PLAYER
UP
Archive Comment〜ビル・ラバウンティが語るジェフ・ポーカロ〜
- Photo:Y.Yoneda/Special Thanks:Cotton Club
- Translation:Akira Sakamoto
4月1日のジェフ・ポーカロの生誕記念日に併せてスタートした、沼澤 尚が選ぶ“ジェフの名盤”100選。ここではそれに絡めて、知られざる“スタジオ”でのジェフについて迫ってみたい。語っていただくのはシンガー・ソングライターのビル・ラバウンティ。70〜80年代のAOR全盛期にジェフと共にヒット作品を作り上げたアーティストである。
ジェフは採用するテイクを決める“権力”を持っていた
●今回はジェフ・ポーカロに関する話をお聞きしたいのですが、初めてジェフと出会ったときのことは憶えています?
ビル ジェフを含めたTOTOの連中は、私がロサンゼルスに出てきた頃に出会った友達なんだ。私達はみんな、当時のスタジオ・シーンで活動していたからね。ジェフが彼の弟(スティーヴ・ポーカロ)やデイヴィッド・ハンゲイトと一緒にボズ・スキャッグスのバンドに入ったときのことも覚えている。私も自分のプロジェクトでドラマーが必要なとき、最初に声をかけるのがジェフだったからね。彼がボズのバンドに入ってからはつかまえるのが難しくなってしまったよ。
●1982年発売の『ビル・ラバウンティ』には、ジェフの他にスティーヴ・ガッドとアンディ・ニューマークも参加していますよね。
ジェフ そう、みんな偉大なドラマーだ。当時私のプロデューサーだったラス・タイトルマンは、その後ジェームス・テイラーやエリック・クラプトンらのプロデュースも手がけるようになったけれど、彼はワーナー・ブラザーズの副社長でもあったから、私がコンタクトを取れないようないろいろな人を知っていてね。それで好きなドラマーは誰かと聞かれて、よく知っていて一緒にやっていたジェフ・ポーカロが好きだと答えると、彼は「僕はスティーヴ・ガッドが好きだな。あと、アンディ・ニューマークは知ってるかい? そうだ、どうせならみんな呼んじゃえ!」と言ってくれて、ああなったんだ。
ドラマーというのは、一般の人が考える以上にスター的な存在で、主役のアーティストよりも忙しいことがある。特にジェフは稀有な才能の持ち主だったからね。ジェフとラリー・カールトンは同じ頃に知り合って、2人を自分のセッションに呼んだことがある。ジェフを紹介してくれたのはジム・ゴードンだった。ジェフはいわゆる天才肌で、最高のテイクが録れたと感じたときには、スタジオの全員に目で合図するんだ。まだ若かった私はドラムに対してシビアで、ハイハットをちょっとミスしたりすると「おっと、やり直しだ」なんてやっていた。でも、そのときにはラリーが僕のところへ来て、「なぁビル、ジェフが気に入ったら、トラックをキープしておいた方がいい」と言う。「でも、ハイハットをミスってるから……」と言うと、ラリーは「気にするな、そんなのは直せばいい。ジェフが今の演奏を気に入っているんだから」って。ジェフはどんなプロデューサーと仕事をしていても、採用するテイクを決める“権力”を持っていた。つまりみんな彼の判断を信頼していたんだ。
彼は私が作ったデモ・テープを聴きながら、リズムや次のセクションに移る部分の合図のフレーズなんかを指定した譜面を通して読んだあと、レコーディングに取りかかるんだけれど、いつもファースト・テイクで完璧に、私が思っていた通りのフィールで叩いてくれたね。
※本インタビューは2014年6月号に掲載したものです。
ジェフが参加したビル・ラバウンティの作品