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【Archive Interview】主宰者シシド・カフカが語るel tempo(エルテンポ)創設

ロック・ドラマーのツールと
パーカッショニストのラテンのツール
バランスはものすごく大切

ドラマガ初となる春のドラム・コンテスト=32 Bar-Drummingの優勝特典として発表されているel tempoへの参加権。el tempoをもっと楽しもう!ということでハンドサインに関する記事をすでに公開しているが、ここでは、主宰者であるシシド・カフカに行った2020年5月号の創設インタビューを掲載。

“今とは全然違うステージを経験してみたい”
という想いがあった

●最初el tempoという活動を知ったときに、これまでのシシドさんの音楽活動からすると意外だと思ったんです。ドラム・ヴォーカルで歌モノのロックを演奏するところから、いきなりそこに飛んだイメージがあったので。
○確かにそういうふうな印象を受けるだろうなとは思っていました。でも、私自身の音楽性というか活動は、ドラムだけ叩いていたところから歌を歌い始めて、ドラム・ヴォーカルをやって、女優業やモデルもやって……。自然といろいろなことを経験させてもらったところもあったので、“今とは全然違うステージを経験してみたい”という想いがあったとは思うんです。音楽における、ドラム・ヴォーカルとはちょっと違う武器というか。そういう新たなものを今探っておくのも面白いんじゃないかなっていうのはありましたね。

●なるほど。そう考えると、ハンドサインとの出逢いは偶然ながらも必然性もあるというか。
○そうですね。あとは私がアルゼンチンに縁があるというのも大きいと思います。

●el tempoで使われているハンドサインの生みの親、サンティアゴ・バスケスの学校へは、どのくらい留学されていたんですか?
○2ヵ月ですね。でも、本当はその期間ずっとブエノスアイレスにいるつもりだったのが、サンティアゴが最後の3週間くらいヨーロッパ・ツアーに出るということで、全部(ツアーに)ついて回ったんです。

●それはすごいですね。
○ハンドサインの習得も最初は軽く考えていて、“1ヵ月くらいで習得できるだろう、残りはゆっくりしよう”とか思っていたんですけど、実際にやり始めたら“ああ……これヤバい”と、焦りの方が大きくなって(苦笑)。

●留学されていた間は仕事はしなかった?
○しなかったです。私が出演しているラジオの録音をアルゼンチンの道端でレコーダーに向かって喋ってたりとかはしてましたけど(笑)、他は一切せずでした。2ヵ月間サインのことだけみっちりやっていましたね。

●だいたいは覚えられましたか?
○サインが持っている最低限の意味は理解しました。でもそれは使えるかどうかは別で、今もまだまだ勉強中です。

●それにしても、ハンドサインの学校があるってすごいですね……。
○学校はもう13年くらい経っていると思います。ハンドサインは音楽だけじゃなくて、教育の場や医療の場でも使われているみたいで、言葉がなくてもコミュニケーションできるからいろいろな試みがあるようです。授業は14時くらいから始まって21〜22時までっていうのが1週間のうち5日間くらいあって、小学生も来れば60〜70代の音楽の先生がいらしたりと、とにかくいろいろな年代の人が来るんですよ。アルゼンチンではそのくらいハンドサインが受け入れられているんです。

●el tempoを立ち上げるということを意識し始めたのは? 留学中とか……?
○留学が決まって日本を飛ぶときはもうライヴが決まっていたんです。まだどんなふうになるのかもわからないのに、茂木(欣一)さんを呼び、(金子)ノブアキさんを呼び……って、もういろいろな人に話をしていて(笑)。

●メンバーの構想は頭の中にあったんですね。
○はい。最初の構想ですでに、“ドラマーを入れる”というのはあって。アルゼンチンのグループはラテン・パーカッションのみで構成されていたんですけど、私はドラマーだし、日本は日本の特色というものを、私ならではの出せるもの、ということを考えたときに“ドラマーを入れていこう”と思ったんです。でも、その発想にはサンティアゴもびっくりしていて、「そのアイディアは良いとは思うけど、僕もやったことがない」みたいな感じでした。

●お声がけしたドラマーの反応は?
○みなさん「何かよくわからないけど、カフカちゃんがここまで何かを一緒にやろうって熱い想いを語ってくれるのは初めてだから、とりあえずやるよ」って頷いてくれたところから始まりました。そうやって今のメンバーが集まったんですけど、実は未だにスケジュールが合わなくて共演できていない方もいて。

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アルゼンチンからの帰国

そして日本公演の開催へ