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Archive Interview −ジョジョ・メイヤー −

  • Photo:Taichi Nishimaki
  • Interpretation & Translation:Akira Sakamoto
  • Interview & Text:Rhythm & Drums Magazine

ドラム・マシンの発想を取り入れることで、僕は20世紀のドラミングの歴史という“監獄”から脱出できたんだ

●以前のインタビューでは、ヒップホップ、エレクトロニックの登場以降、ビートの中心はドラマーからプロデューサーやDJなどのトラック・メイカーへと移っていったとおっしゃっていましたよね。

ジョジョ その通り。初期のヒップホップ・ビートの代表的なものは、RUN DMCの「Sucker MC’s」みたいにマシンをプログラムしたもので、まだブレイクビーツにはなっていない。ブレイクビーツはそれよりも少し後に出て来て、それから両方を組み合わせるようになったんだ。

●それが今では“ビート”の中核を担うドラマーが増えてきましたよね。あなたやマーク・ジュリアナ、クリス・デイヴなどがその代表格だと思います。

ジョジョ まぁ、そうなんだけれど、僕やディアントニ・パークスは20年ぐらい前からそれをやってきたからね。僕らには共通のバックグラウンドがあって、それはジャズやR&B、ロックなど、いろんな音楽をやってきた結果、新鮮さが感じられなくなっていたということ。それで、トニー・ウィリアムスなどのヒーローだった人達を見直したんだけれど、ドラマーの演奏からはビートの新鮮さが感じられなかった。むしろ、プログラミングされたドラム・ビートの方が新鮮だった。それはなぜかというと、リズムがそれまでとはまったく違う次元の発想で創られていたからなんだ。ドラムの演奏法という、ある種保守的とも言える方法論の制約を受けていなかったからね。J・ディラはビートを創るときに、パラディドルのことなんか気にしなかった。彼にとって、そんなもの知ったこっちゃなかっただろうし、知る必要もなかった。ゲイリー・チェイフィーやジム・チェイピンの教則本も関係なかったんだ。彼は完全に自由で、その自由が新しいものを創造する機会を彼に与えていたわけさ。僕はすでに20年前からそのことに気づいていた。ドラマーの発想はもう終わりで、これから新しいものが出てくるってね。

もちろん、僕はドラムを叩くのが大好きで、将来に渡ってドラムが存在し続ける理由も、叩くのが楽しいという以外にはない。ドラムの技術は廃れつつあるけれど、叩く楽しさは変わらないからね。多くの人達が気づいていないのは、あるシステムの中にいると……例えば10進法のシステムの中にいると、すべてのことを10進法で考えるようになってしまう。7進法でも5進法でもなく、10進法の発想で固まってしまう。ギターはいろいろとチューニングを変えることはできるけれど、弦とフレットというギターのシステムは変わらないし、これも廃れつつあると言えるだろうね。ピアノのシステムはすでに100年前に廃れている。ポピュラー音楽の世界では、ピアノはギターに取って代わられたからね。ピアノはバッハ以来、平均律の世界を支配してきたけれど、音をベンドできるギターは、そこに微分音を持ち込んだ。それが新しかったわけだ。そういった変化は、学問的な発想から起こったわけじゃない。“よし、これからはベンドを使った微分音を取り入れよう”なんて言って始めたわけじゃない。ギターが貧しい人達の楽器で、彼らがたむろしていたストリートで生まれたアイディアが、次世代の文化を生み出したんだ。

ギターは20世紀のポピュラー音楽を生み出すための道具だった。ヒップホップもそれと同じで、ギターの技術が素晴らしく発達し、ドラムの技術も発達した中で、ストリートでたむろしていた彼らは、2台のターンテーブルを使って音楽を作り始めたんだ。確立されたシステムに捉われている限り、新しいものは生み出せない。僕がもし、スネア、キック、タムという従来のドラムのシステムに捉われていたなら、既存の発想しかできないと思う。でも、MPCならパッドにどんなサウンドでもアサインできるから、それまでとは違う発想でリズムやグルーヴを創り出すことができる。とはいえ、MPCのシステムも、そこに捉われる危険はあるわけで、僕が使っているドラム・キットを前回来日したときから変えているのは、強制的に自分の発想を変えるためでもある。自分が当たり前のように思っていることに挑戦する機会を、強制的に作り出すんだ。そうでもしない限り、システムから脱出することはできないからね。既存のシステムの中にいれば安全だけれど、そこから抜け出せば自由が得られる。安全を選ぶか自由を選ぶかが問題なんだ。今日の世界情勢を考えて安全を求めれば、自由が犠牲になる。過去20年間、ポピュラー音楽が新しくて興味をそそるものを提供できないでいる理由もそこにあるんだ。

面白い音楽は、ノルウェーやアイスランドの何とかいうバンドみたいな、アンダーグラウンドの小さな世界で生み出されている。メジャーな世界で作られるものは退屈だよね。ピンク・フロイドやジミ・ヘンドリックス、プリンスみたいに、革新的なポピュラー音楽がメジャーな世界で作られる時代じゃなくなっているんだ。もちろん、ケンドリック・ラマーやジェイムス・ブレイクみたいな人達がいるにはいるけどね。とにかく僕が言いたいのは、ドラムを演奏したり学んだりするためのシステムが足かせになっているということだ。ドラム・マシンの発想を取り入れることで、僕は20世紀のドラミングの歴史という“監獄”から脱出できたんだ。1995年に“プロヒビテッド・ビーツ”を始めたのも、監獄から脱出するためだったわけさ。今はたくさんの人達がJ・ディラのビートを真似しようとしていて、それをやることがある種の宗教みたいになっているけれど、それはJ・ディラのやり方と矛盾していると思う。“J・ディラみたいなことをドラムでやる”という発想自体がね(笑)。

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