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【RIP】数々の傑作を彩ったマッスル・ショールズの名手、ロジャー・ホーキンス急逝

  • Photo:House Of Fame LLC /Getty Images

音楽の聖地=マッスル・ショールズに居を構えるスタジオのハウス・ミュージシャン=マッスル・ショールズ・リズム・セクションの一員として、ウィルソン・ピケット、アレサ・フランクリン、ステイプル・シンガーズ、エタ・ジェームスなどの作品にその名を刻んだ伝説のドラマー、ロジャー・ホーキンスが5月20日にこの世を去った。享年75歳。

ロジャー・ホーキンス(Roger Hawkins)は1945年生まれ。アラバマ州のマッスル・ショールズで育ち、ドラムを始めたのは幼少の頃だそう。さまざまなレコードを聴きながら独学でドラムの腕を磨き、10代でバンド活動をスタート。15歳の頃にはカントリー・バンドの一員としてツアーも経験したという。

転機が訪れたのは18歳の頃で、マッスル・ショールズに隣接するフローレンス市で、ビリー・シェリルらと共にフェイム・スタジオを経営していたリック・ホールの下でスタジオ・ワークをスタート。その後、1960年代前半に仲間と袂を分かったリックが、マッスル・ショールズにフェイム・スタジオを新設。そのハウス・ミュージシャン=第二期マッスル・ショールズ・リズム・セクションの一員として活動するようになった。

“ザ・スワンパーズ”とも呼ばれた彼らは、66年に大ヒットを記録したパーシー・スレッジの「When a Man Loves a Woman」に起用されたことをきっかけに注目を浴び、ウィルソン・ピケットやエタ・ジェームスなど、さまざまなアーティスト達がスワンパーズが奏でるファンキーなサウンド&グルーヴを求めてマッスル・ショールズへと訪れることとなった。中でもアレサ・フランクリンの『I Never Loved a Man the Way I Love You』は全米2位を獲得。後に“クイーン・オブ・ソウル”とも称される彼女をスターへと変貌させるきっかけとなった。

69年にはフェイム・スタジオから独立し、自分達のスタジオ、マッスル・ショールズ・サウンド・スタジオを設立。ここでもステイプル・シンガーズの「I’ll Take You There」を筆頭に数々のヒット曲を生み出し、R&B系のみならずポール・サイモンやボズ・スキャッグス、ロッド・スチュワートといったアーティスト達も彼らを起用。70年代にはスタジオから飛び出し、イギリスのバンド、トラフィックのツアーにも参加。さらに数多くのスワンプ・ロック作品に携わり、その発展にも大きく貢献した。85年のスタジオ買収後もセッション・ドラマーとして活動、90年には“Alabama Music Hall of Fame”に殿堂入りを果たし、名実共にアメリカの音楽シーンにその名を刻む存在となった。

2013年にはフェイム・スタジオとマッスル・ショールズに焦点を当てたドキュメンタリー映画『Muscle Shoals』が公開。ウィルソン・ピケットやアレサ・フランクリン、さらにミック・ジャガーやグレッグ・オールマンなど、マッスル・ショールズと縁の深いビッグ・アーティスト達が出演したことでも話題を集め、2014年には日本でも上映。ロジャーも多数のメディアに登場し、再び脚光を浴びることとなった。しかし晩年は慢性的に健康問題を抱え、5月20日に75歳でこの世を去った。

ロジャー・ホーキンスおよびスワンパーズのメンバーが後進に与えた影響は大きく、日本でも70年代のティン・パン・アレーが彼らを目指していたのは有名な話。アメリカ最高峰のセッション・ドラマー、ジム・ケルトナーもロジャーに影響を受けたと言い、過去のインタビューでは「レオン・ラッセルの「Tightrope」を録音したときには、偉大なロジャー・ホーキンスが彼のロジャーズのセットを使わせてくれた。そのセットのスネアに一目惚れして、家に戻ってすぐに自分でも手に入れたのが、ロジャーズのダイナソニックだった。ヘッドもやはりロジャーが使っていたのと同じ、カーフ・スキンのものを張ったんだ」と語っている。

心よりご冥福をお祈りいたします。