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吉田拓郎ライヴ復帰|プレミアム公演の屋台骨を支えるドラマー村石雅行、その“原点“とは?
- Interview:Seiji Murata/Photo:Akito Takegawa
日本を代表するシンガー・ソングライター、吉田拓郎が、2019年以来となるコンサートを開催。愛知と大阪、2公演のみのプレミアム・ライヴで、4月13日に愛知公演が開催され、SNS上でも反響が広がっている。そんな注目のライヴでドラムを務めているのが村石雅行だ。過去にもツアーに参加し、テレビ番組でも度々拓郎氏と共演してきた、ファンにもお馴染みの存在。そんな重鎮アーティストを支えるベテラン・ドラマーの原点とは?
剣道、ピアノ、新聞配達……
村石がドラムに目覚めた多忙な中高時代
●幼少期の音楽体験ってどんなものでしたか?
村石:最初の記憶はクラシックですね。親が持っていたピアノ曲とか交響曲のレコードしか聴かなかったので、ベートーベンの第5番「運命」とかドヴォルザークの「新世界」とか、ブラームスの「ハンガリアンダンス」とか、有名な曲ばっかり聴いていました。
で、小学生以降は2つ上の音楽好きの兄の影響でカーペンターズばっかり聴いてました。中学になるとビートルズとかイーグルスとかロックもいろいろ聴くようになって、アース・ウインド&ファイアーとかスティーヴィー・ワンダーもすっごくカッコいいなと思ってました。それと並行して、テレビとかラジオから流れてくる日本のヒット“歌謡曲”も好きでよく聴いてましたね。
●当時、お兄さんは楽器をやっていましたか?
村石:いや、兄は剣道のスペシャリストだったんで。僕も小学校2年から剣道をやるようになって……毎日練習で、土日は試合で遠征でしたから、当時は剣道の想い出ばっかりで(笑)。音楽はただ好きで聴いていただけ。
剣道と同時にピアノも始めたんですけど、剣道があまりに忙しすぎて5年生のときに辞めてしまったし……とはいえ、この時期に頑張ってピアノをやっていたからこそ、後に藝大に入れたんですけどね。当時はめちゃくちゃ練習してコンクールにも出たんですけど賞が獲れなくて。これだけ練習したのに獲れないなんて、上には上がいるんだなと思いましたね。剣道はむっちゃ頑張って、高1で2段を獲るまで続けました。
●では、いつドラムに出会ったんですか?
村石:中学でビートルズを聴き出してからドラムにすごく興味を持ったんですよ。リンゴ・スターのラディックのセットがカッコ良くて、フロント・ヘッドに描いてある“The Beatles”のロゴを真似して書いたりして(笑)。でも、当時の熊本ですぐに手に入るはずがないので、最初に買ったのは、中2の終わりに楽器屋の店頭で一番安かったTAMAのSWINGSTARでした。
●その場にはすでにドラムをある程度叩けるようになっていたんですか?
村石:まったく独学ですけどね。テレビの音楽番組でフル・バンドのドラマーが演奏しているのを観て、「右手は上で左手は下なんだ」みたいな感じです。で、『サージェント・ペパーズ(・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド)』って曲を聴くと最初に“ドンドパン・ドドパン”っていうドラムが聴こえて、「これは足でやるんだ」って気づいたりとかね。そんな感じで、最初は段ボール箱を叩いてましたけど、それを見ていた親がセット買ってやるってことで……いや、僕も半分くらい出したんですよ。当時バイトしてたんで。
●え? その忙しさの中でバイトも!?
村石:中学のとき、トレーニングの一環で新聞配達のバイトをやってて(笑)。早起きして、親父と兄貴と3人で手分けして120軒配っていたんで、僕は40軒ですけどね。で、セットが79,800円だったんで、半分弱くらいは出した記憶がありますね。
●中学ではバンドを組んだりも?
村石:中2の終わりに友達を“中3を送る会”に出ようってことになって、初めてバンドを組んで、ゴダイゴの「銀河鉄道999」とかチープ・トリックの「Surrender」とかやりましたね。このバンドで僕はバンマスみたいな立場で、例えば「ベースはこうやって弾いて」とかギター以外は全部教えた気がする。すごくガラが悪い中学だったんで、不良を集めて叩かせてたんですよ(笑)。で、ドラムがいなかったんで僕がやることにして。でも、みんなすごく楽しそうにやってたし僕も楽しかったですね。
●昔から村石さんのプロフィールには、パンクと出会ったと書かれてありましたが……。
村石:パンクは高1ですね。新たに知り合った違う高校の先輩と3ピースのパンク・バンドを組んだんですよ。このバンドが熊本で有名な、コンテストで賞を獲りまくっていたバンドで、ヤマハの“L-MOTION”という九州地区のアマチュア・バンド・コンテストで熊本代表に選ばれて、僕も福岡の本選に出たりしてたんです。ちなみにその年(81年)にグランプリを獲ったのがチェッカーズですよ。当時はダムドとかストラングラーズ、日本ではARBやサンハウス、モッズも大好きでしたね。コピーもしましたけどオリジナルがほとんどで、熊本ではシーナ&ザ・ロケッツの前座とかもやってました。
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