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“打楽器のみ!”で繰り広げる、自由かつスリリングな初のソロ・ライヴ
98年に空気公団のサポートとしてプロ活動をスタートさせ、01年にSPOOZYSのメンバーとしてNYのミュージック・フェスに出演、05年より曽我部恵一BANDに参加、その後も□□□(クチロロ)、鈴木 茂、竹内アンナ、ワタナベイビーBAND SETなど、さまざまなアーティストのサポートを務め、自身がメンバーであるベーソンズ、L.E.D.、OishiiOishii、stico、ムーンライダーズ白井良明率いるfor instanceでの活動も精力的に展開してきたオータコージ。
ラーメンやカレーなどのグルメぶりや純喫茶巡りにジョギングや筋トレなど、一度ハマると、とことん追究していくそのストイックな姿勢は、オータの演奏やミュージシャンとしての生き様にも大きく反映されており、“集中と感情”が交錯するような推進力あるビートで、繊細〜爆音、歌モノ、インスト、インプロなど、ジャンル問わず活躍の場を広げてきた。
そんなオータが、去る11月19日に自身のキャリア初となる完全独演会“「巌窟王」〜オータコージ独り叩き会〜”を、東京は秋葉原CLUB GOODMANにて開催。白熱のパフォーマンスでオーディエンスを魅了してくれた。
今回、PAにオータが敬愛して止まないDub Master Xを迎え、弦楽器も鍵盤もサンプラーも歌もない“打楽器のみ”のライヴを繰り広げた。
どこをデビューとするのかは人それぞれわかりませんが、
僕としては空気公団「融」でメジャーレコーディングを経験してから20年。
今年が節目です。
自分の音楽人生を振り返ってと書くと大袈裟ですが。
お客さん0人でも演らせて頂きます。
自分が死んだ時に何か”生きていた証”みたいなものが残せていたらなぁ、という漠然とした思いでおります。
(オータコージのTwitterより一部抜粋)
今回のライヴにあたって、自身のSNSで語っているようにキャリアの節目はもちろんだが、コロナ禍における音楽業界の劇的な変化など、開催に至るまでさまざまな葛藤があったのではないかと推察される。1人のドラマーが打楽器のみで、それもコロナ禍でソロ・ライヴを開催するという心意気、そして、この時世ながらも有観客で無配信というのもオータらしい。
……と、前置きが長くなってしまったので、そろそろライヴ本番の話を。当日は“集客は厳しい”と思われていた状況を完全に覆す形となり、予約をストップさせるほどの集まり。びっしり埋まったオーディエンスから“オータなら何かすごいことをやってくれるんじゃないか……!”という期待と熱がひしひしと感じられるし、物販のスタッフも来場者1人1人に声をかけて(余ったという)サイン入り/なしの告知フライヤーを手渡すなど、会場にいる全員がオータを後押しする、そんな光景がすでにアツい。
定刻を少し過ぎたところで、上下adidasのジャージを着たオータとDub Master Xがステージに登場。笑顔ながらも少し緊張した面持ちで、ステージ正面から見て真横にセットされたドラム・セットに座り、真正面に“対峙する形”でDub Master Xと向き合う。
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ドラム・セットはオータが長年愛用している60年代のグレッチ(タムなしセッティング)にShirai Keetのスネア・ドラムという組み合わせなのだが、驚くのはセット後ろに広がる廃材の数々。一斗缶や釘の刺さった角材、細い竹棒に火かき棒みたいなものや中華鍋(スネア・スタンドで固定)などが配置されており、これらを使って、かなり実験的にライヴを繰り広げていくことが予想される。
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まずは挨拶代わりにドラムを叩き、ビートやソロ・フレーズを決めていくのだが、よく見ると、奏者右手側のチャイナと16″ハイハット(クラッシュを使用)はがっつりと割れており、かなりトラッシーかつジャンクなサウンドになっているのだが、これが何とも良い味を出しており、リアルタイムで施されていくDub MIXと相まって実にオータらしい世界観を構築していく。気になるセット後方の廃材たちは、パーカッション的なアプローチで音を出していくのだが、一斗缶にはサビた釘や石炭灰が入っており、手で隣りの一斗缶に移し替えたり石炭灰を火かき棒でかき混ぜるなどの環境音にディレイやリバーブなどをかけたり、石炭灰をシンバルに振りかけて微細な音を出したり、細い竹棒で角材を叩いて音程を出したりと自由なアプローチで、その場限りの音楽を展開。極めつけはスネア・スタンドに固定された中華鍋に水が入っており、そこに手を突っ込んで“チャポチャポ”の環境音にやはりDub MIXが施されるのだが、オータはステージ・ドリンクとしてスタンバイされていた(宝焼酎の)お茶割りを自ら飲みつつも鍋に入れて楽しんでいたのが印象的だった。
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おそらく、というか間違いなく決め事や事前に用意してきたものは(ほぼ)なく、完全なるインプロヴィゼーション。その場その場の瞬間的な閃きで音を出していることもあり、指でタイコを叩いたり、脱いだジャージをクラッシュの上に置いて叩いたり、奏者左手に置かれたジャンベをスティックでぶっ叩いたり、そのスティックを落としてもサイド・スネアにセットされていたプリペアド・シンバルを落としても演奏は当然止まることなく、オータらしい熱量とすさまじい集中力でさまざまな“打撃音”で、音楽を作っていく。本編ラストはドラム・セットを叩きまくってステージから飛び降り、フロア横に置かれていたオータのもう1つの愛器=パールのZをさらにぶっ叩いて終了。オーディエンスの大アンコールによって再び登場したオータは、廃材を使った“チル”なアプローチで再び音楽を即興で創り上げ、最後は木彫りの熊(の顔)を一斗缶に投げ入れた際に起きる環境音で締め。大きな笑いに包まれながら約90分の演奏は幕を閉じた。
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ドラムにしても廃材を使ったアプローチにしても、“人柄そのまま”とも言える、熱く、時に狂気にも似た、心動かされるオータの演奏。それは、テクニックや使う機材の良し悪しなど理屈じゃない“何か”がそうさせているのだが、その答えを言語化するのはとても難しい。1つ言えるとすれば、とてつもなく強い意思によってオータの演奏が成り立っている、ということではないか。いずれにしても、今後もオータコージの活躍が楽しみでならない。
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