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【R.I.P.】Archive Interview−メルヴィン・パーカー

  • Interview:Shinobu Tanno/Norio Watanabe

60年代のジェームス・ブラウンを支えた名ドラマー、メルヴィン・パーカーが去る12月3日に天に召された。享年77歳。1964年に兄でサックス奏者のメイシオ・パーカーと共にジェームス・ブラウンのバンドに加入。「Papa’s Got a Brand New Bag」、「I Got You (I Feel Good)」などの名演を残し、JBファンクの確立に貢献。後のドラマー達に影響を与えた。偉大なるドラマーに哀悼の意を表し、ここでは1992年2月号で実現した対面インタビューの一部を再編集を加えて掲載。心よりご冥福をお祈りいたします。

僕らはJBの最も重要な時代を担った

●ジェームス・ブラウンとは、どういうきっかけで一緒に活動するようになったんですか?
メルヴィン
 この話をすると歳がバレちゃうんであまり気が進まないんだ──歳を取るって、そんなに悪いことなじゃないけど(笑)。確か僕が大学1年生のとき、62年頃だったかな、当時週末にクラブなどで演奏していたんだけど、ある日ジェームス・ブラウンをはじめ、オーティス・レディング、ベン・E.キング、リトル・ウィリー・ジョンといった大物が集まってね。それでジェームスが一緒にやらないかって誘ってくれたんだ。でも家に帰って父親に聞いたら「ダメだ」って言うんで、しばらくそのまま大学に通うことにした。1年後、同じ大学に通っていたメイシオと一緒に休学してジェームス・ブラウンのバンドに参加することにしたんだよ。いずれ学校に戻って自分達のバンドを作るつもりでいたんだけど、結局メイシオは永久に休学することになった(笑)。僕は何とか学校に戻ったけど、メイシオはフルタイムのミュージシャンになったわけだ。僕は今、学校で教師として働いているから、ドラムはパート・タイムの仕事だ。一般教養を教えている。

●当時の活動状況について教えてください。
メルヴィン
 ジェームス・ブラウンとの初めてのレコーディングは「Out of Sight」という曲で、「Papa’s Got A Brand New Bag」、「Grits & Soul 」など、その後もいろんなレコーディングに参加した。ジェームスの音楽はクリーンで、バンドのメンバーもみんなユニークな発想を持ち合わせていたから、すごく楽しかったよ。メイシオも僕もばっちりハマったという感じだった。

●メイシオ&オール・ザ・キングス・メンはどのあたりから登場するのですか?
メルヴィン
 そのバンドはジェームス・ブラウン・グループのメンバーらによって結成されたもので、70〜71年頃だったかな。ちょうど僕の兵役が終わった後だった。

●兵役についてたんですか?
メルヴィン
 そう、3年間。うち1年間はベトナムに行ってたんだ。ま、ともかくメイシオ&&オール〜はジェームス・ブラウンのバンドのメンバーらによって結成されたものだから、そこで代わりにブーツィー・コリンズやその他の連中がジェームス・ブラウン・グループに加わることになったんだ。その頃からジェームス・ブラウンは昔の音作りを再現しようとして、同じことを繰り返しているような気がする。

●ジェームス・ブラウンは、その昔の音を再現できなかったみたいですね?
メルヴィン
 音楽を楽譜にすることはできても、そこにあるフィーリングまでは書き留めることはできない、ということだよ。そのフィーリングは、個々のミュージシャンによって決定づけられるわけだ。楽譜通りに音を出しても、そこにフィーリングがなければ音楽じゃないよ。ジミー・ノーランらのギターは、そう簡単に再現できるものじゃない。メイシオのサックスも然り。曲を作ったメンバーがみんなメイシオ&オール〜に参加してしまったから、ジェームス・ブラウンも困っただろう。

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