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    ジョン・ボーナム[レッド・ツェッペリン] パーフェクト・バイオグラフィ Vol.02

    • Text:Satoshi Kishida
    • Photo:Jorgen Angel/Getty Images

    死後40年以上経った現在も世界中の演奏家に影響を与え続けるレッド・ツェッペリンのドラマー、ジョン・ボーナム。彼の功績を語り継ぐべく、その命日(9月25日)からスタートした、2003年6・7月号掲載の“パーフェクト・バイオグラフィ”の転載企画Vol.02ではツェッペリン結成前のボンゾの活動を軸に、ロバート・プラント、ジミー・ペイジとの出会いについて。

    始動〜仕事を求めて〜

    16歳になると、彼はバーミンガムで活動していたローカル・バンド、テリー・ウェッブ&ザ・スパイダーズに加入する。これが彼にとっては初のセミプロ・バンドだった。同時に初のレコーディングにも挑み、セネターズというグループのポップ・ソング「She’s A Mod」でツイストのリズムを叩いた。スパイダーズに1年間在籍したのち、1965年、2つ日のバンド、ア・ウェイ・オブ・ライフに移る。同じ年、17歳の彼は以前、ダンス・パーティで知り合ったパット・フィリップスと電撃的に結婚。パットのお腹にはすでにジェイソンがいた。だが結婚はしたものの、収入の少ない若い2人は、ジョンの父親のトレーラーハウスを借りて生活を始めざるを得なかった。

    ア・ウェイ・オブ・ライフは、R&Bやバーズの曲をプレイするバンドだったが、ジョンのドラムがあまりにラウドでクラブから演奏を中断させられたり、また彼の酒癖の悪さでトラブルとなるたびに、バンドはジョンをクビにするということを繰り返していた。そんなわけで生活は苦しく、一時、彼は建築現場に戻って家業を手伝うこともあった。同じ頃、ジョンは近くの町、ブラック・カウンティに住んでいるヴォーカリスト、ロバート・プラントと知り合った。彼はクローリング・キング・スネイクスというR&Bバンドで活動しており、ちょうどドラマーに空きが出た時期だった。ジョンはいつもの調子で自分を売り込み、ロバートは最初本気にしなかったが、ジョンのプレイを見てその素晴らしさに驚いたという。結局スネイクスには、契約の関係で数ヵ月間だけの在籍となり、金銭的な問題もあり、再びジョンはア・ウェイ・オブ・ライフに復帰することになったが、ジョンとロバートの絆は、この時点から始まったと言える。

    当時のジョンは、ラディックのスーパー・クラシックのキット(色はグリーン・スパークル)を使用していた(このキットもどうも父親に買ってもらったようだ)。当時の彼のお気に入りドラマーは、グラハム・ボンド・オーガニゼーション、クリームのジンジャー・ベイカー、ジーン・クルーパ、バディ・リッチ、ルイ・ベルソン、アート・ブレイキー、マックス・ローチなどだった。また、自分のドラム・スタイルを築いたものとして、ジョンは幼い頃から聴いていたアメリカのソウルやR&Bのドラマー達を挙げている。彼らのフィールやサウンドに影響されて、大きなサイズのドラムをミュートなしで鳴らし、ビッグでオープンなサウンドを得ることを求めたのだという。

    その後ジョンは、ザ・ニッキー・ジェイムズ・ムーヴメント、スティーヴ・ブレット&ザ・メイヴァリックスといったバンドに参加した後、67年、プラントと再会し、バンド・オブ・ジョイというバンドを結成する。このバンドはR&Bの他にウエストコースト・サウンドもプレイしたが、ジェファーソン・エアプレインの「ホワイトラビット」などを彼らなりにアレンジし自由に展開させ、この曲が後のツェッペリンの「幻惑されて」などの原型になったとも言われている。バンド・オブ・ジョイは人気となり、イギリス中をツアーし、ロンドンのニュー・リージェント・スタジオでデモ・テープも録音した。また、当時有名だったティム・ローズ(アメリカ人ヴォーカリスト)がイギリスでツアーした際にそのバンド、エインズレー・ダンバー・リタリエーション・アンド・ティム・ローズの前座を務めもしたが、これがきっかけになって、ジョンはティム・ローズに引き抜かれ(ちょうどエインズレーが渡米することもあり)、彼のバンドヘの参加が決まった。仕方なくロバートは、バンド・オブ・ジョイを一旦解散し、アレクシス・コーナーとのレコーディングに参加した。一方、ジョンは一時アメリカに渡って、ティム・ローズやジョー・コッカーのバンドでプレイした。その後イギリスに帰国し、いくつかのセッションをこなしていたジョンだったが、68年の秋、ティム・ローズのバンドでクラブに出ているところに、ロバートがあるギタリストを連れてやってきた。ヤードバーズのジミー・ペイジだった。

    ※この原稿はリズム&ドラム・マガジン2003年6月号に掲載された記事を転載したものです。

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