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Interview -馬場豊心[Northern19]
- Interview & Text:Rhythm & Drums Magazine
実は高校生のとき
2ビートが生理的にダメでした(笑)
●メロコアはもともと聴いていたんですか?
馬場 実はメロコアはあまり聴いてなくて、Xから始まってメタルにいって、洋楽のパンクとか、ハードコアをよく聴いていましたね。だからかもしれないですけど、とにかく詰め込むのが好きなんです。
●バンドでいうと?
馬場 メタリカやマシンガンズ、ミクスチャーも盛り上がってきていて、スリップノットとか、メロコアだとNOFXとかですかね。実は当時、2ビートがダメだったんですよ(笑)。
●え!そうなんですか!?
馬場 今はもちろんそんなことはないですけど、高校生のときですね。今となっては、何か、生理的に気持ち悪かったとしか言えないですね(笑)。ハードコアや、XでもよくあるDビートっていう、2ビートを中抜きしたようなのは聴き馴染みがあったしカッコいいなと思っていたんですけど、ドッタンドコタンは何かダメで(笑)。
●それが今やほとんど2ビートですからね(笑)。
馬場 そうなんですよね(笑)。
●でも、ノーザンを組んだとき、ギターの笠原(健太郎)さんや当時ベースの井村(知治)さんはメロコア寄りだったんですか?
馬場 そうだったと思います。健太郎はハードロック系から入っていろいろな音楽を聴いていたから、幅はめちゃくちゃ広かったと思いますけど、最初にスタジオに入ったときに「メロコアやりたいんだよね」と言われたのは覚えています。僕もNOFXとか、No Use For A Nameとか、LAGWAGONみたいな洋楽のメロコアは聴いていたので「いいよ」って。
●出会いはいつ頃なんですか?
馬場 大学は違ったんですけど、知り合いの友達が健太郎で、僕がサークルのライブをするときに連れてきてくれたんですよ。なので、大学に入って2ヶ月後くらいには会っているんですよね。
●そこからノーザン結成までの道のりは……?
馬場 もともと健太郎と知治は地元が新潟で、上京したときは違うドラムの人と組んでいたんです。「今曲作ってて、これからやっていこうと思うんだよね」というのは聞いていて。そのときはそれっきりでしたね。で、僕はそのあと大学で、結構周りからコピバンのお誘いとかはきてたんです。高校から部活もしないでずっと練習していたので。あるときインディーズで活動していたベースの先輩から声をかけてもらってエモのバンドを組んだんですけど、うまくいかなかったんですよね。そんなときに健太郎から「最近どう?」って連絡がきたんです。「今ドラムの人があんまりやる気なくてさ、クビにしようと思うんだけどやってみない?」って(笑)。それでとりあえず1回スタジオに入ってみたんです。最初は「ちょっと曲聴いてくれない?」って言われて、ギター・ヴォーカルとベースだけでやってくれたのを聴いたときに、“このバンドすげぇ、ヤバいかも”、“めっちゃいい”って思ったんです。すぐ先輩に「すみませんやめます!やりたいバンドができたので!」って言って(笑)。それがノーザンですね。
●もともとバンドを本格的にやるつもりはなかった馬場さんが、ノーザンでやっていこうと思ったきっかけも気になります。
馬場 初めてライブをやったときは、友達とかを頑張って呼んだくらいで、あんまりお客さんもいなかったんですけど、よく知らないモヒカンのおじさんがなぜか最前列でノリノリで暴れていたんですよ(笑)。それを見たときに“これがライブか!”って、地元とあまりにも違って衝撃だったんです。そのときのブッキングの人が僕達のことをすごく気に入ってくれて、それでライブが増えていって、徐々にバンドにシフトしていったかもしれないですね。1stをリリースするちょっと前に、CATCH ALL RECORDSのオムニバスに、「CRAVE YOU」が1曲目に選ばれて、そこから問い合わせがすごくくるようになって。同世代にはTOTALFATもいて、彼らは19歳くらいの頃からリリースしてツアーもガンガン回っていたんですけど、それを見ていて、“仕事とかしてる場合じゃないな”と思ったんです。あ、そうだ、TOTALFATを見たときに“ヤバイ”って思いましたね。同い年で、こんなにレベルの違う人達がいるんだって。凹んじゃった部分もあるんですけど、“もっとすげー頑張らないと”って、刺激を受けましたね。
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