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【R.I.P.】高みを目指し続けた天才ドラマー、逝く

圧倒的なテクニックと魅せるパフォーマンスで、日本はもちろん、世界にその名を轟かせた手数王=菅沼孝三氏が11月8日に急逝。享年62歳であった。

菅沼氏は1959年10月25日生まれ。大阪府出身。8歳でドラムを始め、ジャズ・ドラマーの河瀬勝彦氏に師事。早熟の天才ドラマーとして名を馳せ、15歳でプロ・デビューを果たした。

数多くの“ハコバン”を経験した後、20歳頃に白井克治&ニューソニック・ジャズオーケストラに加入。バンドの一員として森 昌子、石川さゆり、八代亜紀など数多くのアーティストのコンサート・ツアーに参加。86年に上京すると、CHAGE&ASKA、稲垣潤一のツアー・サポートに抜擢され、年間100本を超えるコンサートに参加。並行してスタジオ・ワークもスタートさせ、数々のアーティストのレコーディングでも活躍。研究熱心で、海外のトップ・ドラマーのソロやリズム・パターンをノートに書き出して分析し、ニール・ソーセンに師事し、モーラー奏法もいち早く導入。近年もジョージ・コリアスのセミナーを受講するなど、ドラミングの研究に余念がなかったのも印象的。

サポートの仕事で多忙を極める傍ら、デッド・チャップリン、W.I.N.S、フラジャイルなどバンド活動も精力的に展開。これについて過去のインタビューでは、「ツアーの合間にジャズのセッションで叩いたりすると、ギターやピアノのアドリブに対して反応できない身体になってて。これはイカンと思って、僕も相手を知らないし、相手も僕を知らないような場所でジャズをやらせてもらってたんです。(中略)向こうの人はどこに出しても何でも叩ける。それで僕もそうならなきゃいけないと思ったんで、ツアーの合間に自分のライヴもやるようにしてきたんですよ」と語っている。2000年以降は自身の活動により注力するようになり、2001年には初のリーダー・アルバム『KOZO』を発表。これまでに6枚のオリジナル・アルバムをリリースしている。

演奏活動と両立して、20代の頃から後進の育成にも尽力。菅沼孝三ドラム道場を主宰し、娘であるSATOKOを筆頭に、坂東 慧、平 陸、川口千里、影丸など現在の音楽シーンを牽引するトップ・ドラマー達を育て上げた。これは氏が成し遂げたまさに偉業と言えるだろう。ドラム道場と並行して教則ビデオも数多く発表し、自身の代名詞となる“手数王シリーズ”はスマッシュ・ヒットを記録。また、90年代から海外進出を果たし、アジア各地でクリニックを開催。“手数王”の名前は広く認知され、音楽雑誌の表紙を飾るまでとなった。

近年も全国各地のミュージシャンと交流を深めながら、新しいことにチャレンジし、自身のドラム道を追求。ドラマー生活50周年を迎えた2018年には、弟子達と共演も果たしたソロ・アルバム『DRUM PARADISE』をリリース。盟友であるASKAのツアーにも久しぶりに参加し、60歳を迎え、さらなる活躍が期待される中、昨年6月に内臓疾患のために手術を受けたことを公表。今回の訃報にあたってSATOKO氏が発表した声明によれば、このときすでに大腸がんのステージ4で、余命を宣告されていたという。それでも9月末に演奏活動の休止を発表するまで、ライヴ活動、そして後進の指導を続けた。自身のYouTubeチャンネルにもたくさんの動画を投稿している。

還暦を記念して2019年に行ったインタビューでは、「まだまだうまくなりたいとひたすら思ってて、年齢と共に体力が落ちてくるところもあるけど、それを感じさせないくらい頑張りたい」と語り、キャリアを重ねてなお、常に高みを目指し続けてきた孝三氏。

心よりご冥福をお祈りいたします。