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    Charlie’s History 〜ジャズを愛し、ロックンロールを叩き続けたジェントルマン〜

    • Text:Kazuaki Yokoyama

    本日8月24日は昨年急逝されたザ・ローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツの命日です。ここでは彼を偲んで、2022年1月号でお届けした追悼特集の中から、チャーリーが歩んだ80年の人生を振り返ったバイオグラフィを転載。アレクシス・コーナーズのバンドで叩いていたチャーリーに、ストーンズのメンバーが声をかけて、63年に加入したというストーリーは多くの人が知るところだが、ここではそれ以前のチャーリーにも焦点を当て、そのルーツを追想していく。

    ■ストーンズ加入以前のチャーリー

    チャーリーの本名は、ロバート・チャールズ・ワッツ(Robert Charles Watts)。1941年6月2日、ロンドン北西部のブルームスベリーにて、イギリス国鉄に勤めていた父のチャールズと母のリリアンの間に生まれ、妹のリンダと共にウェンブリーにて育つ。12歳の頃、おば夫婦が持っていたレコード・コレクションの中からアール・ボスティックの『Flamingo』を聴き、ジャズに興味を持つ。ジャズはチャーリーが初めて意識して聴いた音楽だった。初めて自分で買ったレコードはビリー・エクスタイン。次に買ったジェリー・マリガンの『Walking Shoes』でチコ・ハミルトンのブラシ・ワークに魅せられ、ドラムへ情熱を傾けていくこととなる。初めて手にした楽器はバンジョーだったが、そのネックを外し、スネア・ドラムに見立てて叩いていたそうだ。初めてドラム・セットを手にしたのは14歳のときで、両親からのクリスマス・プレゼントだった。

    17歳の頃から、Flamingo Clubなどのジャズ・クラブに出入りするようになり、ハロー・スクール・オブ・アートで3年間学んだ後に、グラフィック・デザイナーとして広告代理店、チャールズ・ホブソン・アンド・グレイに勤務。同じ頃、ブルース・バイ・ファイヴというジャズ・コンボに参加。62年初頭、デンマーク勤務を終えロンドンに戻ると、かねてから誘いを受けていたブリティッシュ・ブルースの父、アレクシス・コーナーのバンド、ブルース・インコーポレイテッドに加入。バンドはロンドンのシーンで人気を博し、後のローリング・ストーンズの面々ともアレクシスとの活動を通じて出会っている。しかし、ジンジャー・ベイカーが仕事を探しているという噂を耳にし「彼のような素晴らしい才能を持った人が仕事をしていないのに、僕がこのバンドにいるのはおかしい」と、ドラマーの座を譲ってしまう。ジンジャーが参加する最初のリハーサルでは、ドラム・セットのセット・アップもチャーリー自ら手伝い、ジンジャーは深く感謝したという。一方、ジンジャーは親交のあったブライアン・ジョーンズに対し、ストーンズにはリズム・セクションが必要だと提案。その後、なかなかドラマーが決まらない様子を見て「チャーリー・ワッツを雇ったらどうだ」と推薦。そして63年1月9日、チャーリーはストーンズに加入。デザイナーの仕事を辞め、プロ・ミュージシャンとしての道を選び、同月12日にEaling Jazz Clubにて、初めてストーンズとしてステージに立ち、そして6月7日「カム・オン」でレコード・デビュー。その後のバンドの歴史は周知の通り。