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コージー・パウエル:証言で辿る元祖ドラム・ヒーローの哲学|過去インタビュー集【Special Archive】
- Photo:Fin Costello/Getty Images
本日4月5日は1998年にこの世を去ったコージー・パウエルの命日。レインボー、マイケル・シェンカー・グループ、ブラック・サバスなど数々のバンドを渡り歩いた、元祖ロック・ドラム・ヒーロー。生前にドラム・マガジンで行った、彼の貴重なアーカイヴ・インタビューの一部はWebで公開中で、いずれも重要な証言だが、これらはキャリア全体のほんの一部に過ぎない。本企画ではサブスク会員サービスの「バックナンバー読み放題」で読むことができる関連記事をピックアップ。誌面に残された数々の発言とディテールから、コージーのドラム哲学が感じられるだろう。
■まず読むべき1本:Interview from 1996 “Cozy’s Career”

『Rainbow Rising』は自分がやった中で
ベストと言える1枚だと思う
みんながあれを死ぬほどコピーしてくれている
本当に誇らしいよ
●ジェフ・ベックと組むようになったのは?
コージー:ジェフの当時のマネージャー、ピーター・グラントに、バーミングハムのマザーズ・クラブのマネージャーだったフィル・マイアットが推薦してくれたんだ。”バーミングハムに良いドラマーが2人いる”って。それは1人がジョン・ボーナムで、もう1人が俺。みんなも知っているように、その後のことは歴史が物語っていると思うけど、当時のジョンはザ・ニュー・ヤードバーズとのギグが入ったところだったね。
【Note】没後15周年の節目となった2013年4月号の表紙特集で掲載した、そのキャリアを総括した1996年のロング・インタビュー。参加作品、プレイ哲学、現場での判断基準までを語り尽くした最重要資料と言える。
◉記事はこちら→https://backnumber.drumsmagazine.jp/#/content/391
■初期〜ブレイク期:ハードロック・ドラマーとしての確立

ツーバスを始めたのは1966年から
「うるさすぎるからワンバスにしてくれ」
なんてセッションでは言われたり……
●ドラム・プレイを始めたきっかけは?
コージー:ドラムを叩き出したのは12歳のときかな。スクール・バンドに参加してスネア・ドラムを叩いていたんだけど、どうも力が強すぎていつも叩き壊しているという調子だった。そのうち「ヤツに叩かせるのは危険だ」なんていう悪評まで立つようになってしまったよ。学校を出たら就職してお金を貯めて、ドラム・キットを買い込んだ。
【Note】本誌創刊2号目で、コージーが表紙を飾った1983年のインタビュー。ドラマーとしてルーツや現場で求められる役割、プロとしてのスタンスを明かしている。
◉記事はこちら→https://backnumber.drumsmagazine.jp/#/content/152
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俺はハード・ロック・ドラマーさ
それが自分のスタイルなんだよ
【Note】セッション・ワークやスタジオでの経験を通じて、自身のスタイルを確立していく過程を語った1990年冬号のインタビュー。こちらはドラマガWebにて内容を公開中↓
■ブラック・サバスとコージー:セッション・ドラマーの流儀

数年間いろんなセッションをやってみて
やっぱりヘヴィなやつが一番と実感した
●ヘヴィ・ロックとヘヴィ・メタルはあなたの音楽スタイルにどんな意味を持っていますか?
コージー:わからないな。みんな、音楽を分類するのが好きだよね。僕はいつもヘヴィ・スタイルの音楽でプレイしているけど、スラッシュ、スピード、グラムなど今は種類が多過ぎて、ヘヴィ・メタルの意味がどうもわからないな。ヘヴィは確かに意味があるけど、メタルってどこからきているんだろう。明らかにポップ・ミュージックじゃないから、分類するならヘヴィという意味だろうね。
【Note】ブラック・サバス加入後、1989年7月号のインタビュー。さまざまなセッションに関わって、再びバンドに戻った喜びが感じられる内容で、「僕の一番の持ち味を生かしているよ」とも語っている
◉記事はこちら→https://backnumber.drumsmagazine.jp/#/content/108

