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【Archive Interview】ジョナサン・モフェット

  • Interview:Robyn Flanes/Translation:Miki Nakayama

「君は僕のドラマーだからね」と
マイケルが言ってくれた
あれは私の人生の中で最高の瞬間の1つ

昨日6月25日はKing of Popsこと、マイケル・ジャクソンの命日。2009年に50歳という若さでこの世を去ってから、13年が経ちました。偉大すぎるアーティストを語り継ぐべく、ここでは彼のライヴ・ドラマーとして、長年に渡りサポートし続けたジョナサン・モフェットが、2010年に本誌に語ってくれた独占インタビューの一部をお届けする

マイケルのドラマーになるために生まれてきた

●マイケル・ジャクソンと一緒の時間を過こすのはどんな感じでしたか?


ジョナサン あれだけの才能の持ち主と過ごすのは本当に素晴らしいことだよ。彼から天賦の才能が溢れ出てくるのを感じたね。彼がその場にいることはたいていの人にとって落ち着かないことなんだ。だって地球上の誰とも違う人間の横にいられるんだよ。彼は正真正銘、創造主と魂でつながっていた人間だ。映画でも言っているけど、数世紀に一度、神が人間としての生きる道を示すために指導者を送ってくる。マイケルは私達の時代の指導者だと思うね。彼はその才能を持って人々を導くために生を享けたと思う。

彼の人間性や人々に対する心遣い、世界や地球、子供達に対する心遣いを見ればわかる。マイケルの人生は現実に起こった最もディズニーのおとぎ話に近いものだと思う。ウォルト・ディズニーにはマイケルの人生みたいな話を書くことなんてできなかっただろうし、ドリームワークスだって彼のような人生を夢にすら見なかっただろうと思う。

彼の人生は本当にユニークだし、本当に不世出の存在だし、人間性の冠につく宝石だった。みんなが知らないことは、彼がどれだけの犠牲を払い、どれだけの金銭や時間を人に対して費やしていたかということ。

彼は密かに何度も病院を訪問して、死に瀕した子供や障害を持つ子供と時間を過こしていた。老人ホームや傷ついた軍人などにもたくさん訪問していたけど、すべて密かに行なわれ、世間の注目を集めることを嫌ったんだ。彼が寄付した金額は膨大なもので、自分の収入から3億ドル寄付したことがあった。

さらにビクトリー・ツアーでの彼の取り分の500万ドルを全部寄付した。毎晩ステージに立って、汗まみれで歌い、踊り、クルクル回り、自分の膝を痛め、熱い照明の下でクタクタになるのに、それを無料でやっていたんだよ。どこの企業のCEOが自ら進んで外に出て、無料で膝や腰を痛めるくらい必死に仕事をするだろうか? 

マイケルは本当に特別で、誤解され、まともな扱いを受けられなかった。彼を誤解して非難した人達というのは、自分が住んでいる世界に良い人間がいないから、マイケルの純粋な人間性を信じられなかったんだよ。彼には何百万というファンがいたけど、世界中の人々は彼のそういう面を見落としていたと思う。彼は生まれてきた目的を果たし、役割を終えた。彼はやるべきことをしっかりとやったと思う。だって彼の死を悲しむ人々が世界中のあちこちに何百万といたし、敵対している国にすら悲しむ人がたくさんいたんだから。

私も今でも深い悲しみが癒えない。事実だとわかっていても、未だに理解できないし、信じられない。私の魂の一部も彼と一緒に消えてしまったよ。彼の魂と私の魂には似ているところがあったからね。彼は国宝だった。現実と向き合う努力はしているけど、ついつい泣いてしまう。今でも私の心に大きな陰を残しているんだ……。

●あなたは自身の成長期にマイケルのツアーに抜擢されたようですが、彼のコンサートでプレイするための下地はどのように作られていったのでしょうか? またその要因は何だと思いますか?


