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【Talk Session】PONTA MUSEUM−元アシスタント座談会

  • Interview:Seiji Murata

3月に急逝した村上“ポンタ”秀一氏の軌跡を、歴代の機材や仕事道具などの愛用品や音楽、肉声と共に辿る移動型ミュージアム、“PONTA MUSEUM”が、いよいよ明日10月15日からスタート。ここではそれに先駆けて、チケット購入者に渡される“メモリー・ブックレット”に掲載されている、氏のアシスタントを務めた9人の有志座談会の一部を抜粋してお届けする。

“PONTA MUSEUM”に関する記事はこちら

●では、現場で強く印象に残っている出来事を教えてください。

Ichiroh(高橋一郎):角松(敏生)さんの『ALL IS VANITY』のツアー(1991年)のとき、ステージ終盤に「WHAT IS WOMAN」っていうバラードで、曲が1回ブレイクして、ポンタさんの“ダッドッドパン パラドドドド~”みたいなフィルから入る場面があったんですけど、自分もそれがすげぇカッコいいなと思って見てたら、横で舞台監督の人が、“ポンタさんカッコいい!”って泣いてました(笑)。あれがすごい印象的でしたね。

夢人(古川夢人):師匠ってよく口でも歌いますよね、“ドッチッパッチッパラランドッド~”とか。あれ、口で歌ったあとに叩くと、まったく一緒に聴こえるんですよね!

Ichiroh:そうそう、レコーディングのとき言ってるもんね、フィルのフレーズ。

ノッポ(中嶋健人):僕も、小林香織さん(sax)の『FINE』(2006年)のレコーディングで、タムの音がすごくメロウだったのが印象に残ってますね。レコーディングの合間に、日野賢二さん(bass)とダジャレ合戦をしてたり、ベースを弾いてたのもすごく印象に残ってます。

ヨシ(伊藤良法):僕はやっぱり初めての現場で師匠の生音を初めて聴いたときですね。みなさんも感じたと思うんですけど、なんてタムの音がキレイなんだろうと思いました。すごく気持ち良くて、音が抜けてきて、これが本物か!と思った記憶があります。

マナブ(山本 学):僕も生音はびっくりしましたね。それにレコーディングのサウンドチェックのとき、ポンタさんのセットを「叩いてみろ」って言われることがあるじゃないですか。もちろん僕が叩いて同じ音になるわけじゃないですけど、ちゃんとマイクに拾われた“あのポンタさんの音”をヘッドフォンで聴いたときは感動しましたね。長年の夢が叶った瞬間でした。

●実際、ポンタさんの生音って、あえて言葉で表現するとどんな感じなんですか?

マナブ:そのとき、僕はわりとはっきり叩いたつもりだったんですけど、「こういうときはもっとはっきり叩くんだよ」って言われたんですね。ドラム・マガジンの追悼特集でも、Ichirohさんがポンタさんのタムのヘッドの打痕について“斜めに切るように”とおっしゃってましたけど、確かにそうだなと思いました。

Ichiroh:あれはすごいよね。実際シンバルについても、師匠は「シンバルは叩くもんじゃねぇ。“当てて押す”んだ」っておっしゃってて、タムもたぶん同じで、“叩いてる”んじゃなくて“切る”ような感じなんですよ。

ヨシ:僕のときも“切る”って言ってました。

ジャン(北本 淳):うん、切るって言ってた。

夢人:「日本刀と一緒だ」って言ってましたね。

Ichiroh:「打つときは、真っすぐ上からじゃなくて“斜め”に入れるんだ」って言ってた。実は、自分の中でずっとお師匠の真似をするのを封印してたんだけど、お師匠が“あっち”に長いツアーに出てからここ3ヵ月くらい、めちゃめちゃ真似してみようと思って……今さらだけど(笑)、そうしたら打痕が斜めに付くようになって、メンバーに「音も変わった」って言われた。お客さんにも「今日のIchirohさん、なんか違うね」って言われたし。

夢人:そういう意味では、僕は、師匠のフォームの綺麗さはすごく印象に残ってますね。僕は野球やってたんで、けっこうフォームとか身体の使い方とか勉強して、それをかなりドラムに役立ててるんですけど、師匠に「フォームもかなり研究したんですか?」って聞いたら、「ちょっと勉強したけど、こういう音が欲しいから、こういう動きになった」って言ったんですよ。それで腕も足も、姿勢も、すごくナチュラルな使い方ができちゃうんですよね。それを聞いて“うわぁ、カッケェ!”と思いましたね。

