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    Archive Interview −カーマイン・アピス−

    • Interview & Text:Rhythm & Drums Magazine
    • Interpretation & Translation:Akira Sakamoto

    ヴァニラ・ファッジ、カクタス、ベック・ボガート&アピスらのボトムを支えた名ベーシスト、ティム・ボガートが1月13日にこの世を去った。享年76歳。カーマイン・アピスとのコンビでハード・ロック・サウンドの礎を築いたティムは、ドラマーにとっても大きな影響を与えた1人と言える。ここではその追悼として、カーマインがティムとの思い出などを語ったデビュー50周年記念のアニバーサリー・インタビューの一部を公開。心よりご冥福をお祈りいたします。

    ティムはとんでもなく素晴らしいプレイヤーで
    僕と同じような影響を受けていたから
    ごく自然に呼吸もグルーヴもぴったり合ったんだ

    ●2017年はあなたがヴァニラ・ファッジでデビューしてから50年の節目にあたる年でした。今回のインタビューではそれを記念して、あなたのキャリアを振り返っていきたいと思います。まずあらためてドラムを始めたきっかけから教えていただけますか?

    カーマイン OK! そもそも僕のいとこがドラムをやっていたんだ。イタリア人の家系の習慣で、休日になると親戚がみんな彼の家に集まることになっていて、彼の家に行くたびに僕は置いてあるドラムを叩きまくっていたんだ。ドラムが大好きだったからね。家に帰ってからも、多くの子供達がやるように、鍋やフライパンを叩いて遊ぶようになった。

    それをしばらくやっていたら、両親がオモチャのドラムを買ってくれたんだ。すぐに壊しちゃったけれどね(笑)。それで、確か11歳のクリスマスが近づいた頃、僕のドラム熱が冷めないと思った両親から、ドラム・セットをプレゼントしてもらったんだ。当時住んでいたブルックリンにある祖母の家の地下室で、ドラムを叩き始めたよ。とても楽しかったね。

    最初に聴いたレコードは、ジーン・クルーパとバディ・リッチの『Krupa And Rich』で、僕はまるで聖書を読むようにこのレコードを聴いて、2人のやっていることをコピーしたよ。それを6~8ヵ月くらいやった頃から、友達と一緒にライヴをやるようになったんだ。

    あるときバンド合戦みたいなライヴがあったんだけど、他のバンドのドラマーがものすごいソロをやっていてね。どうすればそんなソロが叩けるようになるのかと聞いたら、レッスンを受けたと言う。それで、その彼にドラムの先生の電話番号を教えてもらって、両親を説得したんだ。“レッスを受けに行きたい、1回たったの5ドルだから(笑)”って。その先生はブルックリンの反対側に住んでいて、僕の家からは電車とバスを乗り継いで行く必要があったんだけど、両親はレッスンに通わせてくれたんだ。そうして僕は、ディック・ベネットというドラムの先生と出会い、レッスンを3年半受けたけれど、僕は覚えるのが速くて、普通なら5年かかることを3年で習得したんだ。

    そのレッスンを受けたおかげで、僕の演奏能力は驚くほど向上して、両親はクリスマスに、別の新しいセットをプレゼントしてくれたんだ。実はそれがきっかけで、僕はグレッチと契約を結ぶことになったんだ。たまたま近所に住んでいた人がグレッチの社員で、その人が仲介してくれたおかげで、レッド・スパークルのセットを300ドルで手に入れることができたんだ。シンバルも込みでね(笑)。そのセットはヴァニラ・ファッジの「You Keep MeHanging On」でも使ったよ。

    ●あなたがドラムを始めた当時は“ロック”ドラマーはほとんどいなかったわけで、さっき名前の挙がったバディ・リッチやジーン・クルーパなどのジャズ・ドラマーに影響を受け、彼らに学んだわけですよね?

    カーマイン そうだね。当時ロック・ドラマーと呼べる存在は、サンディ・ネルソンくらいだったと思う。最初に聴いていたのは、ジーン・クルーパ、バディ・リッチで、その後からジョー・モレロやマックス・ローチも聴くようになったんだ。特にマックス・ローチには影響を受けた。僕がよくやるフィルやバス・ドラムのパターンはみんなマックス・ローチ風だよ。『Award-Winning Drummer』というアルバムを聴いて、彼みたいなドラマーになりたいと思ったんだ。

    ●ヴァニラ・ファッジの頃にはPAもまだ確立されていなかったと思いますが、大きな生音でドラムを鳴らすために、チューニングや叩き方ではどんな工夫をしていましたか?

