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山下達郎を巡るドラマーたち〜『SOFTLY』発売記念! サウンドを彩った名手に迫る!!〜
- Text:Yusuke Nagano
山下達郎11年ぶりとなるオリジナル・アルバム『SOFTLY』が6月22日にリリース。オリコンのアルバム・ウィークリー・チャート1位を記録するなど、話題を集めている。さて、山下達郎と言えば、こだわりの強い音作りと音楽制作に対する真摯な姿勢でも知られているが、サウンドの核となるリズム・セクション……中でもドラムに関しては、自身が10代の頃にドラムを叩いていたこともあって造詣が深く、ジャッジも厳しい。したがって山下達郎に起用されるドラマーは、いつの時代も業界では一目置かれる存在である。ここでは“山下達郎を巡るドラマーたち”と題して、歴代の作品に関わってきたドラマーに焦点を当ててみたい。
1st『CIRCUS TOWN』− 4th『MOONGLOW』
〜70年代の作品を彩ったドラマーたち
山下達郎のソロ活動は、伝説のバンド=シュガー・ベイブの解散後の、76年にリリースされた1stソロ・アルバム『CIRCUS TOWN』から始まる。この作品は本人たっての希望でアメリカ・レコーディングを敢行。ウィル・リー(b)やジョン・トロペイ(g)といった超一流プレイヤーが顔を揃えたニューヨーク・セッションは、本人がイメージした通りのサウンドが収録され、アラン・シュワルツバーグ(d)がプレイする「WINDY LADY」の重厚感のあるハネた16ビートは、今でも名演として名高い。
その後、第2作目の『SPACY』(77年)から3作目の『GO AHEAD!』(78年)、4作目の『MOONGLOW』(79年)までは、楽曲ごとのイメージに添って、日本が誇る名うてのスタジオ・ミュージシャンを起用。ドラマーは村上“ポンタ”秀一と上原“ユカリ”裕の2名が中心であったが、高橋幸宏なども参加。村上“ポンタ”秀一は、当時の最先端をいくハイセンスな16ビートと、芸術的なまでの多彩な表現力で楽曲をドラマチックに導く。また、山下達郎はこの頃レコーディング・メンバーを最初に想定して、そのイメージに添った曲を後づけで書くということも多かったそうで、例えば『SPACY』に収録された「LOVE SPACE」のイントロの鮮やかなタム回しは、村上“ポンタ”秀一が叩くことをイメージして譜面を書いたという。
一方、シュガー・ベイブの時代からの朋友である上原“ユカリ”裕は、「PAPER DOLL」、「LET’S DANCE BABY」といったこの時代の代表曲の多く担当し、エッジの効いた音色を駆使した力強いグルーヴで楽曲を牽引。特に『GO AHEAD!』に収録された「BOMBER」は大阪のディスコで大ヒットし、それまでヒットに恵まれなかった山下達郎の運命が変わり始めた曲としても知られている。それには上原“ユカリ”裕のファンキーでステディなビートや、マシンガンのようなスネア連打フィルのインパクトが多大に貢献していることは間違いない。
78年には、六本木ピットインでのライヴを収録した2枚組アルバム『IT’S A POPPIN’ TIME』がリリースされるが、こちらは歌モノにおける村上“ポンタ”秀一を語るには欠かすことのできない、まさに伝説的な名演が収められている。この頃のライヴにおけるメンバーは、岡沢 章(b)、松木恒秀(g)、坂本龍一(key)など、そうそうたる顔ぶれであったが、この超一流達とのライヴ活動によって、自らのリズム感が鍛えられたと山下達郎は語っている。
『RIDE ON TIME』から始まる青山 純の時代
80年には5作目のオリジナル・アルバム『RIDE ON TIME』を発表。CMに採用されたタイトル曲が、初のシングル・ヒットとなり、山下達郎の名前は一般に広く認知されることになる。そしてこの作品から青山 純と伊藤広規(b)という、後に日本を代表するリズム・セクションとなる2人を固定メンバーに据えた新時代が始まる。ちなみに『RIDE ON TIME』は、青山 純の山下達郎バンドにおける最初のレコーディングであったが、この曲のヒットが、音楽業界に“ドラマー青山 純”の名前を知らしめる契機ともなり、その後のメジャー・フィールドでの大活躍にもつながった。山下達郎の80~90年代のほとんどのレコーディングとすべてのライヴは、この2人のリズム・セクションにて行われているが、時間があれば3人でスタジオに入ってパターンの研究をしていたそうで、そのようなセッション活動によって、唯一無二の山下達郎サウンドが確立されていくこととなった。
