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    マイケル・ジャクソンを巡るドラマーたち|伝記映画『Michael/マイケル』公開記念

    • Text:Yuichi Yamamoto(RCC Drum School)
    • Photo: Dave Hogan/Getty Images

    2009年6月25日に急逝した“キング・オブ・ポップ”、マイケル・ジャクソン。その影響力は今なお衰えることなく、6月12日には伝記映画『Michael/マイケル』が日本公開される。マイケルのレガシーをドラマー視点で振り返るべく、ここでは2010年4月号掲載の「マイケル・ジャクソンを巡るドラマーたち」を再録。さらに新規記事も加えながら、ツアーやレコーディングでマイケルを支えた名ドラマーたちを通して、彼が残した音楽に流れるグルーヴの”本質”に迫る。

    ジョナサン・モフェット

    Photo courtesy of Jonathan Moffett Media

    マイケルが絶大な信頼を寄せていた
    最高にして最強のライヴ・ドラマー

    マイケルの最後の活動として残された『THIS IS IT』の映像によって、ジョナサン・モフェットの存在は世界中の人々に、より広く知られたであろう。そのジョナサンとマイケルとの接点は、1979年に行われたジャクソンズのオーディションから始まる。そこで数曲を演奏し、最後に求められた“「シェイク・ユア・ボディ」のビートを演奏できるか?”というリクエストに見事に応えて選ばれ、2日後のリハーサルでマイケルと顔を合わせて以来、2人の長い関係が始まったという。

    その後もジョナサンは、ジャクソンズ名義の“Victory Tour(1984)”、マイケルのソロ“HIstory World Tour(1996~97)”や数々のステージに参加した。彼の魅力は、原曲の持つエッセンスを忠実に再現しながらも、ライヴではそれをさらに増幅させていく熱いエネルギーと圧倒的なパフォーマンスにある。マイケルが最後のステージと考えていた『THIS IS IT』のドラマーにジョナサンを選んだのも、「最高にして最強のライヴ・ドラマー」への絶対的な信頼があったからではないだろうか?

    プレイ分析:「Shake Your Body」


    ▲ジョナサンがジャクソンズのオーディションを受ける以前に、自ら研究してマスターしていたのがこの曲のビート。譜面は“Drumeo”での実演からの抜粋だ(Ex-1)。原曲では3回のダビングによって構成されたパターンを彼は1人で再現し、オーディションの場でメンバーを驚かせたという。ハイハットの細やかなオープン&クローズ、そして3拍目最後のタムから4拍目のスネアへと続く左手のフレーズは、たった一度だけでも難しい。それを約8分半に渡り、一切の乱れなく叩き続ける姿は圧巻だ。

    ジェームス・ギャドソン

    ジャクソン5 時代からマイケルを支えた
    伝説のグルーヴ・マスター

    マイケルがソロ活動を本格化する前、ジャクソン5時代のマイケルを支えたドラマーの1人がジェームス・ギャドソン。ファンクやR&Bを中心に多くの名曲に携わってきたグルーヴ・マスターである。1960年代中頃から頭角をあらわしてきた彼は、モータウンのプロデューサー、ハル・デイヴィスに認められて数々のレコーディングに参加。そのハルがジャクソン5のプロデュースをしていたことが、彼らを結びつけたのであろう。

    ここで紹介する「ダンシング・マシーン」の他にも、彼が叩いたマイケルの楽曲はまだあると思われる。しかし、本人に尋ねると「よく覚えていない」みたいな返答だったのが面白い。他のドラマーならば、彼らとの仕事は鮮明に覚えているそうだが……ギャドソンの参加作の膨大さを物語っているエピソードである。実際、年齢もマイケルより20歳近く上であり、作品に関わった時期から考えても、”マイケルを育てたドラマー”と言えるのかもしれない。

    プレイ分析:「Dancing Machine」


    ▲“これはギャドソンが叩いた”と判明しているジャクソン5のナンバー。Ex-2はその冒頭部分だ。最初はトリッキーに聴こえるが、実際は譜面のようになっている。過去にインタビューで「イントロ・パートで僕は足でフィルをやってしまったんだ。それはミスだったんだけど、彼らはそれを気に入ってくれたんだ」と語っていたが、その”足のミス”は、1小節目の4拍目のことだろう。確かに偶発的なフレーズという感じだが、結果として、この曲のオイシイ部分になっているのは間違いない。その後に続く片手刻みの16ビートはまさにギャドソンの真骨頂。瞬時に究極の躍動感が生まれるのである。

    ジョン”JR”ロビンソン

    Photo:Takashi Hoshino

    マイケルの楽曲に最もクレジットされた
    LAのファースト・コール・ドラマー

    マイケルのソロ作品に関わったドラマーの中で、最も参加曲が多いのはジョン・ロビンソンであろう。ジョンが24歳の頃、彼が演奏していたクラブに偶然チャカ・カーンとルーファスのメンバーが現れ、その演奏を気に入ってツアーに誘ったところからメジャーなキャリアがスタート。そして、当時ルーファスのプロデュースをしていたクインシー・ジョーンズに出会い、マイケル&クインシー・コンビの名作である『オフ・ザ・ウォール』に全面参加したことが、彼の名声と地位を一気に押し上げた。

    続く『スリラー』には参加していないが、その次の『バッド』では、再びメイン・ドラマーとして参加。『オフ・ザ・ウォール』の生々しいサウンドとは対照的な、プログラミング色の濃い作品群に、ジョンの力強いグルーヴが生命力を吹き込んでいる。マイケルとの活動がキッカケで華々しいキャリアがスタートした彼は、今も、超一流のセッション・ドラマーとして活躍中。

