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    【ドラマー三嶋RACCO光博が起こすInnovation  “the RACCO WORKS”】 1st Innovation:Music×Business(後編)

    • Interview & Text:Rhythm & Drums Magazine

    1995年、ロック・バンド=シアターブルックのドラマーとしてメジャー・デビューを果たした三嶋RACCO光博。約1年ほどでバンドを脱退した彼は、ミュージシャンでありながらも持ち前のキャラクターを生かし、ビジネスマンとして、セッション・ドラマーとして、ドラム講師として、古式 三年番茶の生産者として、ソーシャル・ワーカーとして、ボーダーレスに活躍の場を広げている。そんな彼の現在をマルチな視点から紹介すべく、音楽、ドラム、三年番茶……コロナ禍以降の新時代に求められる“Innovation”をキーワードに、ドラマー三嶋RACCO光博を多角的に掘り下げていく!

    1st Innovation:Music×Business(後編)

    打楽器アンサンブルによる
    さまざまな変化とRACCO流 “リズム療育(療法)”

    ●まずは、前回お話しされていた障害のある方への音楽支援についての続きからですね。

    RACCO はい。僕は静岡県の障害者就労支援施設で“音楽での支援”ということを頼まれたんですけど、もともと施設の理事長さんが打楽器とか出囃子とか好きだったんですよ。しかも富士山の近くにある障害のある方達で編成された和太鼓チームの理事長さんと仲が良くて、海外遠征に行くくらい活発なチームだったんです。その理事長さんと良い意味でライバル意識もあったので、こちらもその和太鼓チームみたいに活動していきたいという考えがあったみたいですね。障害者でも演奏しやすいからとアフリカのジェンベを勧めたら「面白い楽器だな、向こうは和太鼓だからこっちはこれでいこう」と。打楽器好きの理事長だったので、練習場所の体育館にはスネア、大太鼓、小太鼓、マラカス、タンバリンとかグランド・ピアノまでとにかく楽器がいっぱいあったんですけど、誰も教える人がいなかった。ということで僕が呼ばれたんですけど、施設は在宅も入れて350人くらい障害のある方が利用していて僕が担当していたのはその内の80人くらい、その中から希望者を募ったら“やりたい!”と手を挙げた人が15名くらいいたんですよ。彼らと一緒にリズム・アンサンブルを1ヵ月半くらいで仕上げてほしいということで、みんなで集まって音を出すんですけど、いつも暴れている人や泣き叫んでいる人……本当にさまざまで1つにまとめ上げるのは本当に大変でした。まず好きな打楽器を選んでもらって(楽器に)触った瞬間、みんなが一斉に叩き始めてもうガシャガシャになってしまって(笑)。さすがに僕も“どうしよう……”って頭を抱えたんですけど、ある1人が“テン・ツク・テンテン……”ってお祭りのビートを叩き始めたんです。そうしたらみんな段々と同じビートを叩きはじめて。その“お祭りのビート”というのは、“屋台下”って呼ばれているものなんですけど、施設近くの地域でやっているお祭りのお囃子で、彼らはそれを自然と覚えていたんですよ。

    RACCO 障害を持っていると“お祭りの行事は危ないから”という理由で参加できかったけど、彼らはずっとやりたい!と思っていたんでしょうね。静岡県遠州地方に伝承しているお祭りは、神様に稲穂を見せる五穀豊穣というものなんですけど、2輪の山車(だし)の屋台に大太鼓とか笛があって、綱を引っ張りながら“や〜れ〜や〜れ〜!”とか、かけ声をかけたりして山車を引いて練り歩く。それが1つの移動式サウンド・システムになるんですけど、彼らは今までそれをやりたくてもできなかった。だから今、打楽器を夢中になって叩いているんだ……と思って、“よし、これならできるぞ!”って確信したんですけど、叩き始めてから30分以上、演奏が止まらないんですよ(苦笑)。音はまとまってきたものの今度は演奏が止まらない……どうしよう、このまま終わらなかったら……なんて困っていたら、ある女の子が一際大きな声で「よ〜〜!」と言ったら、みんながバン!ってキメて音が止まったんですよ。それはもうすごかったです。みんなよく聴いているんだなぁってあらためて思いました。

    RACCO (演奏が)始まれて止まれたから“これで組曲が作れる!”なんて思って、期日に向けて週2回一所懸命練習して、ゲネプロまでやってリズム組曲の編集をしたりするんですけど、練習中は普段暴れている人達も「し〜」とか言って緊張感を持ってしっかりやるんですよ。彼らは普段、作業員として簡単な仕事をしているんですけど、暴れたり隣りの人の髪の毛を引っ張って泣かせたりとか大変なんですけど、その打楽器アンサンブルの効果もあってか、本番への緊張感からか、普段の作業中も暴れる人が少なくなってきて全体の雰囲気も変わってきて。作業量も売上も数倍になって理事長も親御さん達もそれはそれは驚いたという。いつの頃か福祉関係者から、今までなかったまったく新しいまさに「リズム療育(療法)だね」って言われるようになってましたよ。遠州のお祭りのお囃子って主に“屋台下”、“ねりこみ”、“大間”の3パターンがあるんですけど、ミディアム、シャッフル、16ビートって解釈できて、僕はそれらを織り交ぜた3通りのリズム組曲を作りました。僕と盲目の人とのツイン・ドラムにジェンベやスネアなどの打楽器隊、さらに施設の職員にベースが弾ける人がいたのでやってもらったりして。本番はうまくいきましたし、その後も彼らは腕を上げて、地域のお祭りに出演するようになり、やがて出演依頼が来るようになったんです。中でも本当に思い出深かったのは、静岡県牧之原市で行われる「WIND BLOW」という野外フェスのオープニング・アクトで、主催者の方がとても感動して「今回が一番盛り上がったと思う」と言ってもらえました。

    「WIND BLOW 2013」のライヴ映像。ラティール・シーもゲスト参加。

    彼らの演奏はペース配分とかコントロールしようとかいっさいなくて、常に120%のフルパワーでやるんですよ。その姿がオーディエンスの心を動かしたんだと思います。ましてや障害者のニーズを捉えて支援するのが仕事ですから「〇〇さんはどうしたいの?」って聞くと「このバンドで紅白に出たい!」って言って、「え!?紅白! どうして紅白に出たいの?」って聞いたら「紅白に出てお母さんに産んでくれてありがとう!って言いたいの」って。思わずその言葉聞いて涙ぐんだ僕も120%のフルパワーになりましたからね。

    ●しかも、結果的に普段行っている仕事の作業効率も上がったというのもすごいですね。

    RACCO そうなんです。彼らは一旦集中すると本当にすごい。健常者よりも結果を出す人もいますからね。障害者に対する意識って昔と比べてだいぶ変わったと思いますよ。東京2020パラリンピックもありましたしね。音楽支援をするようになってからいろいろ良い変化が生まれて、それには施設側も本当に驚いていて「音楽支援専門の障害者施設を作ってほしい」と言われたんですよね。それからすべてプロ仕様で新たにジェンベ他アフリカン楽器30台以上、ドラム・セット5〜6台購入しました。彼らには良い音を体感してほしかったんですよ。食事もオーガニックなものを食べてほしくてそういうところにも力を入れたし、安かろう悪かろうみたいなところはなるべく変えていきました。

    バンド活動から生まれた楽器作り。