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【R.I.P.】ジャズ・ロック・スタイルの発展にも貢献したソフト・マシーンのドラマー、ジョン・マーシャル死去
- Photo:Tetsuro Sato
1960〜70年代に黄金期を迎えたカンタベリー・ロック・シーンの中心的バンド、ソフト・マシーンのドラマーで、イギリスにおけるジャズ・ロック・スタイルのドラミング発展に貢献したと言われる名手、ジョン・マーシャルが9月16日にこの世を去った。享年82歳。
ジョン・マーシャルは1941年イギリスのアイスワース生まれ。学生時代からビッグ・バンドやスキッフルのグループでドラムをプレイし、ジーン・クルーパやバディ・リッチ、ケニー・クラークなどのジャズ・ドラマーを好んで聴いていたという。
大学進学をきっかけにドラマーとしての活動を本格化。数々のセッションに参加し、ロンドンのジャズ・シーンで、その名を轟かせるようになると、アレクシス・コーナー率いるブルース・インコーポレイテッドに加入。その後、69年にイアン・カーと共にニュークリアスの結成に加わり、3枚のアルバムに参加。この活動をきっかけに、ジャズ・ロック・ドラマーとしての名声を確立していくこととなった。
70年にマイク・ギブスのオーケストラに参加し、翌年にジャック・ブルースのバンドに加入。並行してジャズ・ロックの実験的なプロジェクトにも参加し、72年にソフト・マシーンに加入。その経緯について過去のインタビューでは「奇遇なことにジャックがバンドを辞めたいと言い出したのと同じに行ったんだ。ジャックはアメリカへ行って、レズリー・ウェストとコーキー・レイングと一緒にレコーディングをしたかったんだよ。その同じ晩に僕がロニー・スコッツへ行くと、ソフト・マシーンのマネージャーがいた。彼とは以前にも面識があったんだが、その彼にソフト・マシーンに加入しないかと誘われたんで、僕は引き受けたんだ」と語っている。ジョンは81年の活動停止までバンドの中心的な存在として活躍した。
80年代から90年代にかけてはギル・エヴァンスやジョン・サーマン・カルテット、ジョン・テイラー、ケニー・ウェラーなど、ジャズ・フィールドを中心に活動を展開。その後、2002年にアラン・ホールズワースらと共にソフト・ワークスというプロジェクトを立ち上げ、アラン脱退後はバンド名をソフト・マシーン・レガシーに変えて活動。アルバムもリリースし、2006年の来日タイミングでは対面インタビューも実現した。
2015年からソフト・マシーン名義での活動を再開し、2018年には38年ぶりとなるオリジナル・アルバム『Hidden Details』を発表。アルバムを引っさげて、同年7月には来日も果たした。この公演はジョンにとって最後の来日とアナウンスされ、“Farewell JAPAN Tour”と銘打って行われた。
その後、最新作『Other Doors』を以てバンドから引退することが発表され、レコーディングを終えた2022年7月、ロニー・スコッツで行われた最後のライヴに出演したという。彼が参加したアルバムは今年7月にリリースされ、円熟を感じさせるドラミングを繰り広げている。
心よりご冥福をお祈りいたします。
※本記事は2006年9月号掲載のバイオグラフィ記事をベースに構築した内容です