    プレイ分析:「Rock With You」


    ▲この曲はEx-3aのフィルでスタート。その独特のタメが効いたニュアンスは、“イントロを呼ぶフィル”という感じで、次に続くイントロの雰囲気を見事に醸し出している。曲中に入ってからの基本パターンは、ヘヴィでありながら心地良いスピード感も持つ彼らしいグルーヴがご機嫌。また、サビ前の部分では、Ex-3bのようなウラ打ちでユッタリとした雰囲気を作り出すなど、彼のアプローチがこの曲にさまざまな表情を与えている。

    レオン”エンドゥグ”チャンスラー

    誰でも叩けそうなビートで
    “違い”を作る多才なドラマー

    エンドゥグは、若い頃からドラムやパーカッション、そして音楽理論などを正式に学び、10代の後半にはマイルス・デイヴィスとも共演を果たしたという経歴の持ち主。その後は、サンタナやウェザー・リポートなどでも活動していた。彼がマイケルの作品に参加するようになったのは、プロデューサーであるクインシー・ジョーンズのセッションに関わっていたのがきっかけのようである。クインシーの周りは、他にも多くのドラマーがいたと思われるが、マイケルの最大のヒット作となる『スリラー』への抜擢は、それだけ信頼されていた証と言えよう。

    ちなみに彼が同作の中で叩いた3曲は、「ビリー・ジーン」に代表されるようにすべて“ドンパン・ドンパン”というシンプルなパターンが中心。この誰にでも叩けそうなビートを、最高のレベルが求められる現場で叩いた一方、ジャズにも精通し、プロデューサー業もこなせるという多才なミュージシャンである。

    プレイ分析:「Billie Jean」


    たとえエンドゥグの名を知らなくても、彼の叩くリズムを聴いたことがある人は世界中にたくさんいる。そう、代表曲の1つ=「ビリー・ジーン」の出だしで聴けるリズム・ソロ(Ex-4)は、エンドゥグが叩いたビートであった。当時の録音ならではの空気感、そしてドラム・マシンも、また他のドラマーでも出せないエンドゥグ独特のニュアンスがあったからこそ、「ビリー・ジーン」の心地良いグルーヴが生まれ、大ヒットに結びついたと言えよう。

    ジェフ・ポーカロ

    Photo:Jyoji Ide

    “No.1 アルバム”で起用された
    “No.1セッション・ドラマー”

    言わずと知れたTOTOのドラマーであり、最高峰のセッション・ドラマーでもあったジェフ・ポーカロ。彼がプレイした作品は、マイケルの歴史においても重要とされる曲が多く、“ジェフ・ポーカロを起用する”という意味の深さを今さらながらに感じてしまう。ちなみに、TOTOの代表作である『聖なる剣』がグラミー賞を受賞したのが1982年。そして、そのTOTOのメンバーも多く参加したマイケルの『スリラー』は、翌1983年のグラミーを獲得。これは当時の全米シーン、そして世界の音楽シーンをジェフのグルーヴがリードしていたという証になるだろう。

    プレイ分析:「Beat It」


    ▲エディ・ヴァン・ヘイレンのギター・ソロでも話題となったロック色の強いヒット曲もジェフの参加作。Ex-5はドラムがスタートする部分だ。ロックと言えど、決して叩きまくるのではなく、ほとんどをこの2小節パターンで叩いていく。このリズムのポイントは、2小節目の3~4拍目で8分ウラの足が入る部分だろう。リフや歌メロの隙間で、この“チ・ドパン!”というフレーズが何度も繰り返されるうちに、たまらない快感となっていくのだ。

    リッキー・ローソン

    Photo:Hideo Matsumura

    マイケルの歴史における最重要ツアーを支えた凄腕

    リッキー・ローソンは1987年からの“BADツアー”と、1992年からの“デンジャラス・ツアー”という、マイケルの歴史においても重要なステージを支えたドラマー。公式ライヴ映像である『ライヴ・イン・ブカレスト』も彼が叩いており、マイケルのコンサートを実際の会場で、あるいは映像で観た多くの人が、リッキーの叩くステージを体験したことになる。

    そのブカレストでのライヴでは、ツアーのために特殊ペイントされたツーバスのセットを駆使し、ライヴならではの熱い演奏を繰り広げていく姿が印象的。とてつもないスケールの舞台で、マイケルからの合図や、高度な舞台演出とシンクロしていく様子は頼もしい限りだ。ライオネル・リッチー、ベイビーフェイス、スティーリー・ダンなど、他の一流アーティストのライヴでも素晴らしいプレイを聴かせるリッキー。スタジオでの実績はもちろん、ライヴを支える柱としても絶大な信頼を寄せられるドラマーと言えよう。

    プレイ分析:「Heal The World」


    ▲大観衆を熱狂させたステージも終わりに近づき、会場全体が一体化するバラード。Ex-6は、本編が終わってもう一度エンディングがスタートする部分だ。ここはあらかじめ決まっていた合図なのか?  マイケルが抱き上げた赤ちゃんの頬にキスをするタイミングでドラムのフィルが入り、全体が再び動き出す。熱演を繰り広げた後のシンプルなドラミングだからこそ感動がこみ上げ、リッキーにも大きな拍手を送りたくなるシーンである。

    マイケル・ジャクソンを巡るドラマーたち