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【R.I.P.】唯一無二のビートを“発明”したHi-STANDARDのドラマー、恒岡 章急逝

  • Photo:Takayuki Okada

Hi-STANDARD、summertimeのドラマーとして活躍した恒岡 章氏が2月14日に急逝。Hi-STANDARDの所属レーベルであるPIZZA OF DEATHのSNSにて発表された。享年51歳。

恒岡氏は1971年生まれ。もともとはギターを弾いていたそうだが、中学3年生のときに初めてドラムを叩き、そこから一気にハマっていったという。高校卒業後に難波章浩に誘われ、横山 健らと共にスタジオに入り、その後、Hi-STANDARDを結成。

当初は4人組だったそうだが、ヴォーカルが脱退し、現在に続くトリオ編成となった。氏が表紙を飾った2018年1月号のインタビューでは、「3人でできることは何か、3人がやりたいことは何かを考えて、どんどんシェイプ・アップされていきました」と3人になった当時について振り返っている。

1994年にファースト・ミニ・アルバム『LAST OF SUNNY DAY』をリリース。英語の歌詞にノせて疾走するパンク・サウンドで音楽シーンに衝撃を与えた。翌95年に発表されたフル・アルバム『Growing Up』でメジャー進出。海外でもリリースされ、Hi-STANDARDの名前を世界に轟かせるきっかけとなった。

バンドは徐々に知名度を高め、97年にリリースされた『ANGRY FIST』はオリコン・チャート4位を記録。同年には初となる音楽イベント、AIR JAMを主催。メロコアと呼ばれるシーンを確立し、その人気は不動のものに。

スピード感に溢れるスリリングなビートを核としたそのプレイ・スタイルは、数々のフォロワーを生み、現役のプロ・ドラマーにも彼のファンを公言するアーティストも数多い。しかし、本人は「バンドの成長に対しては素直にうれしいと思っていました。その反面“これからどうなってしまうんだろう”という不安もありました」と当時の心境を語っていた。

『MAKING THE ROAD』発表時の1999年8月号に掲載されたインタビュー

1999年に独立させた自主レーベル=PIZZA OF DEATHから『MAKING THE ROAD』を発表。インディーズ・レーベルでありながら、国内外合わせて100万枚を超えるセールスを記録し、日本の音楽シーンに金字塔を打ち立てた。翌2000年には千葉マリンスタジアムでAIR JAM 2000を開催。超満員のオーディエンスが詰めかけ、バンドは絶頂期を迎えたが、このステージを最後にHi-STANDARDは活動休止へ。

活動休止後、恒岡氏は音楽から離れようとしていたそうだが、松田“CHABE”岳二に誘われて、CUBISMO GRAFICO FIVEを結成。さらにはLOW IQ & THE BEAT BREAKERにも参加。並行してセッション・ドラマーとしての活動をスタートさせ、チャットモンチー、エルマロ、菅野よう子らのサポートとしても活躍。

2011年、東日本大震災復興支援のためHi-STANDARDの活動再開が発表。久しぶりに3人が集まって最初に合わせた曲は「STAY GOLD」だったという。9月に横浜スタジアムで11年ぶりとなるAIR JAM 2011が開催され、大トリとしてステージに復活。

2016年には16年ぶりとなるシングル「Another Starting Line」を発表。待望のアルバム・リリースが期待される中、翌17年に『The Gift』がリリース。バンドの完全復活を記念すべく、ドラム・マガジン、ベース・マガジン、ギター・マガジンで3人が表紙を飾り、3紙を並べると1枚絵になるというスペシャル企画も実施。

このときのロング・インタビューは4時間以上に渡り、あまりインタビューが得意ではないという氏が、幼少期からバンドの再始動、アルバム・レコーディング秘話に至るまでたっぷりと語り、”この先ドラマー的に目指すことは?”という質問に対して、「純粋に、無理をしないで自然な演奏……演奏だけじゃなく、多少はその時々の時間に流されながらも自然体でいたいですね」と語っていたのも印象深い。

『The Gift』リリース・タイミングで実現した3誌連動企画。恒岡氏は初めて表紙を飾った

2020年には村田シゲと共にユニット、summertimeを結成。セッション・ドラマーとしても大活躍で、猪野秀史やCurly Giraffe、橋本絵莉子、あいみょん 、YOUR SONG IS GOODらのライヴ/レコーディングに参加するなど精力的。50歳を迎えた2021年には“AKIRA 50%”と題したソロ・ライヴを開催し、縁深いミュージシャンと共に人生の節目を祝ったことも記憶に新しい。

まだまだこれからというタイミングで、しかも51歳という余りに早過ぎる訃報に、本当に残念でならない。

心よりご冥福をお祈りいたします。