PLAYER

UP

【Interview/前編】”カシオペアの新ドラマー”、今井義頼 に迫る1万字超えの独占取材!

  • Interview:Isao Nishimoto

日本のフュージョン・シーンを40年以上に渡り牽引するカシオペアが、今井義頼を正式ドラマーに迎えCASIOPEA-P4としてリスタート。“自分のドラムのルーツは神保 彰さん”と公言する彼にとって、これ以上ない活躍の場が与えられたことになる。新生第一弾として発表されたアルバム『NEW TOPICS』では、持ち前のテクニックとパワーを存分に発揮。そんな今井へのインタビューを2回に分けてお届けしよう。

僕に後任の依頼が来るなどまったく想像もしなかったので
文字通り飛び上がるほど驚いたし、踊るほど喜びました

●カシオペアへの加入、CASIOPEA-P4のアルバム制作/発売、そして初ライヴの成功と、怒涛のような1年を過ごされたと思います。今の心境はいかがですか?

今井 実は、ライヴが始まるまで、自分がカシオペアに加入したことが未だに信じられないくらい実感がなかったんです。7月にレコーディングしているのにも関わらずですよ(笑)。

それこそ中学の頃から憧れて、高校の頃にはコピーバンドまでやっていたヒーロー達ですから。本当に夢心地とはこのことなのだなと感じていました。でもブルーノート東京で、2Days、4ステージやらせていただいたことで、ようやく「あ、本当にカシオペアに加入したんだなぁ」と実感が込み上げてくるようになりました。

ブルーノート東京で行われたCASIOPEA-P4の初ライヴのハイライト

●加入発表時に「神保さんのワンマンオーケストラをTVで観て、僕の全てが始まった」とツイートされていましたが、どんなところに惹き込まれたのか、あらためて教えてください。

今井 僕は神保さんを知るまで、“ドラマー”というイメージがとてもぼんやりしていたんです。ドラムが上手な人と言えば、当時父の参加するオヤジ・バンドでベンチャーズを器用に叩いていた僕の姉貴というイメージぐらいしかなかったもので(笑)。衝撃的にうまいドラマー、ましてやプロのドラマーのプレイなど、まったく観たことがなかった。

そんなある夜、いつも家で夜に流れている「ニュースステーション」という番組で神保さんをたまたま観たんです。「今日のゲストは神保 彰さん、ドラマーです。」という声が聞こえて、ふっとテレビを見ると次の瞬間、ドラム・セットの前に座る神保さんが数秒映ってCMに入るという。この時画面に映ったドラム・セットもまず衝撃でしたね。どうやってこんなたくさんの太鼓を叩くんだと(笑)。

そしてCMが明けたあとに、トリガーでシンセサイザーの音が鳴るドラムの説明。そしてついに演奏が始まったんですが、当時の僕にはまったく理解できない超絶な演奏。“何でリズム叩いているときにハイハットが自動で動いているかの如くパクパクしているんだ⁉︎”とか(笑)、時々入る32分音符のタム回しは、同じ人間とは思えませんでした。

そして何より演奏しているときの神保さんの顔がものすごく楽しそうで。“ドラムという楽器はこんなにもたくさん並べて、こんなにもすごい超絶技巧を、こんなにも楽しく叩いていい楽器なんだ!”と、僕自身のドラムという楽器に対するイメージがまったく変わった瞬間でした。

ドラム・セットの見た目、驚くべき超絶技巧、そして楽しそうに演奏する姿、大きくこの3つが、当時神保さんから受けた衝撃です。そして、最初に知った“ドラマー”というイメージは間違いなく神保 彰さんです。

●ドラム・マガジンの初登場インタビューでは、それまで吹奏楽で打楽器全般に取り組み、マリンバなどの鍵盤ものにも関心があったと話しています。そこからドラムに興味が向いたということは、神保さんのドラムから受けたインパクトがそれだけ大きかったんでしょうね。

今井 僕ってとっても影響を受けやすいんです(笑)。そして当時の僕は欲求に従って多少無茶でもすぐ行動するタイプで。マリンバなどの鍵盤ものにハマった理由もありまして、これは姉貴が東京音大の打楽器科に入学した年(僕は中学2年生でした)、打楽器科のコンサートを見に行ったのですが、当時4年生の方のすごく華のある演奏に衝撃を受けたんです。

その楽曲はカタジーナ・ミツカというマリンバ奏者の「オーロラの彼方に」というマリンバとしてはかなりの難曲だったのですが、音源を姉貴のCD棚から探し出し、譜面を親に内緒で、当時のJPCに1人で探しに行って買って帰ってきたほどの行動派だったんです。そしてそれを中学の吹奏楽部のマリンバでひたすら練習しまくって顧問に怒られるという(笑)。

マリンバに情熱を燃やしていた僕ですが、姉貴も打楽器奏者を目指して、音大まで行っているということで、このままだと一生姉貴の影に隠れてしまうなと薄々思い始めまして。で、“僕はドラムにしよう”と。時系列的にいつそれを志したかはちょっと覚えてないですが、ドラマーを目指すなら神保 彰さんみたいになりたいと、明確にイメージがありました。

