17日に76歳の誕生日を迎えた、巨匠の思考と歩みをあらためて振り返る。

    やらなきゃならないことがあまりに多すぎて
    私はある種の燃え尽き症候群に陥り
    何か他のことがやりたくなったんだ

    ●ドラム・マガジンでのインタビューは、表紙を飾った2008年7月号以来となります。
    ビル: なるほど。ちょうど私が演奏活動から引退する前後の頃だね。

    ●あらためて演奏活動から引退を表明された、主な理由を教えていただけますか?
    ビル: 活動を維持するのが困難になったんだ。ジャズで世界を周るための予算は限られているから、曲を書いたり、ミュージシャンを集めたり、飛行機のチケットを取ったり……といったことをすべて、1人でやらなければならない。やらなきゃならないことがあまりに多すぎて、私はある種の燃え尽き症候群に陥ってしまって、何か他のことがやりたくなった。心の中の自分が、「何か違うことをやれ」と言っていたんだ。少しの間か、長い間になるかは別にしてね。実際、2009年に引退を発表してから12〜3年の間、私はドラムに触らなかった。ただ、ここ2〜3年は練習を再開して、結構楽しんでいたけれどね。とにかくそれまでやっていたことをいったん止めて、別のことをやろうと思った。それで、大学に通うことにしたんだ。

    ●博士論文を書くために
    ビル: そう、音楽学のね。音楽学と言っても、ほとんどはミュージシャンについての心理学に近いもので、“いかに音楽をやるか”ということよりも、“なぜ音楽をやるか”ということに興味があった。いろいろな練習で身につけたテクニックを、実際の音楽の場でどう応用するかという問題はかなり複雑で、そこに興味を惹かれたわけだ。

    ●でも、あなたはすでにキング・クリムゾンやブルーフォード、アースワークスなどのバンドでの実践を通じて、しかも他のドラマーとは違ったやり方でそういった問題に長年取り組んでいたわけですよね?
    ビル: それはそうなんだけれどね。私はメインストリームのポピュラー音楽でそれを実践するつもりはなかった。イエスやキング・クリムゾンは人気を獲得できたけれど、たとえ人気が出なかったとしても、自分達のやっていたことを続けるつもりだったんだ。

    ●2008年のインタビューでは、「ドラミングが次の段階に入った」という話も出ていたので、新しいプロジェクトに期待していたのですが、あのときにはどんな方向に向かおうとしていたのでしょうか?
    ビル: ジャズだよ。私は本質的にはジャズ・プレイヤーだからね。ロックの世界でもいろいろなことをやったけれど、聴いて育ったのはジャズで、歳を重ねるにつれて自分のルーツに回帰していたんだ。1980年代にパトリック・モラーツと来日したときも、2004年くらいにミケル・ボルストラップと来日したときも、音楽の大部分はインプロヴィゼーションだったしね。

    ●確かにイエスやABWHといったメジャーな活動の合間には、アースワークスのようなバンドも、ラルフ・タウナーやエディ・ゴメスとの『If Summer Had Its Ghosts』のようなプロジェクトも、方向性としてはジャズでしたね。かなり以前のインタビューで、あなたは「私にとってキング・クリムゾンはジャズ・バンドで、イエスはビーチ・ボーイズみたいなものだ」ともおっしゃっていましたが……。
    ビル: (笑)。単純に表現するために誇張していたかもしれないけれどね……イエスでは音楽のことでしょっちゅう議論していて、みんなそれぞれに考えが違うから、音楽創りの作業が進むのも遅かった。でも、ジャズは話が早くて、キング・クリムゾンでも議論することはあまりなかった。ロバート(フリップ)が曲の大まかな枠組みを示して、「このアイディアを基に、この範囲でやってみよう。ただし、これこれのようなことはやらずにね」と言う。ごくシンプルなんだ。

    ●そんなやり取りが行われていたんですね。それはどの時期のキング・クリムゾンも同様だったのでしょうか?
    ビル: だいたいはそうだったね。バンドの方向性のデモンストレーションとして、ロバートがまず、「Discipline」や「Fracture」、「Larks’ Tongues in Aspic, Part One」みたいな曲を1、2曲プロデュースして、そのアイディアを基にみんなで作業を続けるんだ。なかなか良い方法だったね。

    活動休止中に行った研究や自身のスタイルを
    語ったロング・インタビューの全文

    インタビューを行った後に、演奏活動を再開し、2025年には来日公演も行ったビル・ブルーフォード。ドラムへの思いを激らせていた重鎮の言葉を、誕生日の節目にぜひ触れてみてください。バックナンバー読み放題では、その他にも時代ごとの彼のインタビューや機材記事を多数公開中。月額990円で全記事読み放題(いつでも解約可能)です。