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    今年デビュー50周年を迎える松任谷由実。その間に40作近いオリジナル・アルバムをリリースし、他のアーティストへの楽曲提供は260曲を超え、CMや映画のタイアップなども数知れない。まさに日本のポップス界の潮流を作り出し、音楽界やエンタメ業界に多大なる影響を与え続けてきた存在であるが、その数々の名曲を支える演奏陣は、どの時代においても超一流達が集い、マニアも唸らせる名演揃いとなっている。10月4日にリリースされた集大成とも言えるベスト・アルバム『ユーミン万歳!~松任谷由実50周年記念ベストアルバム~』に合わせて、ギター・マガジン2022年11月号では「ユーミンとギタリスト」と題した大特集を展開。ドラマガWebではそれに相乗りし、「ユーミンとドラマー」と銘打って、彼女の作品に携わってきたドラマー達を前後編に渡って検証していきたい。

    盟友達と奏でた荒井由実時代の名作/『ひこうき雲』〜『14番目の月』

    ユーミンこと荒井由実は、72年にリリースされたシングル「返事はいらない」で歌手デビュー。その翌年の73年に1stアルバム『ひこうき雲』をリリースする。このときの演奏を任されたのは、当時「キャラメル・ママ」(後にティン・パン・アレーに改名)という名前でバンド活動もしていた、細野晴臣(b)、鈴木 茂(g)、松任谷正隆(key)、そしてドラムが林 立夫という、そうそうたる顔ぶれ。細野はこの時期のバンドを「一番脂が乗っていた時期で、演奏をやらせればピカイチという自負心があった」と語っているが、まさにこの時期の、気心の知れたメンバーでしか奏でられない、インスピレーションに満ちたアンサンブルで、ユーミンの音楽世界を彩っていく。

    林のドラミングは、一聴するとシンプルに聴き過ごしてしまうような場面でも、細かい変化やアイディアに富んだフレーズを織り込んで、変幻自在に抑揚を導く。そのプレイを林は「譜面上は1番と2番がリピートでも、まったく違うことをしている。2度と同じことが出てこない不思議なサウンドであり、そのようなアプローチを楽しんでいた」と解説している。このメンバーを中心に据えたレコーディングは2ndアルバムの『MISSLIM』(74年)、3rdアルバムの『COBALT HOUR』(75年)へと続き、数々の名曲たちを、さらに磨きがかかった発想豊かなプレイでバック・アップする。通常の感覚では大胆過ぎると思えるフレーズを、流れに違和感なくフィットさせるセンスも見事であるが、それは研ぎ澄まされたリズム感と豊かなイマジネーションがあってのものだろう。そのサウンドは今聴いてもまったく色褪せることなく斬新に響いてくる。

    また75年に発売されたシングル「あの日にかえりたい」でユーミンは初のオリコン・チャート1位を獲得するが、この曲では「スティックを落としているのでは?」との疑惑を持たれている瞬間がある。後半のサビで繰り出した盛り上がりのフィルインで、一瞬プレイが止まって空白になるのだが、これに関して林は、「その箇所は失敗で…それだけ無謀なことをしていたってこと」と本誌の1999年11月号で述べているが、それにも関わらずOKテイクに採用されてしまう、エモーショナルな瞬間芸術的プレイは、マニアの間では伝説的に語られている。

    荒井由実の名義としてリリースされた最後のアルバムとなる4枚目の『14番目の月』(76年)では、ジェイ・グレイドンやデヴィッド・フォスターとの仕事でも知られる、LAの売れっ子スタジオ・ドラマー、マイク・ベアードを起用。“容赦のない大きな音と大きなリズム”がユーミンの印象に深く残っているそうであるが、タイトル曲「14番目の月」の太く邁進感のある8ビートや、「中央フリーウェイ」や「天気雨」の躍動感に満ちた16ビートのリズム・アンサンブルは鮮烈であった。ちなみにリズム録りは、予定を遥かに上回る順調さで進み、4日間であっという間に全曲を収録。ワールド・クラスの仕事の速さにも驚いたという。

    売れっ子達と作り上げた松任谷由実名義の初期作/『紅雀』〜『LARM à la mode』

    その後、76年に松任谷正隆と結婚したユーミンは、松任谷由実の名義で5thアルバム『紅雀』(78年)をリリース。ドラムは再び林 立夫が全曲担当するが、それ以降は、林を軸にして『流線型’80』(78年)で渡嘉敷祐一、『OLIVE』(79年)では村上“ポンタ”秀一、高橋幸宏といった売れっ子スタジオ・ミュージシャンを適材適所に起用していくスタイルとなる。80年にリリースされた9thアルバム『時のないホテル』では、林と渡嘉敷に加えて、79年のユーミンのツアーに参加していた青山 純も起用されている。詳細なクレジットはないが、「セシルの週末」の弾力の効いた低重心のビートや、7分以上に渡る大曲「コンパートメント」におけるドラマティックなドラミングは、青山の個性が存分に発揮された名演と言えるだろう。ただし青山はこの頃から山下達郎バンドのレギュラー・メンバーとなるために、これ以降の作品では名前がない。

    80年代に入ってリリースされた『水の中のASIAへ』(81年)、『昨晩お会いしましょう』(81年)、『PEARL PIERCE』(82年)では名手、島村英二も林と共に名前を連ねる。『昨晩お会いしましょう』に収録された、映画「ねらわれた学園」の主題歌として大ヒットした「守ってあげたい」は、島村のプレイによる曲。緩急の効いたリズム・ワークと温かみのある音色で展開をドラマチックに導き、楽曲の個性を大いに引き立てている。

    その後の『REINKARNATION』(83年)、『VOYAGER』(83年)、『NO SIDE』(84年)では再び林のみが起用され、85年発表の『DA・DI・DA』では久しぶりにマイク・ベアードが参加。M1の「もう愛は始まらない」はマイクのプレイと思われるが、ロック魂溢れる音圧の高いビートで、楽曲を力強く鼓舞するプレイが印象的。そして86年にリリースされた18thアルバム『ALARM à la mode』では林に加えて、山木秀夫と当時ユーミンのツアー・メンバーであった江口信夫がレコーディング初参加となった。

    70年代のデビューから80年代中頃まで、メイン・ドラマーとしてユーミンのサウンドを支え続けてきた林は、この後に音楽活動を一時休止するため、オリジナル・アルバムへの関わりはこの『ALARM à la mode』以降は途絶えている(後編へと続く)。

    本日10月13日発売のギター・マガジン2022年11月号では「ユーミンとギタリスト」と題した表紙特集を展開。そのサウンドを彩ってきた鈴木 茂、吉川忠英を筆頭に、市川祥治、遠山哲朗らギタリスト達のインタビューを掲載。さらに松任谷由実本人もギター・トークを繰り広げる、永久保存版の内容となっている。詳細はこちら→HP

    『ユーミン万歳!~松任谷由実50周年記念ベストアルバム~』/特設 HPはこちら