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【R.I.P.】歌心溢れるプレイで安全地帯を支えたドラマー、田中裕二急逝

  • Text:Shinichi Takeuchi

安全地帯のドラマー、田中裕二氏が12月17日に死去していたことが安全地帯のオフィシャル・サイトにて発表された。享年65歳。

田中氏は1957年生まれ。ドラムを始めたのは中学生の頃で、旭川で見たアマチュア・コンサートがきっかけだったという。そして高校時代に、矢萩 渉、六土開正と共に”六土開正バンド”を結成し、音楽活動に力を入れていく。しかしながら、高校1年のときには交通事故に遭い、右足を骨折。半年入院するという大けがを負ってしまう。1987年の本誌のインタビューでは「当時の演奏はひどかった」と回顧している。

そんな苦境を乗り越え、1977年に北海道のアマチュア・シーンでは有名だった玉置浩二率いる安全地帯と合併。「マネージャーがその頃楽器店をやっていて、音楽好きのヤツらが自然に集まっていたんです。その中にコージ(玉置)もいた。彼のバンドが安全地帯で、当時からオリジナルをやっていたんです。ボクらはZZトップなどをハードにやっていたんですが、コージたちはもっとハードにやりたいと考えていたし、ボクたちはオリジナルがほしかった。それで一緒にやることにしたんです」とその経緯を語っている。

1987年冬号で行った田中氏のインタビュー

その後、家業を継ぐためにバンドを脱退。一方、安全地帯は井上陽水のバック・バンドを務めたことで注目を集め、82年にシングル「萠黄色のスナップ」メジャー・デビュー。しかし、その直後ドラマーが脱退してしまう。そこで田中氏に復帰の要請があったようだ。バンド復帰は本人も相当悩んだようで、「これでドラムをやめたら安全地帯が成功しても失敗しても、きっと後悔すると思って……。一方には、家業という安全な道があるけど、後悔したくないので、もう一度試して見たんです」と思いを打ち明けている。

82年、決意を新たに田中氏が安全地帯への復帰を果たすと、バンドは井上陽水のバックも務めながら、ライヴ/レコーディングを行い、83年発表の「ワインレッドの心」がオリコン・チャート1位を獲得。その後も「恋の予感」(84年)、「悲しみにさよなら」(85年)、井上陽水と共演した「夏の終りのハーモニー」(86年)など、ヒット曲を連発し、国民的な人気を誇るバンドへと成長した。

しかしながら、1988年に安全地帯は活動休止。田中氏は89年に元C-C-Bの渡辺英樹、丸山正剛とVoThMを結成し、新たな平地へと進むが、90年には安全地帯が復活。それに伴い、VoThMを脱退している。

93年、安全地帯は再び活動を休止。以降、2010年に完全復帰が宣言されるまで、バントとしての活動は断続的なものに。田中氏はそんなバンド活動の傍らで94年に千葉県内にカフェをオープン。以来、ドラマー兼カフェ・オーナーとしての二刀流で活躍を続けた。

当初は「収入を安定させるために始めた」というカフェだが、田中氏が提供する料理は評判を呼び、地元で愛される名店に。メディアでもたびたび取り上げられるなど、人気を博した。

2019年、田中氏は脳内出血のため入院。以後は活動を休止し、療養に専念。カフェも2020年に閉店した。

2022年、安全地帯はデビュー40周年を迎え、11月には東京で記念のコンサートを開催。療養中だった田中氏の出演は叶わなかったが、彼の映像を使った演出もなされたという。メンバー、ファンが田中氏の復帰を願う中、2022年12月17日に家族に見守られながらこの世を去ったことが発表された。

心よりご冥福をお祈りいたします。