PLAYER
UP
河村吉宏のドラマー人生を形作った音楽たち|幼少期の体験からバンド活動、父との共演まで【STUDIO GREAT】
- Interview:Seiji Murata
ドラマガ本誌で展開してきた、セッション・ドラマーを深掘りする連載「STUDIO GREAT」が、Webへと移行。それを記念し、過去に掲載したインタビューをアーカイヴ公開していく。今回お届けするのは、2026年1月号に登場した“よっち”こと、河村吉宏。9月にリリースされたMrs. GREEN APPLEの『POPS』や斉藤和義の『日常Days』など、話題作のレコーディングに相次いで参加し、現在は絢香のツアーでもサポートを務める売れっ子ドラマーだ。名手、河村“カースケ”智康を父に持ち、幼い頃から音楽に親しんできたよっち。ドラムを始めたきっかけから学生時代のバンド活動、現在のプレイ・スタイルにつながる音楽的バックグラウンドまで、その歩みを振り返る。
参加させていただいてます!!!
— 河村吉宏 よっち (@yotchitchi) September 9, 2026
沢山参加させていただきました😤🥁数えたら11曲🎶過程を見てたから、全曲聴くのが楽しみダ!いつもだけど、気合い入ってます👊
— 河村吉宏 よっち (@yotchitchi) September 28, 2026
「ドラムってこうやってやるんだ」
自然とそうシミュレーションしてた
●幼い頃の音楽体験といったら、やっぱりカースケさんの現場が多いですか?
よっち:そうですね。まずは生後3ヵ月で、親父が演奏してたジロキチのライヴに行って、ドアのない楽屋で、爆音の中すやすや寝ていたところから始まって(笑)。そもそも母親が親父の一番のファンで、親父のコンサートに行くのが好きだったので、僕がドラムを始めるまでの十数年の間も、本当によく連れて行ってくれましたね。そこで、タイコの響きみたいなものを身体で感じてたとは思います。
親父が藤井フミヤさんのバンドを10年くらいやっていたときに、僕もよく現場に遊びに行ってて、僕が中3の終わりでドラムを始めて1〜2年くらいのとき、親父のドラミングってこういう感じなんだ……あまりドラムで多くを語らず、速いとか細かいフレーズをやるわけじゃなくて、シンプルな8ビートがカッコ良いなって思ったのは、今でも覚えてますね。それは僕がドラムを始めたからこそ気づいたんだと思いますけど、
その何年か後には、ムラジュン(村山☆潤)という友達に「俺、カースケのドラムはわかったから」なんて言った記憶があって(笑)、当時はわかった気になってただけで、まあ〜深い深い(笑)。今年(2025年)また一青 窈さんのツアー(“Hall Live 2025 ~ Surrealism ChiveZhongBang”)で、親父と僕が半々で演りましたけど、リハーサルで久しぶり親父のドラミングをまじまじと見て、“あぁ…すごいなぁ”ってつくづく思いました。今だに追いつけない何か、わからない何かがそこにはあるなって思います。
バンド仲間との出会いが広げた音楽の世界
高校時代に培われたドラマーとしての原点
●中3でドラムを始めるきっかけは、それまで打ち込んでいたバスケ部を引退した喪失感の中で出会ったゲームだったそうですね。
よっち:僕は一人っ子で、ありがたいことにいろんなものを与えてもらって育ったなと思ってるんですけど、その中でも“ドラムマニア”が楽しくてずっとやってたんです。で、中3の春に部活を引退して、ぽっかり穴が空いたタイミングと、ドラムマニアを全クリしちゃったタイミングがたまたま重なって(笑)、ドラムマニアはしょせんゲームだから、じゃあドラムやってみようかなと。
しかも、そのタイミングがまた面白くて、小さい頃、家族で沖縄に行ったとき、みんなでゴーカートに乗ろうとしたら「キミの身長だと乗れない」って言われて、ウキウキしてなのに、しょんぼりとなってたら、「ポケットバイクなら乗れるよ」って言われて乗ったらすごく楽しくて、“僕は将来、ポケットバイクのプロレーサーになるんだ”って、中3年生をずっと貯めてて。で、中3でドラムマニアを全クリして、そういえばポケットバイク買うお金貯めてたなと思って買おうとしたら、もう乗れない身長になってた(笑)。ということで、そのお金が電子ドラムに変わるんですよ(笑)。そこが僕の人生の交差点でしたね。
●始めてみたらすぐに叩けた?
よっち:叩けちゃいました。よく家族で車で移動してるときに、母や父がかける音楽は、やっぱりドラムが耳に入ってきて、“ドラムってこうやってやるんだ”っていう脳みそになっていたというか、自然とシミュレーションしてたんで、曲をコピーするのも、初めてやる人よりはすんなり叩けたんだと思います。母がスピッツが好きだったんで、最初にコピーしたのは『ハチミツ』(95年)の曲達でしたね。
●その後、高校生になると軽音楽部に入ったそうですね。
よっち:高校に入る頃には、新しく始めたドラムの方に燃えてたのもあって軽音楽部に入りました。各々が仲間を見つけて好きな曲を練習するっていう部で、当時、他でルーディメンツとか習ってる友達もいたけど、僕はそれより、仲間を見つけてL’Arc-en-Cielとか、SUM 41とかグリーン・デイとか、自分もみんなも好きなものでバンドをやりたいと思ってたし、それ以降もずっとその連続で来ましたね。
で、学外の音楽やってる友達とも仲良くなって、明大中野の川端君っていうギターと、うちの学校のベースの服部君とニルヴァーナのコピー・バンドを組むことになって。川端君は、当時流行ってたグランジのバンドにすごく詳しくて、彼と一緒にやった時間が僕の血に通ってますね。パール・ジャムとかアリス・イン・チェインズとか、ヘヴィメタルもちょっと齧って……マリリン・マンソンとかパンテラとか、できなかったけどスリップ・ノットとかも好きでした。人前で演奏したのはニルヴァーナだけだったけど、当時は吉祥寺のシルバーエレファントとか、よく出てましたね。
