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デイヴ・グロールが語るフー・ファイターズ結成の経緯と盟友=テイラー・ホーキンスとの関係性【Archive Interview】

  • Interview:Robyn Flans

2人が認め合って
1つのドラム・スタイルを築いたんだ
どこで誰が叩いたかはわからないと思う

本日1月14日はデイヴ・グロールの生誕記念日! ニルヴァーナのドラマーとして一世を風靡し、解散後はヴォーカル&ギターとしてフロントに立つフー・ファイターズを結成。30年以上に渡ってロック・シーンをリードし続けるまさにスーパー・スター! ここでは『There Is Nothing Left To Lose』リリース時の1999年に行ったインタビューを再掲載! 昨年50歳の若さで亡くなったテイラー・ホーキンスとの関係性についても語った貴重な内容です!!

●テイラー・ホーキンスとはどのように共同作業を進めましたか? ちょっとひいてしまうところもあったようですけど……。

デイヴ それはあいつも同じだろう。いつも言ってるけど、僕達はたくさん曲を揃えると、誰がやるべきかを考える。僕は君がこれをやるべきだと思うよ、君はこっちをやるべきだろうとお互いに曲を割り振っていくわけ。わかる? “君”がやるべき、って言ってるんだ。

テイラーとはやろうとしていることについてお互いの視点がかみあっていましたか?

デイヴ もちらん。相手がどんなドラマーだか、お互いわかっているからね。テイラーは僕には理解できないすごい技やトリッキーなことができる。僕は実質的というか、質素なグルーヴ主体でやっている。一部の曲にはこういうのが有効だし、他の一部の曲ではテイラーが必要になる。

どの曲をどちらが叩いたか、みんな知りたがっていると思うんですが……。

デイヴ 誰にも教えないよ。面白いのは、数年間一緒にプレイしてきて、お互いにお互いのやり方を認められるようになっただけでなく、お互いの癖まで自分のプレイに取り入れているところだ。テイラーがバンドに入ったばかりのとき、彼はスチュワート・コープランドで、僕はジョン・ボーナムだった。でもその後、お互い真ん中へんまで歩み寄った。僕はコープランドの良さを認め、彼はAC/DCの良さを認めるようになったんだ。2人とも両方を取り込んで1つの大きなスタイルができてきた。だからきっと、みんながテイラーが叩いていると思う曲を本当は僕がやっていたり、僕だと思う曲は実はテイラーだったということがあるはずだ。簡単にどちらだとわかるものじゃないはずだよ。マネージャーとか、ニルヴァーナ時代からの僕と、バンドに入った1日目からのティラーの両方を知っている人達でさえ、すべて正しくは把握してないもの。

僕らは2人だけで作業する。僕は椅子に腰かけて、テイラーのセットと向い合う形だ。でもってリフに検討を加えたり、どこにスネアとキックのアクセントをつけるべきか、ダイナミクスの動きはどうすべきか、ギター・リフに沿うのがいいか、それとも曲全体のアレンジを意識すべきかなどを考えていく。彼は非常に優れた耳の持ち主だから、僕が何をやれと次々指示しなきゃならないなんてことは決してない。ギタリストとドラマーのアレンジの主眼は、他のすべてを補うことだ。このバンドでは、誰も大々的なソロはとらない。お互いがお互いを捕い合うために存在している。そうすると、ホット・シートにとり残されるのはネイトだ。つまりテイラーと僕がアレンジを決めたあとで、ネイトはそれに合うベースを弾き、その中に自分の居場所を作り出さなくてはならないんだ。

変わってますね。普通はドラムとベースが一緒にレコーディングするでしょう?

デイヴ だからこそ、ネイトは天才なんだって。

あなたがアラニスとプレイしているテイラーを観に行ったとき、まずは人間的な相性の良さを感じたそうですが、テイラーのドラミングを考えると、このバンドに加入させようとは考えないのでは?

デイヴ 確かにこのバンドにあのドラミングが溶け込むなんて想像がつかなかったけど、僕達のやっていることにあのスピリットが溶け込むのは容易に想像がついた。彼はいつだって、そのショーが自分の生涯最後のショーであるかのようなプレイをしていた。彼のプレイを観るたびに、こいつは正当な理由のもとにやっているんだと確信したな。彼は心底ドラムを叩くのが好きでたまらないんだ。こいう人間は滅多にいないよ。

あなたがドラムを辞めたのはなぜですか?

デイヴ ニルヴァーナのあと、たくさんのバンドからオファーがあった。だけど当時、僕は25歳でまだその手の雇われドラマーをやらなくてもいいんじゃないかと考えたんだ。でもドラムを辞めたわけではないよ。フー・ファイターズの1作目みたいに全部自分でだってやれるんだ。そもそもあのときはフー・ファイターズをバンドにするつもりさえなかったんだ。

いわばスチュワート・コープランドが『Klerk kant』でやったようなことが、自分にもできるかどうかの実験だった。そうしたら、ギターを弾いて、歌おうとしているじゃないか。僕はギターはドラムより長くプレイしているし、ずっとバックアップ・シンガーでもあった。当時の僕にとってはこれが一番だろう、ならばツアーのためにバンに同乗して楽しい人を集めようと。まだ、若いもんね。当時38歳で、クラウデッド・ハウスに参加するしかないなんてことはなかったし。

実際にそういう話もあったんだよ。ダンジグからも話があった。だけど、最大のオファーはトム・ペティだった。未だにトム・ペティの曲は、ちょっとした感傷なしに聴けないよ。あれは本当に本当に難しい選択だった。世界中で僕が誰かのために何かをしなくちゃならないとしたら、その相手は彼だ。いつか僕にやることがなくなったり、フー・ファイターズが活動停止したら、僕はさっそく彼に電話するだろう。

フー・ファイターズでドラムを叩かないと決めたのはなぜですか?

デイヴ 叩きながら歌うのは考えられなかった。あのヘッド・セット・マイクってかなりみっともないと思うんだ。だから決心したんだ。ドラムを僕の人生から排除するんじゃなくて、音楽でやろうとしていることの方向転換をすると、ドラムは僕を置いていっちゃうこともなく、家に帰れば何時間でも叩いているよ。今では特に、ホーム・スタジオがあるからね。