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    【R.I.P.】不屈の精神と太陽のような笑顔 LUNA SEAのドラマー、真矢氏急逝

    • 文:北野 賢(リズム&ドラム・マガジン編集長)

    昨年脳腫瘍が見つかり、療養中だったLUNA SEAのドラマー、真矢氏が2月17日にこの世を去ったことがバンドのオフィシャルHPで発表された。享年56。

    能で培った独自のリズム感と奏者としての哲学

    真矢氏は1970年1月13日生まれ。神奈川県秦野市出身。幼い頃より能楽師であった親の影響で能に親しむ。この能の教えが“ドラマー真矢”に与えた影響は大きく、過去のインタビューでも下記のように語っている。

    「芸については“命懸け”。能の舞台に立つ人間は、腰に扇を刺していて、舞台に出たら自分の身の回りにそれを置くの。舞台から引っ込むときにまた腰に差していくんだけど、これは昔の短刀の代わりで、つまり舞台で失敗したら切腹っていう意味。その名残りが扇として残っている。俺がライヴで何でカチッとするのかっていう理由はまさにここにあると思う」(2014年1月号)

    「(リズムに)楕円の存在を感じるとすれば、それは能のリズムの取り方かもしれないですね。能のリズムの取り方は“序破急”っていうんですけど、何をやるときも必ずゆっくり入って、序々に速くなるっていうやり方なんです(中略)ドラムを叩くときに“序破急”を意識しているわけじゃないですけど、小さい頃から能をやっていたので、自然とそれが出ているのかもしれないですね」(2012年5月号)

    その後、高校時代にドラムを始め、1989年RYUICHI、SUGIZO、INORAN、Jと共にLUNACYを結成。翌年バンド名をLUNA SEAに改名し、1991年にX JAPANのYOSHIKIが主宰するエクスタシー・レーベルから『LUNA SEA』をリリース。インディーズ・シーンで絶大な人気を誇り、翌1992年に『IMAGE』でメジャー・デビューを果たす。ドラムは独学ながら、メジャー・デビュー前よりセッション・ドラマーのそうる透に師事。長いときは1日中、一緒に練習していたそうで、ドラムはもちろん、物事の捉え方や笑顔でいることの重要性なども学んだという。

    外部プロデューサーを立てず、メンバー5人だけで音世界を構築するスタイルを貫き、1993年に『EDEN』、1994年に『MOTHER』を発表。作品をリリースするたびにその人気は加速していき、1995年12月には東京ドーム公演「LUNATIC TOKYO」を開催し、大成功を収めた。1996年には『STYLE』をリリースし、オリコン・チャートで1位を記録。さらなる飛躍が期待される中、12月に行われた横浜スタジアム公演後にバンドは1年間の充電期間に入ることになった。

    『MOTHER』リリース時のインタビュー(1994年12月号)

    『STYLE』リリース時のインタビュー(1996年6月号)

    1997年、メンバーそれぞれがソロ活動を展開する中、真矢氏は「落下する太陽」でシンガーとしてデビュー。さらにドラム・ソロにフォーカスした映像作品『Melody』もリリースする。ラックで組み上げたYamahaの多点キットを舞うように叩くパフォーマンスは当時のドラム・キッズに衝撃を与え、ドラム・ヒーローとして不動の地位を確立。真矢氏をきっかけにスティックを手にしたという人も多く、実際に現在活躍するプロ・ドラマーの中にも、フォロワーを公言している人は数多い。

    1998年、バンドは活動を再開し、6枚目となるアルバム『SHINE』をリリース。再始動後の真矢氏は、レッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムの影響からLudwigのドラムとPAISTEのシンバルを使うようになり、象徴だった2バス多点セッティングから、ジョン・ボーナムと同じ1バス、1タム、2フロア・タムの王道ロック仕様へと一新。この大胆なセット・チェンジは当時ドラマーの間で大きな話題となった。この年は精力的な活動を展開し、8月に横浜スタジアム公演、12月に東京ドーム公演など大舞台でライヴを繰り広げ、さらに年末にはNHK紅白歌合戦にも出場するなど、国民的なバンドへと羽ばたく1年になった。

    また、真矢氏は1999年に林 立夫、村上“ポンタ”秀一、沼澤 尚、村石雅行と共にドラム・イベント=”GROOVE DYNASTY”に1ドラマーとして出演。グルーヴの匠達との共演は、氏にとっても大きな刺激になったという。その後もLUNA SEAはアジア・ツアーや10万人を動員した野外ライヴ、7枚目のアルバム『LUNACY』のリリースなど、快進撃を続けるが、2000年11月に終幕を発表。その後12月末に行われた東京ドーム公演を最後に活動の幕を閉じた。

    サポート活動で養われた俯瞰の視点

    2000年の終幕後の真矢氏は、セッション・ドラマーとして大黒摩季、氷室京介、相川七瀬、吉川晃司など数多くのアーティストのライヴ/レコーディングで活躍。サポートとして活動するようになった当初は、譜面が読めなくて苦戦したというが、得たものもたくさんあったそうで、「曲を俯瞰で見られるようになった。自分のバンドだけをやっているときって、ある意味、自分の想いをぶつけることだけにずっと専念していれば良かったと思うんです。でも人のバックで叩くときは、何よりもその人の要求を受け入れなければいけないし、自分の想いをある意味で殺さないといけないんですね。曲を大事にして入り込むんですけど、それでも自分の気持ち良さを優先させずに、曲を俯瞰で見て、ちゃんとできているか確認しなければいけなんですよ。そういう視点が1つできたのは大きいですね」(2011年4月号)とREBOOT後のインタビューで振り返っている。

