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    【R.I.P.】トップ・プロにも影響を与えたラスカルズのドラマー、ディノ・ダネリ急逝

    • Photo:Michael Ochs Archives/Getty Images

    1960年代に人気を博し、「Good Lovin’」、「Groovin’」など数々のヒット曲を発表したアメリカのバンド、ラスカルズ。そのオリジナル・ドラマーであるディノ・ダネリが去る12月15日にこの世を去った。享年78歳。

    ディノ・ダネリは1944年生まれ。ニュージャージー州のジャージーシティ出身。ビッグ・バンドを愛する母親の影響で音楽に興味を持ち、ジーン・クルーパに憧れ、ジャズ・ドラマーを志し、10代にしてプロとしてのキャリアをスタート。ニューヨークのクラブなどで活動していたそうで、ジーンはもちろん、バディ・リッチやソニー・ペイン、コージー・コールらの演奏を見てテクニックを磨いたという。

    その後、16歳でニューオーリンズへ渡り、そこで出会ったR&Bの音楽に衝撃を受けて、プレイ・スタイルを変更。sugar boy and his cane cuttersのドラマーであった、ユージーン・ジョーンズには特に影響を受けたそうで、2013年のモダン・ドラマーのインタビューでは“シャッフルやバス・ドラムの演奏方法を彼から学んだ”と回想している。

    そして1964年、フェリックス・キャヴァリエ、エディ・ブリガッティ、ジーン・コーニッシュの4人でヤング・ラスカルズを結成。翌年にアトランティック・レーベルと契約し、「I Ain’t Gonna Eat Out My Heart Anymore」でデビュー。翌年リリースした「Good Lovin’」が全米1位を獲得。67年発表の「Groovin’」は全米1位、全英8位を記録するなど、時代を象徴するバンドへと駆け上がった。

    1968年にバンド名をラスカルズに改名し、「A Beautiful Morning」や「People Go to Be Free」などのヒットを飛ばすも、1970年にエディが、71年にコーニッシュがそれぞれバンドを脱退。レーベルを離れ、フェリックスとディノのユニットを軸に活動を続けるも、72年にバンドは解散することとなった。

    解散後はコーニッシュと共に“ブルドッグ”を結成し、2枚のアルバムを発表。バンドは新たなメンバーを加えて“フォト・メーカー”へと発展するも、ヒットに恵まれず解散。

    その後、ディノはE・ストリート・バンドのギタリスト、リトル・スティーヴンが結成したザ・ディサイプルズ・オブ・ソウルへ参加し、ライヴ/レコーディングで活躍。家族の病気のためにバンドを離れることになった後も、アート・ディレクターとして活動に携わっていたという。

    1997年にバンドがロックンロールの殿堂入りを果たし、そのレセプションにて久しぶりにオリジナル・メンバーが集結。それをきっかけにコンサートも行われるも活動は一時的で、2012年〜2013年に行われたツアーがラスカルズとしての最後の活動に。そして2022年12月15日、本人のFacebookにスポークスマンによってこの世を去ったことがアナウンスされた。

    そのショウマンシップ溢れるスタイルで、世界にその名を轟かせ、特にアメリカではドラム・ヒーローとして、ピーター・クリス[KISS]やダニー・セラフィン[シカゴ]、リック・マロッタ、アンディ・ニューマークなど、トップ・プロからも尊敬を集めているディノ。機材面でもロック系ドラマーとしていち早く大口径のバス・ドラムを導入し、さらにスネア・スタンドでタムをマウントする方法を普及させるなど、現代のドラマーにも間接的に影響を与えた功労者の1人であったと言えるだろう。

    心よりご冥福をお祈りいたします。