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    【芳垣安洋のドラム・ノーベル賞!第190回】ハービー・ハンコック 〜ファンクとジャズの共存における変革〜

    • Text:Yasuhiro Yoshigaki

    【第190回】ハービー・ハンコック 〜ファンクとジャズの共存における変革〜

    先日、他界されたベーシスト、ポール・ジャクソンさんのことはご存知でしょうか。ここ30年来は、日本に住まわれて活動されていました。彼は、ハービー・ハンコックによって結成され、70年代のジャズ・シーンに大きな足跡を残したファンク・ジャズの代表バンド=ザ・ヘッドハンターズのメンバーとして世界中に知られた存在でした。このバンドは、それまでの単なる16ビート/8ビートのリズムを導入した形のジャズから、さらに深く、ファンクとジャズの共存するあり方を大きく変革したバンドとして、音楽史上に名を残すバンドと言えるでしょう。

    今回はそこらへんの話をする前に、ハービー・ハンコックがファンク・ジャズなるものをにいかに作り上げていったのかをまず書いていってみましょう。

    まず聴いてもらいたいのは、ハービー・ハンコックのファースト・アルバムです。まだ、マイルス・デイヴィスのバンドのメンバーとして知られることになる前の、62年に録音されたこのアルバムの中にある「Watermelon Man」。ハンコックが子供の頃、夏になるとやってくる“西瓜売りの男”のことを思い起こして作曲したと言われている曲です。

    実はこの曲、オリジナルよりも先にモンゴ・サンタマリア(パーカッション奏者)が63年に吹き込んだシングル盤がビルボード誌のトップ10に入るというヒットを記録したのです。カウント・ベイシー、クインシー・ジョーンズら多くのミュージシャンもこの曲を取り上げ、ハンコックは作曲家としても評価され、マイルスのバンド・メンバーに抜擢されることになるのです。アルバム発売当時、彼は弱冠22歳。この曲が収められたアルバム『Takin’ Off』は、メンバーにフレディ・ハバード(tp)、デクスター・ゴードン(ts)、ブッチ・ウォーレン(b)、そしてビリー・ヒギンズ(d)という腕達者な当時の若手メンバー達が参加していました。ビリー・ヒギンズは、シェイクっぽい8ビートをご機嫌に叩いていますが、曲自体はまだファンクと呼べるフィーリングにはなっていません。

    63年に録音されたセカンド・アルバム『My Point Of View』でも「Watermelon Man」の延長線上のリズムとサウンドを引き継いだ曲「Blind Man, Blind Man」が1曲目になっています。いわゆるR&Bのリズムとモード・ジャズの共存という形が確立した時代を反映しているのでしょうね。

    メンバーは、ドナルド・バード(tp)、ハンク・モブレー(ts)などのちょっとファンキーさのあるモダン・ジャズ・シーンの中心人物達。ドラムは当時まだ16歳のトニー・ウィリアムス。この録音の後、ハンコックは、ドナルド・バードの口利きでマイルスのクインテットのメンバーとなり、ジャズ・ミュージシャンとしての実力に磨きをかけて世界的な音楽家への道を進み始めることになります。

    3作目にあたる『Inventions and Dimensions』では、メンバーにパーカッショニストを加えることにより、R&B的なリズムから、ラテン的/アフリカ的なポリリズムへの転換が図られました。

    ポール・チェンバースのベース、ウィリー・ボボのドラムやティンバレス、 オズワルド・チワワ・マルチネスのコンガやシェケレ。それぞれのリズム・セクションがユニークなポリリズムで変化していく1曲目の「Succotash」を聴いてもらうと、16分音符で刻まれる3/4拍子が、捉え方を変えて3連符の4/4拍子に変わっていく様がよくわかると思います。

    4作目以降、マイルスのバンドのレギュラー・メンバーとしての活動以外に、様々なアルバムに参加しながらも、ハンコックは新主流派ジャズの代表的な作品として今でも語られる名作『Maiden Voyage(邦題:処女航海)』、『Speak Like a Child』などを発表し、ジャズ・ピアニストとして確固たる地位を築いていきます。

