プランのご案内
  • NEWS

    UP

    【追悼】数々の現場を支えたドラマー/ドラム・チューナーの三原重夫氏が逝去

    • Text:Shinichi Takeuchi/Photo:Taichi Nishimaki

    ドラマー、ドラム・テック/チューナーとして活躍した三原重夫氏が、7月31日に永眠された。「お知らせ 三原重夫、かねてより肺がんのため病気療養中でしたが 令和8年7月31日未明、都内の病院にて永眠いたしました。享年66歳。生前の皆様のご厚情に心より感謝申し上げます」と遺族がSNSを通じて公表した。

    ローザ・ルクセンブルグから始まった
    ドラマーとしてのキャリア

    三原氏は1960年2月3日生まれ。京都府出身。彼のプロフィールによれば、「1976年、セットドラミングを始める」とあるので、10代半ばから本格的にドラムの演奏を始めたようだ。

    1986年にはローザ・ルクセンブルグのドラマーとしてデビュー。ここからプロとしての音楽活動をスタートさせた。ローザはどんと(vo)、玉城宏志(g、vo)という強烈な個性を放つフロントマンを擁するバンドだったが、三原と永井利充(b)によるリズム・セクションのタイトな演奏も評判を呼んだ。そんな中で、三原は耳を奪うフレーズを盛り込む場面もしばしばで、ドラマーとしての評価も高めていった。

    『ぷりぷり』、『ROSA LUXEMBURG Ⅱ』(いずれも86年発表)わずか2枚のアルバムを遺して1987年にローザが解散すると、三原は数々のバンドから声がかかる存在に。ローザ末期から並行してメトロファルスでもプレイするようになり、ローザ解散後にはザ・ルースターズでの活動もスタート。バンドの最終作となった名作『FOUR PIECES』(88年)でドラムを演奏している。また、89年からは再結成した“新生”スターリンに参加。93年の解散までに5枚のアルバムを遺している。

    サウンドを支え、後進も育てた
    ドラム・チューナーとしての功績

    2007年1月号の「音で聴く!ミュートの効果」特集にご協力いただいた際の1枚(Photo:Tetsuro Sato)

    90年代後半からは、自身の演奏活動に加えて、ドラム・テック/チューナーとしても活動開始。THE YELLOW MONKEY、スピッツ、ASIAN KUNG-FU GENERATION、チャットモンチー、9mm Parabellum Bullet、POLYSICS、サニーデイ・サービスなど、数々のレコーディング/ライヴに参加し、その確かな技術でドラムの音作りに貢献。また、後進の指導にも熱心で、元9mm Parabellum Bulletのかみじょうちひろ、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの伊地知潔など、三原氏に師事したドラマーは数多い。

    本誌2015年10月号では、三原氏とかみじょうの“師弟対談”が実現。練習の大切さからクリックとの向き合い方までを語り合っている。中でもアンサンブルの中でのドラムの役割についての考え方が印象的で、三原氏は「個性も大事だけど、やっぱり“合奏する感性”が重要。メンバーとも観客とも“共有”できるものがリズム」だと締めくくっていた。

    2015年10月号で実現したかみじょうちひろとの師弟対談

    切れ味鋭いドラミングと、ドラムという楽器に対する造詣の深さ、音作りに関しての確かな技術、さらには多く後進を育て、日本のドラム・シーンの発展に寄与してきた三原氏。謹んでご冥福をお祈りいたします。