    REBOOT後に行われたインタビュー(2011年4月号)

    2007年の一夜限りの東京ドーム公演、2008年に行われた追悼イベント“hide memorial summit”への出演を経て、LUNA SEA再始動の期待が高まる中、2010年ついにREBOOTを発表。11月よりワールド・ツアーがスタートし、12月には東京ドーム3Days公演を敢行。翌2011年にはセルフ・カヴァー・アルバム『LUNA SEA』をリリースし、バンドとして完全復活を果たした。

    終幕前よりPearlを使い始め、REBOOT後は王道ロック・セッティングから、カラフルな多点キットへと回帰した真矢氏。コパー材を採用したメタル・シェルのドラムや、Roland V-Drumsを導入したハイブリッド・セッティング、ロケット・タムを並べたアクリル・シェルの多点キットなど、Pearlとタッグを組んでさまざまなタイプのドラムを使用。ここまでセット・チェンジを繰り返すドラマーは世界的に見ても数少ないのではないだろうか。「プロジェクトによって全然スタイルは変わりますね。だからドラム・セットもそれぞれで変えているんだと思います」(2012年5月号)と機材チェンジについて話していたのも印象に残る。

    2013年には、REBOOT後初となるオリジナル・アルバム『A WILL』を発表。そして2015年6月にはLUNA SEA主宰によるフェス=“LUNATIC FEST.”を開催。節目となるライヴや作品のリリース、新しいドラム・セットのお披露目など、ドラム・マガジンでは事あるごとに真矢氏に取材を行ってきた。現場での氏は、サービス精神旺盛で、笑いを誘う冗談を交えながら場を和ませてくれたが、ドラムの深い話題になると眼光が鋭くなり、今も忘れられない言葉が数多くある。

    『CROSS』リリース時のインタビュー(2020年4月号)
    2019年のライヴで使用されたe/MERGEを搭載したハイブリッド・ドラム

    2019年には外部プロデューサーとして世界的な名匠=スティーヴ・リリー・ホワイトを迎え、10枚目となるアルバム『CROSS』を発売。そのリリース・タイミングで表紙を飾った2020年4月号の取材では、「TD(トラックダウン)を聴いたときはぶっ飛んだ。やっぱりU2とか(ローリング)ストーンズをプロデュースしてきた世界レベルの音じゃないですか。本当にすごいと思った。(中略)”あっ、この人の言うことを聞いた方がいい(笑)”って思った」と、これまでとは一線を画すサウンドの仕上がりに、音に厳しい氏が興奮気味に語っているのも印象深い。

    そして2019年末のライヴからPearlのエレクトロニック・ドラム、e/MERGEを搭載したハイブリッド・ドラムを本格導入。生のバス・ドラムとシンバル以外、すべて電子パッドという大胆なセッティングもまた、ドラマーの間で大きな話題を集めた。氏は“反応の良さ”と“レコーディングの音源と曲の雰囲気を近づける”などを導入の理由に挙げていたが、より良い音色に対する妥協なき追求、分離への徹底したこだわり、そして新しい楽器への好奇心などもあったのではないだろうか。とにかく機材については、常にトレンドの一歩先を歩んでおり、誰よりも早く本番で試すなど、ドラム・シーンを牽引する存在であったと思う。

    病気と闘いながら走り抜けた35周年イヤー

    コロナ禍を経て、2023年には代表作である『MOTHER』、『STYLE』のセルフ・カヴァー・アルバムをリリース。35周年を迎えた2024年は全国を巡るツアーを開催し、そのファイナルとなった2025年2月の東京ドーム公演では、集大成を感じさせる一打入魂のドラミングを披露。お馴染みのドラム・ソロで会場を沸かせ、オーディエンスから送られた大きな“真矢”コールは今も記憶に新しい。

    2025年11月8、9日に“LUNATIC FEST. 2025”が開催されることがアナウンスされ、それに合わせて本誌2025年10月号の連載=“歌とドラム”でRYUICHIとの対談を掲載。取材時は将来のヴィジョンを語り、「せっかくチケットを握りしめて来るんだから、いろんなバンドを楽しんでほしいですね」と、イベントへの意欲も話してくれたが、その後めまいに倒れ、MRI検査を受けたところ脳腫瘍が発覚。9月8日に療養に専念することがオフィシャルHPにて発表された。同時に2020年に大腸がんのステージ4を宣告され、7度の手術、抗がん剤や放射線による治療を併用してライヴやアニバーサリー・ツアーを走り切ったことも公表され、まさに“命懸け”でステージに臨んでいたことが明らかとなった。

    闘病の中、昨年11月に行われたLUNATIC FEST. 2025のラスト・セッションのステージにサプライズで登場し、現状をファンに報告。「少しでもドラムが叩きたいという夢を、みんなと共有できたら本当に嬉しいです」と語り、3月に開催されるライヴに向けて懸命なリハビリを続けていたそうだが、容態が急変し、2月17日に帰らぬ人となった。

    オフィシャルHPの声明にもあったように、不屈の精神でステージに立ち、太陽のような笑顔でバンドを照らし、オーディエンスを魅了してくれた真矢氏。病気から回復し、再びステージで力強いドラミングを響かせてくれると信じていただけに、あまりに早過ぎる旅立ちが残念でならない。

    真矢さん、本当にありがとうございました。

    心よりご冥福をお祈りいたします。