    70年代に入ると、ハンコックは伝統的なジャズのイディオムからの大きな脱却を図り、ファンク的なリズム、さらなるアフリカ的なポリリズム構成、エレクトリック・ピアノの導入、実験的な集団即興的な表現などを取り入れたグループ=ムワンディシを結成します。メンバーは、Mwandishi/ハービー・ハンコック(rhodes)、Mchezaji/バスター・ウィリアムス(b)、Jabali/ビリー・ハート(d)、Mganga/エディ・ヘンダーソン(tp)、Mwile/ベニー・モウピン(b.cl、flu)、Pepo Mtoto/ジュリアン・プリースター(tb)……面白いので、クレジットされた名前を書きましたが、この時期はハンコック達も自分のルーツにあたるアフリカへの回帰主義に傾倒していたらしく、スワヒリ語でつけたあだ名をメンバー名にしていました。

    このバンドのメンバーに加えて、『Mwandishi』の長尺の1曲目では、ドラムのレオン・チャンスラー、サンタナのパーカッション=チェピート、ロック・ギタリストでのちにトニー・ウイリアムスの『Lifetime』にも参加することになるロニー・モントローズがゲストに入っています。15拍子のこの曲は、かなり濃厚なリズムのウネリと即興的な展開が素晴らしく、ファンク色の加わったドラミングも私はかなり好みです。マイルスの影響を色濃く受けたことがよくわかる、ファンク/ロックの要素だけでなく、ヨーロッパのプログレッシヴ・ロックをも彷彿とさせるサウンドは、今聴いてもかなり興奮するほど素晴らしいものだと思います。

    72年にリリースされたムワンディシ時代の2枚目のアルバム『Crossings』は、新しいメンバーであるシンセサイザー・プレイヤーのパトリック・グリーソンをフィーチャーした最初のアルバムです。彼は元々、ハンコックのモーグ・シンセサイザーをセットアップするために雇われたのですが、ハンコックがグリーソンに非常に感銘を受けたため、グループにプレイヤーとして参加することになります。

    この後90年代まで、ハンコックはエレクトリック・キーボードへの探求にかなりのエネルギーを注いでいくのですが、そのきっかけはこのグリーソンとの出会いでした。このアルバムでもかなりな長尺演奏が中心で、全員がパーカッションを演奏するシーンもあったりして、さらにプリミティヴなリズムが展開し、3管アンサンブル、ハンコックのキーボート&シンセが見事に融合するようになります。このようにかなりエキサイティングでスリリングな演奏が繰り広げられていくのですが、言葉を変えれば、マニアックで一般的なポピュラリズムからはどんどんと離れていくように思えます。

    8ビートやファンク・ドラミングの印象はあまり強くないのですが、やはり名手なのだと改めて感じ入ったビリー・ハートのドラムを堪能していただきたい。もちろん、スウィング・スタイルのものも素晴らしいので、いろいろと探してみてくださいませ。

    では、次回はザ・ヘッドハンターズに突入していきましょう。

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    ◎Profile
    よしがきやすひろ:関西のジャズ・シーンを中心にドラマーとしての活動を始める。モダンチョキチョキズ、渋さ知らズなどのバンドに参加後上京。民族音楽/パーカッションなどなどにも精通し、幅広いプレイ・スタイルで活躍している。菊地成孔やUA、ジョン・ゾーン、ビル・ラズウェルなど数多くのアーティストと共演し、自身のバンドであるOrquesta Libre、Vincent Atmicus、Orquesta Nudge!Nudge!をはじめ、ROVOや大友良英ニュー・ジャズ・クインテットなどでも活動している。ジャンルやスタイル、国籍などを取り払い、ボーダレスに音楽を紹介するレーベル=Glamorousを主宰している。

    ◎Information
    芳垣安洋 HP Twitter