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    【ドラマガ本誌22年4月号】菅沼孝三氏 追想インタビュー – 芳村一実[天地雅楽]

    手数王とは言いつつ
    それは楽曲の時と場合で使い分けていて
    楽曲のイメージを阻害、邪魔するようなことは絶対にありませんでした

    好評発売中のドラマガ本誌22年4月号でお届けしている菅沼孝三氏の追悼特集では、「共演アーティスト&ミュージシャンが語るドラマー、菅沼孝三の魅力」と題したコーナーにて、ASKA、稲垣潤一をはじめ、彼と共演した錚々たるアーティスト&ミュージシャンに氏との思い出を語ってもらった。その中から、孝三氏とドラム・コンテストも共同開催した、現役の神職と神社奉職者から成る音楽ユニット=天地雅楽の代表で、大阪・吉川八幡神社の宮司を務める芳村一実へのインタビュー内容をWeb公開!

    ●菅沼孝三さんと初めて出会ったのはいつ頃ですか?

    芳村 12年ほど前にワールド・ミュージック系のイベントで一緒になりました。天地雅楽と同じ日に別のグループで孝三さんも出演されていたんです。彼は天地雅楽をあらかじめ知っていたようで、趣味のライカで写真を客席からたくさん撮影していました。そのライヴ写真のデータをいただいたことをきっかけに、新大阪でモーニングをご一緒したりするようになりました。

    ●孝三さんは天地雅楽のレコーディングにも参加していましたが、どのようないきさつで孝三さんに演奏してもらうことにしたのでしょうか?

    芳村 天地雅楽はプログレ変拍子系の音楽をやっているんですが、天地雅楽として独自の音楽性や技術、クオリティを保持しつつ、何かしらの進化を表現したアルバムをリリースしたいと考えていまして、そこでなら孝三さんの演奏スタイルをフルに発揮できるのではないかと思い、声をかけました。ちょうど東日本大地震があった頃ですね。沖縄へ行かれていたのでメールで打ち合わせをしたのを覚えています。なので、孝三さんが参加した楽曲は彼を想定した書き下ろしです。

    一見すると聴きやすい、テレビなどで流れやすいメロディを心がけつつも、途中からトリッキーな変拍子は必ず組み込んでいました。ドラム・パートは、基本的には私がV-Drumsでデモ演奏を入れて、そのパターンだけは踏襲してもらいました。もちろん、リズム・パターンのバリエーション展開や、フィルインなどはすべて孝三さんにお任せしました。

    ●芳村さんが構想したドラム・パートを孝三さんに再現してもらったのであれば、孝三さんに演奏してもらう上で、留意したことは何でしょうか?

    芳村 スリップ・ビートなどは私がディレクターとして完全に明確なパターンで指示を出していました。ゴーストの入れ方や、ハットの16分刻みに16分3連を入れるところまでディレクションをしています。孝三さんがパターンを複雑にしていくことは、彼の個性として想定の上で楽曲制作をしていましたので、それらを踏まえた上でお任せしていました。

    ●2020年9月に行った天地雅楽でのレコーディングが、孝三さんの最後の録音になったと聞いています。術後3ヵ月ほどだったと思いますが、そのときはどんな様子でしたか?

    芳村 その頃には病状は深刻な状況に進行しており、すでに外科手術などで手がつけられる状態にありませんでした。痛みを抑えることしかできず、それでも癌の転移で激痛が走るようで、呼吸も浅くなっていたように思います。なので、長時間のレコーディングをなるべく避けるようにしました。ただ、孝三さんの思いとしては、すべてを出し切りたいとのことで、ローディー2名とフル・セットを組み上げて、最期のレコーディングに臨まれました。

    休憩も挟みながらでしたが、6曲をそれぞれ2テイクくらいで仕上げてくれました。体力消耗を極力抑えるために、何度も何度もイメージ・トレーニングと採譜をされて録音に臨んでくださったそうです。テクニック面では何の衰えもミスもありませんでした。いつもの完璧なテイクでしたね。どのテイクを採用してもリリースできるほどで、データはすべて残してあります。

    ●孝三さんとはステージでも共演されていると思いますが、一緒に演奏して印象に残っていること、驚いたことなどがあれば教えてください。

    芳村 ステージでは「レコーディング音源を上回るものを」という意識のもとに一緒に演奏していました。ですので、予測を上回るプレイのキャッチボールといった感じでお互いに演奏を楽しんでいました。うまく決まった際にはチラッと目を合わせ笑顔になったことが印象に残っています。

    パフォーマンス精神は旺盛なのですが、一方で、1人の時間やシンキング・タイムも大切にされていて、あまり多く話さず寡黙に音楽に向き合っていて、そこには社会的な孝三さんのイメージとのギャップを感じましたね。

    ●普段の孝三さんはどんな方でしたか?

    芳村 子供を可愛がってくださり、一緒に旅行や食事などをしていました。カメラ……特にライカが趣味だったので、よく当社(吉川八幡神社)の景色を撮影されたりしていたように思います。社叢(鎮守の杜)は国指定天然記念物でしたので、よくカメラを向けておられました。吉川八幡神社では菅沼孝三さんの病気平癒と延命祈願……その段階ではもはや病気の快気祈願ではありませんでしたが、平癒の祈願を繰り返し、御祈祷や御祓いをしていました。

    そして、本当に眠らない人でした。深夜に楽曲が完成し、ピアノだけの状態でデモを送っても、すぐに私のイメージ通りのリズム・パターンを組んでいました。

    ●芳村さんから見た“孝三ドラミング”の魅力は?

    芳村 手数王とは言いつつ、それは楽曲の時と場合で使い分けていて、楽曲のイメージを阻害、邪魔するようなことは絶対にありませんでしたし、期待を必ず上回るようなドラミングを心がけておられたように思います。レコーディング・ドラマーとしては至って冷静で、頭で考えてドラムを叩いている方でしたよ。

    ●今、あらためて孝三さんに言葉をかけるとすれば?

    芳村 うーん、あらためて言葉をかけるなら「無理しなくてよかったのにね。嘘もバレッバレだったと思うよ。でも、周りが“完全復活”だとか“不死身”だとかってもて囃すから、それに応えようとし過ぎたんじゃない? もっと休んでほしかったな。還暦前から不調が出てたのに……。サービス精神が旺盛だもんね。1人で葛藤してたよね」という感じでしょうか。

    ただ、吉川八幡神社に菅沼孝三毘古人力威ノ命としてお祀りさせていただいておりますので、毎日お祈りと対話をしているんです。ですから、まったく寂しいという感情はありませんね。私は納棺から葬儀まで現場に立ち会っておりましたし、もちろん実感も認識もありますけど。そして、吉川八幡神社は音楽の神様(弁財天)でもありますので、菅沼孝三の御霊がドラム守護神として祀られることも日本人の信仰的感覚だと感じています。

    現在、菅沼孝三の御霊を神としてお祀りする神社を建立中で、能舞台の構造と様式を取り入れています。実は、神社の太鼓庫に孝三さんのドラム・セットをお預かりしていました。まだ少し機材が残っていますので、それをそのまま神社にしたという感じです。