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    ジョン・ボーナム[レッド・ツェッペリン] パーフェクト・バイオグラフィ Vol.04

    • Text:Satoshi Kishida

    伝説~2度の来日公演~

    ボーナムは71年、72年の2度、日本にやってきた。初来日の71年は9月23、24日/日本武道館、27日/広島市民体育館、28、29日/大阪フェスティバル・ホールという3都市5公演の日程。ヨーロッパやアメリカの暴徒寸前のファンに比べて、日本のファンは熱狂しても狂気じみた混乱に陥ることがないというのが、安心して演奏に集中できる状態をもたらしたようだ。71年はそれがいい結果になった。「胸いっぱいの愛を」は、途中にさまざまな曲(スタンダードなど)を挿入し、メドレー形式で演奏されるのが常だが、初日の東京では最長に近い演奏に膨れ上がり、その後も日々まったく違うメドレーが挿入された。広島や大阪では「幻惑されて」がインプロヴィゼーションを含めて30分近くに達した。初来日はおおむね充実し、エネルギッシュでワイルドな個性が溢れた演奏となり、メンバーにもいいリフレッシュになったようだ。

    翌72年の来日ツアーは、10月2、3日/日本武道館、4日/大阪フェスティバル・ホール、5日/名古屋公会堂、9日/大阪フェスティバル・ホール、10日/京都会館の4都市6公演。71年の来日時は「移民の歌」、「ハートブレイカー」という順でスタートする演奏曲目であり、このセット・リストは72年の来日直前のアメリカ・ツアーまで踏襲されたが、この日本ツアーから「ロックン・ロール」で始まる新しいセット・リストが試された。そして日本ツアーの後は「ロックン・ロール」、「丘のむこうに」(あるいは「祭典の日」)、「ブラック・ドッグ」という曲順に固定されていく。

    72年の演奏は、71年に比べて落ち着いた雰囲気で前年ほどのエネルギーは感じられず、ときに精彩を欠いた印象すらあった。演奏時間も比較的短く、ボーナムのドラム・ソロ曲「モビー・ディック」が演奏されたのは、9日の大阪のみである。しかしまだ曲名が確定しておらず、さまざまな呼び名で呼ばれた「永遠の詩」(プラントは「ゼップ」とか「ザ・キャンペーン」といって紹介している)や「レイン・ソング」、「オーシャン」などの新曲が演奏された。残念ながらその後ツェッペリンが日本に来ることはなかったが、日本ツアーで少しゆっくりしたツェッペリンは、その後の大規模なイギリス・ツアー(10月~73年1月)、9回目のアメリカ・ツアー(73年5~7月)へと、一気にテンションを上げていく。

    記録された瞬問~73年ニューヨーク~

    73年のアメリカ・ツアーは、彼らのキャリアの中で1つの頂点を極めたツアーである。ツアーは5月の前期日程と、1ヵ月の体暇を挟み7月からの後期日程に分けられたが、5月5日のタンパ・スタジアムには56,800人の観客が詰めかけ、ビートルズの観客動員を破る新記録を打ち立てた。レーザー光線やドライアイス、ミラー・ボール、ショウの最後にボーナムのドラに合わせて花火に火をつける視覚効果も、このツアーから始まった。5月31日、ボーナムの25回目の誕生日のロサンゼルス、イングルウッド・フォーラム公演は、このツアーの最初のハイライトである。プラントは「モビー・ディック」を叩き終えたボーナムに向かって「ハッピー・バースデイ、ディア・ボンゾ~」と観客と一緒に歌った。

    一方、7月からの後期日程は概して低調だった。その原因は、相変わらずファンの爆竹や花火が演奏への集中を妨げたのと、プラントの喉の調子が芳しくなかったことにある。過酷なツアーと、演奏時間やバンド音量がどんどん増大するにつれ、プラントの喉への負担は増加の一途となり、ときにコンサートの1曲目から、完全に声がかすれてしまうこともあった。だが後期日程のファイナル、ニューヨーク・マディソン・スクエア・ガーデン3日間、特に最終日の7月29日は、バンドの底力を見せつける圧巻の演奏だった。ボーナムは「モビー・ディック」だけでなく「胸いっぱいの愛を」の最後でも5分間のドラム・ソロを叩き、最後には松明を持った奇術師が登場、ボーナムのドラとバチに火をつけ、ジョンは火が燃え移るのも構わず、そのバチでドラを叩き続けた。もちろんこうした演出は、3時間に渡る変幻自在の演奏が、観客を完全に魅了してこそ効果がある。ボーナムは、このツアーからアンバーのビスタライトのセットを使用し始めた。

    3日間の模様は撮影されて映画『レッド・ツェッペリン/狂熱のライヴ」のライヴ・シーンに編集され、またサウンド・トラック盤『永遠の詩』としても76年10月に発売された。映画の中でも描かれていたが、この同じ最終日は宿泊先のホテルに預けていた売上金18万ドル(新聞報道は20万3千ドル)が盗まれる事件まで起こった。最高の瞬間に必ず何か嫌なことが起こる、それがツェッペリンの宿命であるような象徴的な出来事と言えはしまいか。

    ※この原稿はリズム&ドラム・マガジン2003年7月号に掲載された記事を転載したものです。

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