ジョナサン たぶん感情的な側面の成熟だと思う。どんな人にもそれ相当の感情の深みとか、魂の深みが与えられていると思うんだ。マイケルやスティーヴィー・ワンダー、アレサ・フランクリンなどは普通の人達よりももっと深い感情や魂を持っている。私にも深い感情と魂が与えられている気がするし、普通の人達よりも感受性が強いんだ。

子供の頃にプレイの仕方を覚えているとき、いろいろと感じることが多かった。レコードを聴いているうちに「これはエッジをシャープにしたらもっとダイナミックになる」とか、「ここの音はクリーンにして」とか、「ここの残存音はいらない」とか、もっと良くする方法に気づたんだよ。そういう感受性を長年養ってきたから、深みやシャープさを感じるし、マイケルが感じていた感覚と平行するようなエッジを感じることができた。マイケルと私の成長期は平行していたんだ。

きっと私は彼のドラマーになるために生まれてきたと思うし、ある日神が私達を結びつけた。というのも、彼と初めて一緒にプレイした瞬間から彼を感じることができたから。最初のコンサートのあと、マイケルが楽屋に私を呼んだんだ。私はとても緊張して、きっと何か重大な間違いをしでかして、クビになるんだろうと思った。そして彼の楽屋に向かう途中、その夜のプレイを全部頭の中で思い返していたんだ。

●それはいつ頃、どこでの話ですか?


ジョナサン 1979年オハイオ州クリーヴランドでのことだよ。2月21日にマイケルのオーディションに受かったし、ちょうど31歳になったときだった。あれは私にとってプロになって最初のツアーで、3日間で演奏曲、ダンス、アクセントなどのすべてを覚えて精度を高めないといけなかったね。だから初日が終わって彼の部屋に呼ばれたときは、頭の中では自分が犯した間違いばかり考えていて、彼の部屋への道のりが果てしなく感じたよ。

彼の部屋の前に着き、不安いっぱいでドアをノックした。彼はドアを開け「フット、入って」と招き入れて、「ねえ、どうして僕の次の動きがあんなにわかるの?」と訊ねてきた。私は「次の動きって?」と間き返しながら、“ああ、コンサートを台なしにしてしまったに違いない”と思ったね。

彼は「ほら、僕がスピンして止まるところ。どうしてあれをやるって思ったの?」と言った。私は「ああ、あれは君を注意深く見ていたら、そう感じたんだ。どうしてかわからないけど、感じたんだよ」と答えた。彼は「本当に? じゃあ、こうやったあとで腕を上げたときは?」と言いながら振りつけを見せてくれて、「あのときの君の音は、あの動きに合う完璧な音だったよ。どうしてあの音だってわかったの?」と聞いてきた。私は「どうしてかはわからないけど、そう感じたんだよ。まるでケーブルで直結しているような感じで、君のすべての動きが瞬時にわかるし、即座に反応できるし……とにかく注意深く見ているんだ。あの肩の動きを見るときには、あの動きがどんなふうに終わるのかがわかるし、自分がどんな音で、どんなプレイをしたのかがわかる。理由は謎だけど」と答えた。

彼は「今まであんな音であんなプレイをした人はいないよ。1人もね。だから、君がどうして僕の動きが全部わかって、あんなプレイをしたのか不思議だった。最初から終わりまで、本当にコンサートのすべてで、君のプレイも音も僕の動きに完璧に合っていたから、どうしてか知りたかったんだ」と言った。

同期ケーブルが私達2人の間にあるようだったし、ケミストリーが働いたって感じで、私も説明できなかったね。だから彼には自分が感じたことを伝えるしかなかった。

●不安だったあなたにとっては魔法の言葉だったでしょうね?


ジョナサン 本当にそうだった。だってクビを覚悟していたんだから。彼の言葉を聞いてとても興奮したし、鳥肌が立ったよ。自分の想像を遥かに上回る出来事だったから。

マイケルは「今夜は素晴らしかったし、いつもそんなふうに叩いてね。本当にすごい。君は僕のドラマーだよ。君は僕のドラマーだからね」と言ってくれた。あれは私の人生の中で最高の瞬間の1つだ。2人の本能がつながっていたというか、一緒にプレイする運命だったんだと思う。彼のドラマーになるために生まれてきたと本気で思った。本当に幸運だと感じている。

※本記事は2010年4月号に掲載した内容を抜粋したものになります。