82年にリリースされた『FOR YOU』のオープニングを飾る「SPARKLE」は、ユニゾンのアクセントが多くて難易度の高い16ビートの曲であるが、それをクリック使わずに3テイクほどで完成させたというエピソードも、彼らの卓越したテクニックと研ぎ澄まされたリズム感を物語っている。山下達郎は青山 純のどのようなリズムにも対応できるフレキシビリティを高く評価。特に82年にリリースされた「あまく危険な香り」に採用されているようなハネた16ビート(山下達郎はシカゴ・スタイルと呼ぶ)を、自身がイメージした通りに再現できるドラマーは当時の日本には見当たらず、青山 純の登場によって“ついに自分のやりたかった音楽ができる”という喜びを感じたと語っている。
そして「あまく危険な香り」のカップリング曲である「MUSIC BOOK」(『FOR YOU』収録)では、この時代における数少ない青山 純以外のドラマーとして渡嘉敷祐一が参加。岡沢 章(b)、松木恒秀(g)、佐藤 博(key)といった70年代の山下達郎を支えたリズム・セクションの面々と共に、洗練されたグルーヴを聴かせる。
10代の頃にドラマーだった山下達郎は、自身でドラムを演奏してレコーディングすることもある。83年にリリースされた『MELODIES』に収録された「悲しみのJODY」では、太い音色を駆使した存在感のある8ビートでトルク感豊かに楽曲を牽引。この演奏からは山下達郎のグルーヴ、音色、フレーズ感などの嗜好をうかがい知れることもできるが、青山 純のプレイとの共通項も多分に感じられ、互いの相性の良さも理解できる。その後、80年代中盤くらいから時代はデジタル化の波を迎え、楽曲制作にもさまざまな変化が現れる。90年代には打ち込みの使用も目立ってくるが、91年にリリースされた『ARTISAN』では、「アトムの子」、「ターナーの機関車」など、自身がこだわりをもって打ち込んだドラミングを聴くことができる。その中でも、少年が大人になる切なさを歌った珠玉のバラード「さよなら夏の日」は、ハイハット・オープンやフラム、32分音符など細部にまでこだわった歌心のあるプログラミングが素晴らしく、山下達郎のバラードにおけるドラムの理想形が伝わってくる。
ライヴ活動の再開と小笠原拓海の抜擢
2002年を最後に、しばらくライヴ活動を中断していた時期もあったが、2008年より6年ぶりにツアーを再開。レギュラー・ドラマーであった青山 純の体調不良もあり、当時24歳であった新鋭ドラマー、小笠原拓海をツアー・メンバーとして抜擢。安定感のある音色と、絶妙なタイミングに吸い込まれる鋭いバック・ビートを軸にしたフレッシュなグルーヴで、近年の山下達郎バンドの屋台骨を支える。音楽大学のジャズ科で学び、ジャズ・フィールドでの演奏経験を持つ小笠原拓海は、フレキシビリティに於いても長けており、2011年にリリースされた『Ray Of Hope』に収録された「街物語(まちものがたり)」では、シカゴ・スタイルのハネたビートをパワフルかつシャープなキレ味で披露。そして最新作『SOFTLY』収録された「ミライのテーマ」では、しなやかなで推進力のあるシャフル・ビートが曲のキャラクターを際立たせている。
また『SOFTLY』では、上原“ユカリ”裕が2曲に参加している点も、往年からのファンにはうれしいトピック。「人力飛行機」の微妙なハネ感を含む懐の深いニューオリンズ系のビートや、「OPPRESSIIN BLUES(弾圧のブルース)」の陰影に富んだ8ビートで、ベテランの存在感を再認識できる。ちなみに上原“ユカリ”裕がプレイした曲は、クリックを使わずに演奏したテイクに、あとからクリックを重ねてパーカッションなどの打ち込みを乗せているということで、その一流のタイム感にも舌を巻く。
さらに近年では70年代後半から80年代の日本のポップスが“シティ・ポップ”と呼ばれて世界から注目を集めているが、「RIDE ON TIME」や「プラスティック・ラブ」など青山 純と伊藤広規の80年代のパフォーマンスが、世代や国境を超えて人々の心を再び熱くしていることも感慨深い。
というわけで山下達郎を巡るドラマーについて、デビュー作から考察してきたが、時代の移り変わりによるサウンドの変遷はあるが、今の時代に70年代頃の作品を聴いても、本質的な魅力がまったく色褪ていないことにあらためて驚かされる。そして優れたリズム・トラックの重要性を再認識すると同時に、それは山下達郎のドラムに対する並々ならぬ愛情の賜物でもあると感じる。今年、御年69歳となる山下達郎は、アルバム発売に伴い、3年ぶりのツアーも再開(ドラムには小笠原が参加)したということで、今後も時代を超えた素晴らしいサウンドを発信し続けてくれることを心より期待したい。