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9月25日は、レッド・ツェッペリンのドラマー、ジョン・ボーナムの命日。1980年に32歳の若さでこの世を去ってから46年、その革新的なドラミングは現在もなお、世界中のドラマーに多大な影響を与え続けている。では、そのボーナム自身は、どのようなドラマーや音楽から影響を受けていたのだろうか。ここでは、ドラマガ2025年10月号の「ボンゾ特集」に掲載した、『Modern Drummer』1996年1月号の記事から、ボーナムに影響を与えたドラマー/音楽について綴られたパートを転載。メンバーの証言と共に、“ボンゾ”のドラミングを形作ったルーツを振り返る。
カーマイン・アピス、バディ・リッチ……
ボンゾを形作ったドラマーたち
当時のLed Zeppelinの周囲の人達は誰もが、カーマイン・アピス(*1)がボーナムの良き友人であり、影響を与えた重要人物として挙げている。Vanilla FudgeはLed Zeppelinのアメリカ・ツアーで共演しており、ロバート・プラントはカナダのエドモントンでの出来事を覚えている。
「ある牛小屋で、ビール・シートの下には乾いた牛の糞の匂いが漂っていたんだ。『How Many More Times』をプレイしていて途中で振り返ると、ジョンジー(ジョン・ポール・ジョーンズ)とボンゾが途中で(ティム)ボガートとカーマインと入れ替わっていてね。すごく楽しかったよ」(ロバート・プラント|RP)。
ボーナムは70年代のフュージョン・ドラマー、アルフォンス・ムゾーン(*2)のプレイを目撃していて、彼のことを頻繁に口にしていた。またバーナード・パーディ(*3)のことも注視していて、それは「Fool In The Rain」に自分なりに取り入れていたちょっとした装飾音からも感じ取れる。あとはジム・キャパルディ(*4)、エインズレー・ダンバー(*5)、それにリー・マイケルズとドラムの編成でプレイしていた、“フロスティ”(バリー・スミス/*6)と呼ばれるドラマーにも影響を受けていた。
ボーナムのソロを見ればすぐにわかる影響が1つあり、それはバディ・リッチ(*7)だ。プラントはこう振り返っている……「バディ・リッチは俺達全員にとって常に大きな存在だった。彼の個性やアティチュード、そしてプレイ・スタイルは基本的に俺達と似たところがあったけど、彼は俺らの28年も先を行っていた。時にはかなり激しく、でも同時にいとも簡単に叩いていたんだ!」(RP)。
ジンジャー・ベイカー(*8)も重要な影響を与えていた。ボーナムがベイカーから得たのは、特に「Moby Dick」で顕著な、タムを使った民族的なアプローチだ。恐らくそこには伝説的なイギリスのジャズ・ドラマー、フィル・シーメン(*9)の影響もほんの少しは含まれているだろう。
ジェームス・ブラウンとモータウン――
ボンゾは「ソウル・ドラマー」だった
また、しばしばボーナムはドラマーそのものよりも、特定の曲から影響を受けることが多かった。ジョン・ポール・ジョーンズは次のように語っている。「彼はジェームス・ブラウンの曲やモータウンの曲、アル・グリーンがかなり好きだったし、特定の曲で誰がドラムを叩いていたのかはあまり関係なくて、ジョンは本当にソウル・ドラマーだったんだ」(ジョン・ポール・ジョーンズ|JPJ)。
そしてプラントもこう同意する。「『Physical Graffiti』や『Presence』の頃には、彼は(ドラミングの音を真似しながら)あの忙しくて転がるようなドラミングを全部捨てて、ウィリー・ミッチェルやアル・グリーンとプレイしていたアル・ジャクソンJr.(*10)を聴いていた。ジョンは“Less is More”と信じていたんだ。「I’m Gonna Crawl」、「All of My Love」、「In The Evening」なんかを聴けばわかるけど、ドラムはかなりブラックなんだよ」(RP)。
ジョン・ポール・ジョーンズが話すように、ジェームス・ブラウンは大きな影響だったが、恐らくそれに逆行することもあったかもしれない。少なくとも一度はあった。1970年、Led Zeppelinはニューポート・ジャズ・フェスティバルにブッキングされていた。ジェームス・ブラウンも同じ出演者リストに入っていた。ジョーンズはこう覚えている。
