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    【Archive Interview】レオン“エンドゥグ”チャンスラー

    • Translation:Miki Nakayama/Interpretation:Martin Willweber

    努力も必要だけど、物事に対して
    オープンな気持ちですべてのスタイルを
    受け入れる志しを持つことが大切だ

    本日7月1日は2018年にこの世を去った偉大なるドラマー、レオン“エンドゥグ”チャンスラーの生誕記念日。歴史的な名演を残したレジェンドを語り継ぐべく、ここではYamaha主宰による合宿=“ビッグ・ドラマーズ・キャンプ”の講師として来日した、1993年に行ったインタビューを再編集して掲載。自身のキャリア、そしてドラムに対する考えをたっぷりと語っている。

    音楽は成長するものであり
    変化し続けるものなんだ

    ●今回のセミナーでは、すべてのドラマーの基本にルーディメントがあるということを再認識させられました。そしてあなたのようにジャンルを問わずに活躍する人は特にその基本がしっかりしていなければならない。
    レオン 音楽的なものに到達するために、最も便利な道具が“テクニック”なんだ。自分が表現したいことのすべてを何の苦もなく表現できるぐらいのテクニックを持っていて初めてミュージシャンとしての主張ができるんだと思う。もし自分のテクニックが音楽を表現するに十分でない場合、もっと磨きをかける必要がある。テクニックがすべてと言っているわけじゃないよ。テクニックというのは単なる道具、もしくはメカニズムにすぎないということをわかってほしい。だから僕がプレイしている最中に、自分がどのルーディメントを組み合わせようかなんて考えることはないし、自分の感じたことをただプレイしているだけだね。テクニックに関して言えることは、僕にとって自分の感じていることや耳に入ってきているすべてのものを楽にプレイさせてくれる要素ということだ。

    ●あなたは早い時期からプロとして活動していますが、テクニック的には早い時期に完成の域に達していたと思いますか?
    レオン 完成してはいなかったね。僕にとって音楽は成長するものであり、変化し続けるものなんだ。若い頃の僕のテクニックというのは、その当時に流行していたスタイルも変化していたから、それに合わせるために、さらにさまざまなテクニックやアプローチを常に吸収しなければならなかったね。僕がプレイし始めた頃にはビ・バップやストレート・アヘッドなジャズをやっていたから、99%レギュラー・グリップでプレイしていた。でも、フュージョンが出てきて大きな音量やスピードが要求されるようになり、マッチド・グリップに焦点が当たるようになってからは、自分のスタイルで両方のグリップでプレイできるように、再びテクニックを吸収して同じレベルまでもっていく必要があった。さらに大きいサイズのドラムをプレイするテクニックも。ドラムの数も増えるから、リーチも変えなくちゃいけない。そういういろいろな変化が出てくるんだ。今考えると、僕が苦しんだのはサンタナに入った時期だね。それ以前はエレクトリック・フュージョンの分野にいて、サンタナではそれ以上に速くハードにプレイしなくてはならなかったんだ。

    ●いろいろなジャンルの音楽をプレイできるようになるためにはかなりの努力が必要だと思うのですが。
    レオン うん。努力も必要だけど、それ以前に物事に対してオープンな気持ちを持ち、すべてのスタイルを受け入れる志しを持つことが大切だ。そういう姿勢を見せてくれた偉大な人物はマイルス・デイヴィスだね。彼はジミ・ヘンドリックス、スライ・ストーン、バディ・マイルスなんかを聴き続けていたんだ。当時の僕は気づいていなかったけど、彼の言葉によって僕自身、音楽の新しい流れやスタイルに対してオープンになっていた。彼の言葉なくして、後のフュージョン・ミュージックにオープンな気持ちで取り組むことはできなかっただろうと思う。

    フュージョンという言葉が認知されてからは、すべての音楽を聴くことがとても自然なことになっていったんだ。世界を旅していると、訪れた土地の人々が自分の与えた何かに喜びの反応を示してくれるのを見て感動し、そのあとで彼らが与えてくれる何かを自分の中に取り込むことができる。それがワールド・ミュージックという形になってくるんだ。それに気づいたのはもう20年も前のことなんだけどね。初めて日本に来て、太鼓の音を聴いたことは今でも覚えている。インドのドラムも聴いたし、ブラジルでも。僕はどんな文化にもドラムが存在するということに気づき始めたんだ。どの文化にもリズミックなベースがあるということに。それに気づいたら、そのあとに起こることは2つだ。自分のプレイ・スタイルにさまざまなリズミックな基盤を導入しようとすることが1つ。そしてそれを導入することで、どんな場所でも楽に観客に近づけるということが1つだ。さらに僕の場合、音楽を収集した。アフリカの音楽から日本、ブラジルの民族音楽から民謡まで。そして音楽のすべてのスタイルへの認識を深めていったんだ。クリエイティヴなミュージシャンというのは、自分の見聞したもの、吸収したものが自分の一部になるんだ。僕もさまざまな音楽を収集することで音楽的な視野が広くなった。

    正直な話、フュージョンが流行した時期にフュージョンが始まったわけではないんだ。実際にはビ・バップの時代にすでにフュージョンは始まっていた。ラテンと典型的なスウィングのリズムの融合が最初のフュージョンなんだ。そもそも、アメリカの音楽というのは異文化が融合したものだ。アメリカ大陸で生まれた白人なんて1人もいなかったわけだろう? 彼らはイギリスやアイルランド、フランスから移住してきたわけだし、その他世界中の国々からアメリカ大陸に人々が移ってきた。その時点ですでに融合は始まっていたんだ。そんな土地に住んでいる者なら、融合に気づくのは必然的なことだし、気づかなくてはならない。そこで僕は音楽にオープンな態度で接するようにしたんだ。今までずっと楽しんで音楽をプレイしてきているけど、最近はあまりにも多くの地域で同じようなことが起きているから、面白みが欠けてきているね。

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