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    世界を魅了した女性ドラマー、カレン・カーペンター 〜Karen’s Biography ♯2

    • Supervised by Richard Carpenter
    • Text:Cozy Miura
    • Photo:Koh Hasebe/Shinko Music(Getty Images)

    昨日2月4日はカーペンターズのヴォーカル、カレン・カーペンターの命日。1983年に32歳の若さでこの世を去ってから40年の節目を迎えました。昨日公開したバイオグラフィ前編に続く後編は、カーペンターズが世界を席巻する70年代からカレンが亡くなる80年代を振り返りながら、そのドラマーとしての魅力にフォーカスした内容です。

    ドラマーとヴォーカリストの狭間で

    デビュー・シングル「Ticket to Ride」はまずまずの売上げだったが、70年、2作目の「Close to You」は大ヒットを記録し、一躍その名を世界に知られるようになった。同年11月にはヤマハ主催の“第一回国際歌謡音楽祭”にゲストとして初来日し、各方面から絶賛を浴びた。

    その後もカーペンターズは「We’re Only Just Begun」、「Rainy Days and Mondays」、「Superstar」、「 Top of the World」、「Yesterday Once More」、「I Need to be in Love」など、ヒットを連発した(アルバムでは、71年に『Carpenters』、72年に『A Song For You』、73年に『Now & Then』を発表)。そして、72年と74年に再び来日を果たした。

    特にその人気のピークでもあった74年のコンサートは、ハガキで応募し、抽選による当選者のみにチケットを販売するという方法がとられたが、その応募総数は38万通を超えたというのだから当時のカーペンターズの人気のほどがうかがえよう。

    しかし、その人気は一方ではカレンをドラマーの座から徐々に遠ざけていったのだ。初来日のステージでは演奏時間が短かったこともあってか、カレンは全曲ドラムを叩きながら歌っていたが、74年にはサポート・ドラマーを配し、曲によってツイン・ドラムになり、申し訳程度にカレンのドラムをフィーチャーするといったショウ的要素の濃いステージ構成へと移り変わっていったのだ。

    おそらく、カレンはもっとドラムを叩きたいと願っていただろう。来日公演でドラムを叩いているときの楽しそうなカレンの笑顔がすべてを物語っているように思えてならない。

    栄光の裏側で

    日本では社会現象とまで言われたカーペンターズ人気は、その後も衰えることはなかったが、75年には予定されていた来日コンサートはカレンの病気のため翌年に延期されることとなり、リチャードが1人で来日しファンに謝罪。その頃のカレンは神経性無食欲症(拒食症)という摂食障害を患い、メジャー・ツアーができる状況ではなかったのだ。

    同年、アルバム『Horizon』、76年には『A Kind of Hush』をリリース。また76年は延期されたコンサート・ツアーを行うため再度来日を果たした年でもある。77年にはアルバム『Passage』、78年には『Christmas Portrait』をリリースしたが、この間カレンとリチャードはレコーディングとテレビの特別番組3本の収録に集中するため、ツアーを一時休止していた。

    その頃のカレンとリチャードは静養を要する健康状態だったが、長い間ソロ・アルバムの制作を望んでいたカレンは、著名なプロデューサー、フィル・ラモーンとレコーディングに入ることを決めた。プロジェクトは79年中頃から80年初めまで続いた。しかし、カレンはさまざまな理由により、完成したソロ作のリリースを断念する(アルバムはカレンの死後96年にリチャードの承諾のもとリリースされた)。

    81年にはアルバム『Made ln America』をリリースし「Touch Me When We’re Dancing」をヒットさせるが、この頃にはカレンの病状は深刻なものとなっていた。83年2月4日、カレンは拒食症に起因する心不全のため死亡し、その歴史に幕を下ろすこととなった。

    しかし、カレンの死後もカーベンターズの作品は愛され続け、95年にはグループ結成25周年を機にトリビュート・アルバムやオリジナル・カラオケ、また、公認バイオグラフィー『カレン・カーペンター 栄光と悲劇の物語』が出版された。

    特に我が国では同時期にカーペンターズの楽曲がTVドラマの主題歌にも使われたこともあり若い世代を中心に人気が再燃。急遽再編し発売された国内ベスト盤『青春の輝き~ベスト・オブ・カーペンターズ』は300万枚以上も売れ、その現役時代やカレンの死を知らない若いファンからレコード会社へ「来日公演はいつですか?」という問い合わせが殺到したという。

    21世紀となった今もカレンの歌声はTVドラマやコマーシャルなどで親しまれているが、本当はカレンがドラムを叩きながら歌う女の子だったことを知っている人は、はたしてどれくらいいるのだろうか……。

    カレンはジャズがお好き?