スティーヴ・ガッドやデイヴ・ウェックルとかの
演奏を聴くとインスパイアされるんだよ
彼らの音楽にインスパイアされたその後で
自分のやっているロック・スタイルに移行するんだ
●馬で怪我したんだって?
コージー:馬を4頭飼っているんだけど、去年の7月にホース・ショーで、そのうちの一頭と並んで立っていたら、突然、馬が痙攣発作を起こして倒れたんだよ。これがかなりでかい馬で、体重が500kg以上もあったんだよ。馬の頭が俺の両腕の上に落ちてきて、馬の体重に押しつぶされるような格好で、床の方に向かって倒れたんだ。馬の体重と車の狭間という悪条件のせいで、背骨がまっぷたつになったんだけど、考えたらそれでも不幸中の幸いだったかもな。あと5cmほどずれていたら背骨が折れてもっと危険だったんだ。
【Note】1992年6月号に掲載されたインタビュー。事故後からの復帰とブラック・サバスを離れて、ブライアン・メイとの活動へと至った、キャリアの転機に迫る証言。
◉記事はこちら→https://backnumber.drumsmagazine.jp/#/content/122

これまでの活動には満足している
後悔するようなことはまったくない
●もし過去の出来事を何か1つ変えられるとしたら何を変えますか?
コージー:うーん、多分何も変えないだろう。というのもキャリア的には結構面白かったし、まだ叩き続けているけけだし…。このキャリアをスタートさせるのが一番大変だったと思う。ドイツのいろんなクラブでプレイしていたんだけど、週7日間、1日8時間やっていた。それが半年も続いたんだ。
【Note】ブラック・サバス再加入後、1995年8月号のインタビュー。バンド復帰の経緯や使用している機材、そして「リッチー・ブラックモアからレインボーの再結成を持ちかけられたら?」という質問に答えるなど、多岐に渡った内容となっている。
◉記事はこちら→https://backnumber.drumsmagazine.jp/#/content/171
■晩年/指導、機材への思い:キャリアの全体像と哲学

レインボーやホワイトスネイク
ブラック・サバス、イングウェイといった
自分の自然なプレイができる場では
コージー・パウエルのスタイルで叩いている
●若いドラマーで“いいな”と思える人は?
コージー:それはしょっちゅう聞かれる質問だけど、若いドラマーにはあまりお目にかかったことがないんでわからないんだ。今のイギリスにだって新しいバンドはたくさん出て来ているけど、20年前のものを単にコピーしているだけだから、そういうのは聴かないんだ。ここ10年間でいいなと思えるドラマーには巡り合っていないね。探してはいるんだけど、これはすごいというのはいない。いまだにサイモン・フィリップスやテリー・ボジオといった確立されたドラマーにインスパイアされているのが本当のところだ。
【Note】亡くなる前年となる1997年11月号に掲載されたインタビュー。参加したイングウェイ・マルムスティーンの『フェイシング・ジ・アニマル』リリースに関するインタビューだが、自身のソロ・ベストが発売された直後ということで、キャリア全般について語った内容となっている。
◉記事はこちら→https://backnumber.drumsmagazine.jp/#/content/251
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パワーの秘訣?
クールに、そして楽しんでやればいいんだよ
【Note】Yamahaが主催していたビッグ・ドラマーズ・キャンプに参加した1990年10月号のインタビュー。講師として来日したしたこともあり、後進への考え方や指導スタンスが垣間見える貴重な内容。“伝える側”としてのコージー像に迫る。こちらもドラマガWebにて内容を公開中↓
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新しいカスタム・モデルは
ハード・ヒッターの僕にピッタリだ
●スティック
コージー:僕は他のドラマーと比較するとかなりのハード・ヒッターだから、それに合わせてヤマハにカスタム・スティックを作ってもらったよ。野球のバットみたいだから、君達が見たら笑っちゃうと思う。そんなものでプレイするから、ドラム・セットもそれに耐えらえるものじゃないとね。
【Note】ラストは機材に焦点を当てた1989年7月号掲載の「My Tools」。ドラムやシンバル、スティックについてはもちろん、ヘッド&チューニングやモニターに至るまで、コージーが自身の機材についてディープに語る、かなりレアな内容となっている
◉記事はこちら→https://backnumber.drumsmagazine.jp/#/content/108
コージー・パウエルの全体像は
バックナンバー読み放題で体感せよ
ここで紹介した内容は、あくまで一部に過ぎない。誌面には、コージー・パウエル自身の言葉で語られた、より詳細な証言と実践的なディテールが収められている。断片ではなく“全体像”として、そのキャリアをぜひ体験してほしい。
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