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    イアン・ペイス[ディープ・パープル]【2020年10月号先行公開】

    • Interview & Text:Rhythm & Drums Magazine Interpretation & Translation:Akira Sakamoto Photo:Ben-Wolf

    誰かが何かを弾き始めて
    それにみんなが合わせた瞬間に
    僕らはディープ・パープルになるんだ

    半世紀に渡ってロック・シーンをリードしてきたブリティッシュ・ハード・ロックの重鎮バンド、ディープ・パープル。その唯一のオリジナル・メンバーであるイアン・ペイスは、数多くのロック・ドラマーに多大な影響を与えてきたまさに生ける伝説。その流麗なドラミングは最新作『Whoosh!(ウーッシュ!)』でも健在だ。9月16日発売のドラム・マガジン2020年10月号では、今年9月で没後40年の節目を迎える名ドラマー、ジョン・ボーナムと共に2大レジェンド・ドラマーとして特集しているが、ここでは14年ぶりに実現したペイスのインタビューを先行公開! 誌面には載せていない貴重な内容も記事にしています!!

    ●コロナウイルスの影響がなければ、今頃はツアー中だったようですね(取材は6月末に行われた)。


    ペイス そうだね。幸いだったのは、今年やる予定だったショウの3/4くらいを来年にできるようにスケジュールが組めたんだ。業界中の今年の予定が全て飛んでしまった段階で、僕らの優秀なプロモーターが迅速に対応して、スケジュール調整してくれたおかげだよ。来年の業界はかなり混乱するだろうからね。もしも今、世の中がいつも通りに動いていたら行われていたはずのコンサートがすべて来年に持ち越されるわけで、会場を押さえることができずにコンサートを開けなくなる人達がたくさん出てくるんじゃないかな。

    Whoosh!(ウーッシュ!)
    ディープ・パープル
    ワード GQCS-90902

    ●ではさっそく新作『Whoosh!(ウーッシュ)』についてお聞きしたいと思います。代表作である『Machine Head』のようにリズムが多彩な作品になりましたが、あなた達はもともと、リハーサルのときにもただ曲を練習するのではなく、何も決めずにジャム・セッションをするのが普通だったそうですね?

    ペイス そう。曲の練習から始めることは滅多にない。イアン(ギラン/vo)やスティーヴ(モーズ/g)が8割がた作った曲を持ち込むことはあるけれど、それでもみんなで作業する余地は残っている。でも、大抵の場合は誰かが何かを弾き始めて、他の人がそれに合わせていくんだ。例えば、僕が何かのリズムを叩き始めて、誰かがそれに合わせてきて、最後には何だかよくわからないものをみんなで演奏している状態になるわけ。でも、僕が何かを叩き始めても誰もそれに乗って来なくて、コーヒーか何かを買いに行ってしまうこともある(笑)。そんなときには、僕の気持ちが彼らに伝わらなかったんだなあと思うけれど、僕の方も、誰かが弾き始めたものが面白いと思えば、それに合わせていく。そうやってみんなで20分くらい演奏していると、最初の17、8分はまあまあな感じだったのが、最後の2、3分ぐらいで魔法のようなことが起きたりする。僕らはそれをねらっているんだ。もちろん、ジャム・セッションは全部録音しているから、後でそれを聴き返して、ああ、この2分間はいいよねっていう部分が見つかれば、その2分間を5分間くらいのものにうまく発展させられれば、曲として成立する可能性があるというわけ。そんなことを2週間ぐらいやると、15、6曲分ぐらいのアイディアがまとまるから、それを元にアルバム作りを始めるっていうのが昔からの僕らのやり方で、今でもそうしているんだ。