    カレンのドラム・プレイの変革は前期(アマチュア時代~デビュー直後あたりまで)と後期(『Close to You』以降)に大別される。その初期には幼い頃から親しんできたコンボ・ジャズ(特にデイヴ・ブルーベック・カルテット/d:ジョー・モレロ)の影響が大きい。マーチング・バンドで学んだルーディメンツと小気味良いジャズ的プレイが印象的で、15歳の頃に録音した「Caravan」などはその典型とも言える。

    レーベル“マジック・ランプ”時代からA&Mのデビュー・アルバムまでのシンプルなキットによる録音を聴くと、ジャズ、マーチング、オールディーズ、ロックンロールの影響が随所に見られ、手数も多めで軽やかなプレイが印象的だ。

    しかし、後期は革新的なシングル・ヘッド・タムの使用により、そのプレイはよりメロディアスになり、それまでの小節内を細かに埋めきってしまうような手数系のプレイよりも、“間”を生かしたプレイが多く聴かれるようになってくる。

    実際のところ、カーペンターズとしてのサウンドは一連のヒット曲以降のポップス的サウンドの印象が強いが、その初期においては多分にジャズ的でプログレッシヴな部分も持っており、カレンも遺憾なくその腕前を発揮できたのではないだろうか? ドラムという観点からカレンを捉えると、前期のプレイの方がテクニカルでスリリングでもあるように思える。

    シングル・ヘッド・タムを浸透させたカレン

    カーペンターズのドラム・セットというと真っ先に思い浮かぶのはやはりシングル・ヘッド・タムだろう。これは70年代初期においては革新的だったと言う他はない。カレンの場合、20″、13″、16″のキットのタムの前に、6″、8″、10″、12″のシングル・ヘッド・タムをセットしており、初期のシルバー・スパークルのラディックのキット、また70年代中期のクリア・ビスタライトのラディックのキットなどが印象的だ。

    2008年3月号に掲載したカレンのシングル・タム・セッティング

    また、70年代初期におけるタムのミュートもユニークで、布でドラムの打面が覆われるような袋を作り、それをタムに被せてプレイしている写真も見た記憶がある。カレンのシングル・ヘッド・タムの使用はカーペンターズの録音にも参加していた西海岸の大御所セッション・ドラマー、ハル・ブレインの影響と推測される。

    ハル・ブレインはクラシックで使われるコンサート・タム(シングル・ヘッド・タム)をドラム・セットに組み込んだ張本人で、60年代は知る人ぞ知るといった存在だったが、70年代にセッション・マンが脚光を浴びるようなると共に一般的にその名を知られるようになった。

    NAMM Showで展示されたハル・ブレインのシングル・ヘッド・タム

    一説ではカレンはハル・ブレインにドラムを習ったと言われているが、実際に師事していたのはハリウッドのドラム・シティのビル・ダグラスだ(65~ 66年)。ただし、ハルがカレンのスタイルに影響を与えたドラマーの1人であることは間違いない。

    シングル・ヘッド・タムを音的な面から一般化したのはハル・ブレインであろうが、ルックスや露出度などの観点から一般に普及させていったのはカレンと言えるのではないだろうか。70年代に入り、カレンをはじめ、エルヴィス・プレスリーのドラマーとしても知られるロン・タット、また、ベック・ボガート&アピス時代のカーマイン・アピスなど、シングル・ヘッド・タムを使用するドラマーが増え、多点数キットの時代へと発展していくあたりも興味深い。

    *本記事は2008年2月号掲載の記事を転載したものです

    リチャード・カーペンター
    ビルボードライブ15周年を記念して初登場!

    リチャード・カーペンターがビルボードライブの15周年を記念して、3月に来日が決定! 3月27日の大阪公演を皮切りに、3月29日、30日、4月1日に東京公演、4月3日に横浜公演がそれぞれ行われます。詳細はユニバーサル・ミュージックの公式サイトから→https://www.universal-music.co.jp/carpenters/news/2022-12-02/