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【R.I.P.】元スリップノットのドラマー、ジョーイ・ジョーディソン急逝

  • Photo:Stefan M. Prager/Getty Images

スリップノットのドラマーとして一世を風靡したジョーイ・ジョーディソンが7月26日に急逝。享年46歳であった。そのあまりに早すぎる死去に世界中から追悼の声が上がっている。

SlipknotのオフィシャルYouTubeチャンネルにアップされたジョーイへのトリビュート動画。

ジョーイ・ジョーディソンは1975年生まれ。物心つく前からスプーンで鍋を叩いたそうで、6〜7歳になった頃にはドラム・キットでプレイするようになったという。ドラムは独学で、レコードに合わせて叩くことでテクニックに磨きをかけたとのこと。代名詞とも言えるツーバス・プレイについては、メタリカの『メタル・マスター』、スレイヤーの『レイン・イン・ブラッド』を聴いて興味を持ち、ラーズ・ウルリッヒ、デイヴ・ロンバードはもちろん、キース・ムーンやチャーリー・ベナンテらのプレイに影響を受けたと過去のインタビューで語っている。

メタルだけでなく、ジャズを学んでいたことも彼のプレイに大きな影響を及ぼしたということで、中でもジーン・クルーパやバディ・リッチに憧れ、彼らのスピード・プレイを習得するために、サマー・スクールに通ったこともあるそうだ。

スリップノットを結成したのは1995年。メンバー全員がグロテスクなマスクを装着したインパクト抜群のルックスと、アグレッシヴなライヴ・パフォーマンスで注目を集め、99年にロス・ロビンソンのプロデュースによる『SLIPKNOT』でデビュー。いきなりスマッシュ・ヒットとなり、翌年には初の来日公演を敢行。2001年リリースの『IOWA』はビルボード・チャート3位を記録し、瞬く間にメタル・シーンを代表するバンドへと駆け上っていった。

そんなバンドの中心的な存在で、スピード、パワー、テクニックを兼ね備えたジョーイの超攻撃的スタイルは、特に若い世代のドラマーに衝撃を与え、新たなドラム・ヒーローとして世界を席巻。日本でも凛として時雨のピエール中野やCrossfaithのTatsuya Amanoを筆頭に、彼の影響を公言するプロ・ドラマーは数多い。

2004年に発売された『VOL.3: (THE SUBLIMINAL VERSES)』のリリース・タイミングでは、本誌の表紙(2004年8月号)を飾り、インタビューでは“常に完璧な演奏をするために必要なことは?”という問いに対して、「俺だって完璧じゃない。みんなへのアドバイスとしては、俺のドラミングを聴いて楽しめるのは、俺がいろんなスタイルの音楽を受け入れてきたからなんだ。だからひたすら忍耐で練習すること!」と答えるなど、さらなる高みを目指す姿が印象的であった。

初表紙を飾った04年8月号の誌面

その後もSummer SonicやLOUDPARKなどのフェス出演のために幾度も来日を果たすも、2013 年末に突然バンドを脱退。さまざまな憶測も噂されたが、後に横断性脊髄炎という難病と戦っていたことを告白。2016年11月号で行った本誌の独占インタビューでは「最初に症状が出たときには参ったよ。少しずつ悪くなるというんじゃなく、文字通りある日突然、歩けなくなったんだからね。本当に恐ろしかった。」と病気発覚当時について語り、その上で「練習とジム通いを重ねて、今は以前よりもドラムがうまくなっているよ」完全復活を宣言していた。

その言葉通り、シンセイナムとヴィミックという2つのバンドを始動させ、精力的に活動を展開。そして2018年11月にはシンセイナムで久しぶりの来日。待ちに待った日本のファンをそのアグレッシヴなドラミングで熱狂へと導いてくれたことも記憶に新しい。年齢も40代半ばに差し掛かり、さらに円熟味を増したドラミングが期待されていただけに、今回の訃報は衝撃的で、残念でならない。

9月16日発売のリズム&ドラム・マガジン2021年10月号では、その功績を讃えるべく、ジョーイの追悼特集を行う予定です。

心よりご冥福をお祈りいたします。