清太郎(家坂清太郎):俺は、印象に残ってるといったら、やっぱり『Live! Rhythm Designer』(2006年)ですね。あれはアシスタントを卒業してずいぶん経ってから、いきなり「お前、やってくんねぇか」って頼まれて(笑)、2~3日前にやっと内容を把握したんですよ。だから、ライヴ用に同期を作り直したり、そういう制作過程は全然見てないんです。なのに、急遽頼まれたもんだから、慌ててみんながいる位置まで自分をグッと上げていかなきゃいけない感じが、当時すごく新鮮で良かったんですよ。久々にアシスタント時代の感覚を思い出すことにかなり集中していったので、お師匠とすごくいい関係が築けて、すごく気持ち良かった。

●しかもあのときは、4台あるドラムセットを、清太郎君がポンタさんに、次はこのセットです、って促してましたね(笑)。

清太郎:師匠が「俺どっち行くかわからなくなってっから、とりあえずお前がアテンドしてくれ」って最初にお願いされてたんで、本番までにかなり集中して“この曲はこのセット”って全部把握したんです。だから当日、最初の1音目が出たときは、やっと本番できたってすごくホッとしたのを覚えてます。でも、みんなもわかると思うけど、あの緊張って現場じゃないと味わえないでしょ? しかもお師匠の名前を冠した大々的なイベントだったから、これはコケらんねぇなって、こっちのスイッチの入れ方も尋常じゃなかったんですよ。だから、うまくアテンドできたときはすごい面白くって。

ジャン:ていうか、本番すごく楽しそうにしてたもんね

清太郎:始まっちゃえば、言い方悪いけど、もう俺のエリアというか(笑)。当時は俺についてたあだ名、“猛獣使い”だったからね(笑)。

ジャン:師匠、虎のシャツ着てたからな(笑)。

清太郎:そうそう(笑)! よく周りの人が俺のことをそう言ってくれてたから、ありがたいなって。

●ジャンさんはアメリカ・レコーディングに2回同行してますよね。30周年『MY PLEASURE』(2003年)とNY PONTA BOX(『Riot of Dreams』/2004年)のタイミングですが、海外でのポンタさんはどんな感じでしたか?

ジャン:1回目の30周年のときは、ゲスト・ドラマーがオマー・ハキム、スティーヴ・ジョーダンでしたけど、すごく仲良いんですよ。あのとき師匠、タイミング悪く五十肩になっちゃったけど、毎日、翌日のレコーディングの進行を全部考えてて、ホテルの部屋から一歩も出てこないんですよ。レコーディングも、誰よりも先にスタジオに行ってエンジニアと2人で打ち合わせして、俺らには「お前らは飯でも食ってから来い」って。で、レコーディングが終わると、すぐに部屋に戻って次の日の仕込みって感じだったので、ポンタさんはスタジオとホテルの部屋の往復しかしてなかった。そんなふうにすごく順調にレコーディングが終わったから、すぐにまた“NEW YORK PONTA BOX”をやろうって話が来てね。そのときには五十肩もすっかり治ってもうバリバリで、現地のパールにレンタルの機材リストも事前にばっちり送って、足りないシンバル類だけこっちから手持ちしたんだけど、レコーディングは3日で終わらせちゃったんじゃないかな。

(全編はPONTA MUSEUMの会場で渡されるメモリー・ブックレットにて)

PONTA MUSEUMをアテンドするムラカミファミリアのメンバー

PONTA MUSEUMの発起人でもある家坂清太郎氏

同じくPONTA MUSEUMの発起人である古川夢人氏

“PONTA MUSEUM”スケジュール

10月15日(金)〜16日(土) 栃木/いとう整体院
10月17日(日)〜18日(月) 宮城・気仙沼/鮨處えんどう
10月21日(木)〜22日(金) 宮城・石巻/LIVE☆SPOT On・Air
10月23日(土)〜24日(日) 青森・七戸/Live Club SHOUT
10月30日(土)〜31日(日) 埼玉/音楽と沖縄料理の店ライブハウス 鶴ヶ島ハレ
11月4日(木)〜5日(金)  神戸/music live STUDIO KIKI
11月6日(土)〜7日(日)  京都/LIVE BER Bonds Rosary
11月13日(土)〜14日(日) 新潟/YOU & I
11月20日(土)〜21日(日) 静岡・浜松/HERMIT DOLPHIN
11月27日(土)〜28日(日) 群馬・前橋/DYVER
12月3日(金)〜4日(土) 岡山/MO:GLA
12月5日(日)〜6日(月) 大分/駅かふぇJR鶴崎駅店

PONTA MUSEUM 公式サイト
http://www.ponta.link/