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    【R.I.P.】ブラジリアン・フュージョンを確立した重鎮、イヴァン・コンチ急逝

    • Photos courtesy of Blue Note Tokyo
    • Photo by Tsuneo Koga

    ブラジリアン・フュージョンを代表するバンド=アジムスのドラマーとして名を馳せ、90年代のレア・グルーヴ・ムーヴメントにも影響を与えた名手、イヴァン・コンチが4月17日に急逝したことがアジムスのFacebookにて発表された。享年76歳。

    イヴァン・コンチは1946年生まれ。リオ・デ・ジェネイロ出身。最初に始めた楽器はギターだったそうだが、後にドラムへと転向。その後、パーカッションを学んだとのこと。影響を受けたドラマーとしてジーン・クルーパ、バディ・リッチ、ビリー・コブハムらの名前を挙げている。

    1962年から音楽活動をスタートさせていたという彼のターニング・ポイントとなったのは、キーボーティストのホセ・ロベルト・ベルトラミと出会い。1968年にリオ・デ・ジェネイロのナイト・クラブで出会い、意気投合した2人は、ベーシストのアレックス・マレーリョスを加えたトリオで活動をスタート。マルコス・ヴァーリを筆頭に数々のアーティストの音楽制作に携わり、73年にグループ名を“アジムス”とし、75年にデビュー・アルバム『AZIMUTH』をリリース。その後、バンド名のスペルを AZYMUTHへと変更した。

    2ndアルバム『Aguia Não Come Mosca』のヒットで、ブラジル国内で人気を獲得した彼らは、活動の場を海外へと広げ、アメリカのジャズ・レーベル=マイルストーン・レコーズと契約。79年に『Light As A Feather』でワールド・デビュー。世界的なフュージョン・ブームの流れにも乗って、アルバムのオープニングを飾る「Jazz Carnival」がスマッシュ・ヒットを記録。また、「FLY OVER THE HORIZON」はNHK-FMで放送されていたラジオ番組「クロスオーバーイレブン」のオープニング曲に採用され、彼らは日本でも知られる存在となった。

    80〜83年にアジムスは全盛を迎え、その後はバンドと並行してメンバーそれぞれがソロ活動をスタート。イヴァンも84年にセルフ・プロデュースによるソロ・アルバム『The Human Factor』をリリース。90年代には『Batida Diferente』(92年)、『Pulsar』(97年)と2枚のソロ・アルバムを立て続けに発表している。

    90年代に巻き起こったレア・グルーヴ・ムーヴメントの中、再び脚光を浴びたバンドは、クラブ・シーンにも影響力を持つイギリスのファー・アウト・レーベルと契約。コンスタントにオリジナル・アルバムを発表しながら、リミックス作品も数多くリリース。2012年にホセが亡くなるも、新メンバーを加え、精力的に活動を続けてきた。

    イヴァンも2019年に久しぶりとなるソロ・アルバム『Poison Fruit』を発表。同年には盟友であるマルコス・ヴァーリと共にブルーノート東京へ来日も果たした。その際に受けたインタビュー(こちら)で、「サンバからジャズまでさまざまな音楽に関わる中で、スネアだけでも色々な表現が出来るようになったんだ。それと最初に触った楽器は実はギター。今でもドラムを演奏するときは、ギターを弾くようにハーモニーをイメージしながら叩いているんだよ」と自身のプレイ・スタイルの秘訣を語っている。

     

    コロナ禍もDJやソングライターのリクエストに応じて、自宅でレコーディング作業を行なっていたそうで、2021年にはシロサンプルスらを手がけたプロデューサーで、ナナ・ヴァスコンセロスやアート・リンゼイとの共演歴のあるGRASSMASSとタッグを組んでEP『Natural』をリリース。

     

     

    イヴァンの叩き出すナチュラルなグルーヴと、GRASSMASSが構築したモダンなトラックが絡み合う、オシャレでクールなサウンドを展開。21年12月に音楽メディア“It’s Psychedelic Baby”に掲載されたインタビュー(こちら)では、現在進行形のプロジェクトについていろいろと語っていただけに、今回の訃報は残念でならない。

    心よりご冥福をお祈りいたします。