PLAYER

UP
ダフニス・プリエトが語る超絶技巧のルーツと楽曲制作【Archive Interview】
- Interview & Text:Rhythm & Drums Magazine Photo:Takashi Hoshino Interepretation & Translation:Yuko Yamaoka
バックグランドで単にバック・ビートをプレイする
そのことに強い共感を得ることはできなかった
「ドラマーズ・パラダイス2025 in 大阪」への出演(5月25日)が決定したキューバ出身の才人、ダフニス・プリエト。99年より活動の場をニューヨークへと移し、卓越したテクニックと豊富なアイディアで注目を集め、重鎮ピアニスト=ミシェル・カミロも絶大な信頼を寄せている。アフロ・キューバン・ドラミングの最先端を走るダフニスをより詳しく知るべく、ここではドラム・マガジン初登場となった2006年9月号のインタビューの一部を抜粋して掲載!
●ドラムを始められたのはいつ頃ですか?
ダフニス 最初にドラムをやってみたのは10歳のときだった。だけどそれ以前からボンゴのようなハンド・ドラムをやっていたよ。それは7~8歳の頃だったね。キューバのミュージック・ソーシャル・ハウスっていうところに通って最初はギターをやったりしていたんだけど、途中から習う楽器をボンゴに切り替えたんだよ。そこではキューバの伝統音楽を学んでいたんだ。近所でも音楽を愛好している人が多かったので、まわりがそういう環境だったんだと思う。でも家族の中にミュージシャンはいなかったよ。その後10歳になってから音楽学校に通い、クラシック・パーカッションを勉強するようになったんだ。
●ギターを習った後に打楽器にチェンジされたのですね?
ダフニス 当時7~8人のキッズがミュージック・ソーシャル・ハウスに通っていてバンドをやることになったんだけど、誰もがギターを弾きたがっていた。だから僕はバンドの中でボンゴをやることにしたんだ。その学校でビアノの勉強もしたんだけど、打楽器が自分の楽器だと思ったね。
●ボンゴなどのパーカッションからドラム・セットヘはどのように移っていったのですか?
ダフニス キューバで古典的音楽を学ぶとき、一番最初に学習するのはスネア・ドラムなんだ。僕はハンド・パーカッションが好きだったけれど、ティンパニ、木琴、マリンバ、ヴィブラフォン、スネアなどを学ばなければならなかったんだ。そういうクラシックで使うシンフォニックな楽器をね。そのときに自分でパーカッション・セットやドラム・セットをいろいろセッティングを変えてプレイしてみたりしてたんだ。だからドラム・セットをプレイすることに関しては独学だったよ。
●その頃はどんな音楽を聴いていたのですか?
ダフニス まずはキューバ音楽をいろいろ聴いていたね。それからもっとジャズをベースにした音楽を聴くようになった。故郷のサンタ・クララで4年間勉強してから、それから4年間はハバナで過ごした。そこでさらにクラシックの勉強をしたし、いろいろな音楽を聴くようになった。南インド音楽のリズムやアフリカのリズムに接したりしたね。ルンバとかバタを使ったアフロ/キューバ音楽を聴き、いろんなタイプのパーカッションを聴いたよ。
●若い頃はロックだったりポップスを聴く人が多いと思うのですが、あなたの場合は幼い頃からジャズやワールド・ミュージック的なものを聴いていたのですね。
ダフニス そうだね。僕はエルヴィン・ジョーンズ、 トニー・ウィリアムス、ジャック・ディジョネットなどのドラム・アプローチを聴いたとき、すごく感銘を受けたし、自分に近いと感じたんだ。彼らが僕と同じような音楽をやっていたという意味ではないんだけど。バックグランドで単にバック・ビートをプレイするってことに強い共感を得ることはできなかったようだ。
●最初はどのような活動をしていたのですか?
ダフニス 10歳頃、学校で勉強していたときには友人達とプレイしていたけど、学校が主催していたバンドの一員として活動もしていたよ。そのバンドは教授や生徒によって構成されていて、そこでドラムをプレイしていた。それはいろいろ勉強になったし、このバンドでプレイする機会も多かったね。パーティやイベントなどでも演奏していたから。
その後、16~17歳の頃にピアノ・プレイヤーのラモン・バイエの作品に参加したのが僕にとっての最初のレコーディングだ。彼はキューバではよく知られたビアノ・プレイヤーで、僕は若かったけど参加することになり、レコーディングしたんだよ。ハバナで活動しているとミュージシャン同士が知り合ったりするんだ。僕がプロとして活動した初期の仕事の1つにジャズ・フェスティバルヘの参加もあったな。これはキューバの外で開催されたものだったけどね。カルロス・マザというピアノ・プレイヤーと一緒にプレイしたんだよ。

●その後いろいろな活動をされた後、ソロ・アルバム『About the Monks」 を発表されましたが、ソロ・アルバムを作ることになったきっかけは?
ダフニス ニューヨークに移ったことが大きいね。ニューヨークに引っ越したとき、数多くのバンド・リーダー達と出会うことができたんだ。そしてドラムをプレイするだけでなく、作曲をすることにより、ミュージシャンとして僕自身のボキャブラリーが豊かになったと感じたよ。自分の“声“で音楽をやるようにもなった。作曲作業そのものを純粋に楽しんで行っているうちに自然と(ソロに)発展していったんだ。
●作曲をするときはドラムではなく、他の楽器でスタートするのですか?
ダフニス ピアノだね。
●どういうふうに曲を作っていくんですか? そのときドラムのことは考えているんですか?
ダフニス まったくドラムのことを考えていないこともあるね。でも場合によるよ。ドラムはアイディアが発展するにつれて考えることもあるし……。曲はべース・ラインから考えることもあればメロディから浮かんでくることもある。ハーモニーがたくさん浮かんできてそれが曲になることもあるしね。もちろんリズムから始まることもあるので、本当に作曲に関しては決まったやり方がないんだよ。いろいろ違う形で浮かんでくるので、どの曲もそれぞれが異なるサウンド・クオリティを持っているんだ。
リハーサルのときにリズムを変えてみることもあるんだ。こういうリズムにしようと頭の中で決めていても、自分のやろうとしていたことを実際リハーサルで試してみたときにうまくいかないこともある。メロディと一緒に試してみないと結構わからないものなんだ。そういう試行錯誤のすべてが作曲作業におけるプロセスなんだよ。それにドラムのことは別に心配しなくても大丈夫なのさ。僕にとってドラムが問題になって困ることってないからね。自分にとっても最も自信を持ってプレイできる楽器なので何の問題もないよ。
▼【特報】ダフニスによる日本初となるドラム・クリニックが
「ドラパラ大阪」2日目の5月25日に開催!
チケット発売中!