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ニューオーリンズ・グルーヴの継承者、ファンキー・ミーターズのラッセル・バディストJr.急逝
- Photo:Tetsuro Sato
ファンキー・ミーターズやパパ・グロウ・ファンクなどで、エネルギッシュかつファンキーなドラミングを繰り広げたニューオーリンズ出身のドラマー、ラッセル・バティストJr.が去る9月30日にこの世を去った。享年57歳。弟のデーモン・バティストがSNSにて発表。心臓発作による突然死だったという。
ラッセル・バディストJr.は1965年生まれ。70年代後半から80年にかけてミーターズに在籍していた鍵盤奏者、デヴィッド・バディストを父に持ち、音楽一家に生まれ育った。2002年4月号で実現したインタビューでは、生まれ育った環境について、「ニューオーリンズ周辺、ルイジアナ州だけでもバティストっていう名前のミュージシャンがたくさんいるんだ。みんな親戚筋かどうかはわからないけれどね。僕の家族に限って言えば6人兄弟が全員があらゆる楽器を演奏するから、家族だけでも演奏していられるんだ」と語っている。
影響を受けたドラマーは、やはりミーターズのジョセフ”ジガブー”モデリステ。父親がメンバーだった当時は、自宅でミーターズのリハーサルをやることもあったそうで、間近で見たジガブーのプレイに刺激を受けたという。
小学生の頃から兄弟と共にステージに立ち、さまざまなバンドで演奏経験を重ねてきたラッセルが、念願叶って新生ミーターズ=ファンキー・ミーターズに加入することになったのは、1989年のこと。93年には来日も果たし、ニューオーリンズ・ファンクの次世代を担う存在として注目を集めた。
ジョージ・ポーターJr.率いるランニング・パードナーズのメンバーとしても活躍し、2002年に来日。その際に実現した対面インタビューでは、「ニューオーリンズで音楽をやるのに必要なのは現場にいるということだけだからね。準備も計画もいらない。魂の中に音楽がありさえすれば準備は整っていることになる」、「感じたままに演奏することが大切で、ある特定のタイムやパターンに支配されるのは良くないよ。もちろんその音楽に見合ったものじゃなきゃ具合いが悪いけれど、一度音楽に合わせることができたら、あとは自分の感覚をどんどん盛り込んでいくようにしていけば、ついにはドラマーとしてその音楽を支配することができる。何しろ音楽の心臓の役割を果たしているんだからね」など、ドラマーにとって大切な名言を数多く残してくれた。
バンドで活動する傍ら、腕利きのセッション・ドラマーとして、ハリー・コニックJr.、メイシオ・パーカー、ロビー・ロバートソンらと共演。ソロとしてもRUSSELL JR. BATISTE & THE ORKESTRA FROM DA HOOD名義でアルバムをリリース。ジョー・クラウン、ウォルター・ウルフマン・ワシントンとのトリオでもライヴ・アルバム『Live at the Maple Leat』を発表している。
近年も地元ニューオーリンズを拠点に活動を続け、ドラマーとしてはもちろん、プロデューサー、作曲家、指導者としても後進の育成に情熱を注いでいたというラッセル。10月後半に行われるフェスにも参加予定だったそうで、そのあまりにも早すぎる急逝が残念でならない。
心よりご冥福をお祈りいたします。