●同じインタビューで「父親がカシオペアのCDを2枚ほど持っていた」と話していましたが、どのアルバムでしょうか。

今井 『ザ・サウンドグラフィー』と『HALLE』ですね。特に『ザ・サウンドグラフィー』はものすごく聴き倒しました。後に知ったのですがベスト盤だったのですね。すべての曲、メロディもコード感もドラム・フレーズも歌えるほど聴きました。

当時は演奏技術がなく全然叩けませんでしたが、断片を拾って何となく真似することで、フレーズの発想や必要なテクニックを手探りで覚えていきました。

●そのあとに聴いた曲も含めて、カシオペアの中で特にハマった曲、ドラムを研究した曲があれば、教えてください。

今井 「ASAYAKE」はもちろん、「FIGHTMAN」、「Gipsy Wind」、「Sunny Side Feelin’」、「Mid Manhattan」 、「Looking Up」、「FABBYDABBY」、「Black Joke」、「Make Up City」、「太陽風」、「Super Sonic Movement」、「Freak Jack」、「TOKIMEKI」、「Galactic Funk」……叩いてみようとしただけでもざっとこれだけありますね。高校の頃バンドでやった曲もありますし。ちなみにそのときのベーシストは森田悠介。彼はプロのミュージシャンの中で一番古いつき合いです。

●ドラムを本格的に始めた頃は、神保さんのプレイをコピーすることが基礎力を磨くことに直結したようですが、今振り返ってみて、特に「ここがこう鍛えられた」と思える具体的なトピック、エピソードがあれば教えてください。

今井 まずワンマンオーケストラをテレビで見たとき、32分音符でスネアからタムに高速移動していたのが衝撃で、とにかくシングル・ストロークでの高速タム移動を思い出して真似してましたね。で、中2のとき、楽器屋さんで『モダンドラマーフェスティバル2000』のビデオを手に入れまして。そのビデオで神保さんを擦り切れるまで観ました。その映像がとても僕にとって勉強になった映像で。

まず曲のリズムを叩く際にこう(譜面1)叩いているのを観てコピーしました。左手はお馴染みの2、4の間にウラで叩くこのパターン(譜面2)なのですが、それ以外の16分音符を右手で埋めることで、トリッキーかつ16分音符すべてをカヴァーできるという。吹奏楽部で習ったパラディドルの使い方がまったく謎だったのですが、少し変化させればこんな風に使えるのか!と、教えてもらった気がしましたね。

あとそのビデオで、頭上からの映像がよく映っていたのですが、上から見て驚いたのが、神保さんはドラム・ソロのとき、左手がスネアと10インチのタムしかほとんど叩いていなかったんですね。下の方のタムは右手が叩いて、パラディドル的なルーディメンツを駆使して右手がいろんなリズムを叩いていると。そんな、交互に叩くオルタネートだけがドラムではないんだなという発想も神保さんの映像から学びました。

そうこうしているうちに、神保さんの教則DVDシリーズが発売スタートしたんです。即行で買ってコピー三昧でしたね。長年知りたかった「MID MANHATTAN」のドラム・ソロでの超絶技とかもそこで謎が解けたりして。僕のルーディメンツの基礎は、実は神保さんのコピーからなんです。菅沼孝三先生には、後にきちんと理論づけてセオリーとして固めていただきました。

●そんな今井さんが、自身のルーツである神保さんの後任としてカシオペアに加わるというのは極上の経験だと思います。加入のオファーはいつ、どのような形でされたのでしょうか?

今井 去年の12月、カシオペアのマネージャーの方から「何も言わず来年の12月11日を押さえて欲しい」と僕のマネージャーに連絡がありまして。何かカシオペア企画のライヴ・イベントか、もしかしたら神保さんのトラか何かをやらせていただけるのかなと、そのときは思っていたのです。

1年も先のことだったので、頭からすっ飛んでいたんですが、1月のある水曜日、現在講師として勤務している東京音大で、上司である野呂さんが帰り際に「今井くん、ちょっと話があるんだけど、帰り少し歩きながら帰ろうか」と声をかけてきまして。

帰り道、神社の境内を歩きながら「前に依頼した12月の件、あれ、カシオペアなんだけど、今度5月に神保くんがカシオペアを卒業するんだ。今井くん、カシオペア一緒にやらない?」と言われまして。僕はカシオペアの純粋なファンであり、カシオペアから神保さんがいなくなること自体考えられなかったので、その部分の衝撃もありましたが、まさか僕に後任の依頼が来るなどまったく想像もしなかったので、文字通り飛び上がるほど驚いたし、踊るほど喜びましたね。

返事としては「僕にやらせていただけるのであれば、喜んでぜひ!!」とお答えした記憶があります。ただ、そのことは当時超スーパー・トップ・シークレットだったので、約半年、誰にも話さず秘密を守り通しました。この時間は僕の中で相当長かったです。

●加入が決まってから、神保さんと会う機会も何度かあったようですが、カシオペアへの参加についてどんな話をしましたか? 激励やアドバイスのようなものはありましたか?

今井 アドバイスなどはまったくと言っていいほどありませんでしたが、4月のAJ.FINALの東京公演の日に、ご挨拶にリハーサルへうかがった際、「あとは頼みます!」とだけ言われました(笑)。今考えると重い言葉ですよね、あの神保 彰さんに言われるとは。。。

次ページ ▶︎ アルバム『NEW TOPICS』の制作について