    ●今回も『Whoosh!』の収録曲も同じやり方で作られたわけですね。

    ペイス その通り。それぞれの曲のきっかけになるアイディアを思いついた人が違うというのも、曲のスタイルが多種多様になる理由の1つだよ。音楽に対する考え方も音楽知識も人によってさまざまだから、曲ができるきっかけも人それぞれなんだ。誰かが何かを弾き始めて、それにみんなが合わせて演奏した瞬間に、僕らはディープ・パープルになる。イアンを除く4人か、イアンも入った5人が、この組み合わせでなければできない演奏をし始めた瞬間にね。何が起こるかわからないから楽しいんだ。まる1日リハーサルをやっても何も起こらないこともあれば、翌日に素晴らしいアイディアが3つもひらめいたりする。賭けみたいなところもあるけれど、僕らは10~14日セッションをすればアルバム1枚分のアイディアは集まると信じてやっているんだ。

    ●バンドのデビュー・アルバム『Hush』の冒頭を飾った「And the Address」が再演されていますが、これは誰のアイディアだったんですか。

    ペイス あれはボブ(エズリン)のアイディアだよ。「これはバンドにとって最後のアルバムになるかもしれないから、バンドが最初に出したレコードの1曲目を演奏して締め括るというというのはどうだろう。歴史が一巡するようにね」とボブが言うから、それは良いアイディアだからやってみようということになったんだ。とはいえ、本当にこれがディープ・パープルの最後のレコードになるのかどうかは、僕にはわからない。世界がこういう状況で、僕らのツアーの予定も全部来年の6月以降に持ち越されて、みんな手持無沙汰の状態にある。だから、ここ2、3か月の間に誰かが「また集まってもっと曲を作らないか?」と言い出してもおかしくないからね(笑)。

    ●ブリティッシュ・ハード・ロックの創世から半世紀以上が経ちましたが、1960年代後半の創世記に、歴史に残るようなバンドがイギリスから次々と登場したのは、なぜだったと思いますか?

    ペイス 当時、イギリス人の僕らはアメリカの音楽をたくさん聴いて感動していたんだ。アメリカ人はそういう音楽を無視していたけれど、イギリスには良いミュージシャンたちが集まったバンドがたくさんあって、アメリカの音楽をイギリス人のやり方で演奏するようになっていた。それを聴いたアメリカ人達は、もともとはアメリカ発の音楽だとは気づかずに、イギリス発の音楽だと思って、聴いたものをすべて気に入ってくれた。それがああいう状況を生み出した秘密だと思う。アメリカで生まれたのにアメリカ人に無視された音楽をイギリス人が大好きになって、逆にそれをアメリカへ輸出したというわけさ(笑)。

    ●ジョン・ボーナムやミッチ・ミッチェル、カーマイン・アピス、ジンジャー・ベイカーなど、同時代に活躍したドラマーとは交流があったのですか?

    ペイス まぁジンジャーと交流のあった人はいないだろうな。彼はもっとも親しみやすい人というわけじゃなかったからね。ミッチとは何度か会ったことはあるけれど、お互いにそれぞれの活動で忙しかったから、交流を持つほどの時間はなかったな。ボンゾは愛すべき人間で、とても良いヤツだった。彼には、曲の中で1つも無駄な音を出さないという、魔法のような才能があった。ツェッペリンの曲で彼が生み出したグルーヴはとにかく素晴らしい。あれは誰かに教わってできることじゃない。彼は自分でそれを理解していたんだ。それに加えてあのサウンド……今聴いても素晴らしいよね。そんなわけで、当時活躍していたドラマーたちはみんな毎日忙しかったから、たまにしか顔を合わせる機会がなかった。ツアーで同じ街に居合わせたときに話をするぐらいでね。そんな状況で、とても仲良しになる人もいれば、決して仲良くなれなかった人もいる。でも、僕が出会ったドラマーのほとんどは素晴らしい人間だったよ。キース・ムーンなんかはメチャクチャ楽しいヤツだったしね。キースは最初のメタル・ドラマーだ。彼は「ワン、ツー、スリー、フォーなんてビートを叩くだけが能じゃない。よく観てろ、ドラマーっていうのがどんなものか、俺が教えてやる!」と言い放った、ロックンロール初のイカれたドラマーだったんだ。もう、最高だったね。

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