「ボーナムがサウンド・チェックに上がったら、ジェームス・ブラウンのドラマー3人が近づいてきたんだ。彼らは周りに他にもドラマーがいるんじゃないかと探し回っていた。なぜならボーナムのサウンドは彼ら3人でやっているものにそっくりだったけど、でも彼は1人だけだったから! そして彼らはただ口をポカンと開けて立っていた。ボーナムは気づかないフリをしていて、ちょっと見せびらかしていたんだ」(JPJ)。
ボンゾが認めた同世代の盟友
デイヴ・マタックス
私がジョン・ポール・ジョーンズにバラード好きであることを伝えると、こう返してくれた。「ボンゾもそうだったよ。あのモータウンのグループ、The Stylisticsだっけ? 彼らはスウィートなバラードばかりやっていて、ボンゾは歌詞を全部覚えていたんだ」(JPJ)。
もちろんゆったりとしたテンポでは、盛り上がったり、呼吸したりする余地がドラムに最も与えられる。これが恐らくボーナムがもう1人のスロー・テンポの達人、Fairport Conventionのデイヴ・マタックス(*11)を評価していた理由の1つだろう。
ジョン・ポール・ジョーンズも「ボンゾはいつもデイヴ・マタックスが好きだった。堅実で絶対にブレなくて、無駄がなく、必要なことだけをやるけど、それでいてグレイトなフィーリングが伴っていた」(JPJ)と認めている。
プラントも「ボンゾはマタックスと仲が良かったけど、性格的には正反対の2人だった。あそこまで正反対の2人っていうのはなかなか目にすることはないだろうけど、お互いを好きだったし、ボンゾはマタックスのスタイルを真似しなかったものの、彼のことをすごく認めていたんだ」(RP)と同じ賛辞を送っている。
A Way of Lifeでジョンとプレイしていたベーシストのデイヴ・ペグ(DP)は、初期の頃にマタックスをボーナムの家に連れて行ったことを回想する。「ジョンは息子のジェイソンにLudwigのミニチュアのドラム・キットを買ってやっていた。当時まだ7歳くらいだったけど、ジェイソンはそのキットの後ろに座り、「Walk A While」(Fairport Conventionのアルバム『Full House』収録)を叩いていたんだ。レコードでデイヴ・マタックスがやっていたことを全部再現していた。ジョンがどれだけデイヴ・マタックスのファンだったかってことだよね。息子にFairportの曲の1つを教えてやっていたんだから。もちろんその気持ちを互いに持っていたってわけだ」(DP)。
◉文中に登場するボンゾに影響を与えたドラマーたち
*1 カーマイン・アピス:ジョン・ボーナムに影響を与えたヴァニラ・ファッジのドラマー。ボンゾがラディックと契約するきっかけを作った。
*2 アルフォンス・ムゾーン:ウェザー・リポートのドラマーとして活躍し、1970年代のジャズ/フュージョン・シーンを牽引した1人。
*3 バーナード・パーディ:アレサ・フランクリン、キング・カーティス、ジェームス・ブラウンを筆頭に、R&B、ソウルの傑作に名演を刻んだ凄腕セッション・ドラマー。
*4 ジム・キャパルディ:イギリスのロック・バンド、トラフィックのドラマー兼シンガー。ボンゾとも縁深い同郷のドラマー。
*5 エインズレー・ダンバー:ジョン・メイオールやフランク・ザッパ、ジャーニーなど数々のバンド/アーティストを渡り歩いた実力派ドラマー。
*6 バリー“フロスティ”スミス:アメリカ出身のシンガー・ソングライター&鍵盤奏者=リー・マイケルズを支えたドラマー。
*7 バディ・リッチ:ドラムの歴史を変えたジャズ・ジャイアントの1人。圧倒的なテクニックで世界中の演奏家に衝撃と影響を与えた伝説の存在。
*8 ジンジャー・ベイカー:クリームのドラマー。ボンゾの先輩格に当たる存在で、彼のドラミング・スタイルに直接的な影響を与えた1人。
*9 フィル・シーメン:ジンジャー・ベイカーの師匠。イギリス最高のジャズ・ドラマーと称され、ブリティッシュ・ロック・バンドのドラマーに大きな影響を与えた存在。
*10 アル・ジャクソンJr.:ブッカーT.&ザ・MG’sのドラマーで、スタックス・レーベル専属のドラマーとして、オーティス・レディング、アル・グリーンら多くの作品でプレイ。
*11 デイヴ・マタックス:ブリティッシュ・フォーク・バンド、フェアポート・コンヴェンションのドラマー。ボンゾと特に親交の深かったドラマーの1人。
*本原稿は、2025年10月号「ボンゾ特集」に掲載した『Modern Drummer』1996年1月号の記事を一部転載したものです。記事の全文はバックナンバー読み放題(月額990円/いつでも解約可能|こちら)でぜひ!