    カーマイン 初めのうちは、スティックを逆にして叩いていたよ。80年代になってリーガル・チップやその後のヴィック・ファースのエンドーサーになってからは、反対側にもチップのあるスティックを作ってもらった。反対側をそのまま使うと手応えがあまり良くなかったから、チップがあれば反発力が得られるんじゃないかと思って試してみたらうまく行ったんだ。

    アメリカン・グリップでこのスティックを使うと、重さが加わって反発力が増すわけ。反対側で叩くことでより厚みのある大きな音が出せるけれど、それだけじゃなくて、重要な音にはリム・ショットも加えていた。フィルを叩くときなんかでも、重要な音はリム・ショットを加えて強調するんだ。あと、僕はカカトを浮かせてバス・ドラムのペダルを踏み始めた最初のドラマーの1人だと思う。足首の力だけじゃなく、全身の体重を使うためにね。でも、それは頭で考えてやってみたんじゃなく、必要に迫られてやっていたらそうなったというだけなんだ。音量を出すために身体が自然に反応したんだと思う。

    ●あなたはロックにツーバスを持ち込んだパイオニアでもありますが、やはり左右それぞれで最大の音量を得るためだったんですか?

    カーマイン そういうわけでもないよ。ずっとツーバスでやりたいと思っていたからね。あと、僕はドラムを叩きながら歌っていたから、マイク用のブーム・スタンドを取りつける台としても、もう1つバス・ドラムが必要だったんだ。ラディックと契約することになって、初めてそれができるようになった。“どんなセットが欲しいのか”と言われたから、迷わずバス・ドラムを2台注文したよ(笑)。ルイ・ベルソンがツーバスを使っているのを知って、カッコいいと思っていたからね。

    僕らがデビューした同じ時期にクリームやザ・フーが出て来て、ジンジャー・ベイカーやキース・ムーンもツーバスだったけど、僕のツーバスの使い方は彼らとは違っていた。僕はもともと4分のウラをハイハットで踏むということをよくやっていて、それを2台目のバス・ドラムに置き換えたんだ。そうやってハイハットの代わりにバス・ドラムで8分を刻むと、グルーヴはより複雑に、よりヘヴィになる。今でもクリニックをやるときに、バス・ドラムを3種類の違った方法で踏んで、グルーヴの雰囲気や感覚が変化することを説明しているんだ。とにかくツーバスになってからは、それを利用したよりパワフルなフィルもやるようになった。右手・左手・右足・左足みたいなコーディネーションを盛り込んだりしてね。

    ●あなたのドラミングからはスウィングだけでなく、R&Bバンドでジェームス・ブラウンやアレサ・フランクリンなどの音楽も演奏していたというだけあって、ブラック・ミュージックの影響も感じます。そういった活動を通じて、“ポケット”を身につけたんでしょうか?

    カーマイン 僕がやっていたR&Bバンドにはホーンも入っていて、ジェームス・ブラウンからアレサ、ウィルソン・ピケット、ジョー・テックスといった、ヘヴィなR&Bの曲を演奏していた。あとはモータウンの曲なんかもね。ああいう音楽をやるには、ベーシストと一緒にグルーヴが出せるようになる必要がある。僕らの世代はドラムとベースは常に一体感を出していたんだ。今のドラムはむしろギターに寄り添っていて、そのせいでサウンドが無機質になってしまっているけれどね。

    僕が初めて共演したベーシストはティム・ボガートだった。彼はとんでもなく素晴らしいプレイヤーで、モータウンやアトランティック、スタックス、ジェームス・ブラウンといったR&Bから僕と同じような影響を受けていたから、彼とはごく自然に呼吸もグルーヴもぴったり合ったんだ。ただし、同じR&Bっぽいことでも僕らはより強く、より大きな音量でやったから、フィーリングもサウンドもまったく違うものになったけれどね(笑)。その内、ティムはファズを使い始めたりして、よりクレイジーになっていったし、僕BB&Aではスネア・ドラムの音にワウワウをかけるようになっていったんだ(笑)。

    ●あのワウワウには驚きましたね

    カーマイン あれも冗談から始まったんだよ。ライヴの前のサウンド・チェックが終わったとき、エンジニアが“何か他に注文はあるか?”と言うから、“スネア・ドラムにワウワウをかけてくれ”って、口から出まかせに答えたんだ(笑)。そしたら本番のときに、本当にワウワウが僕のスネア・ドラムにかかるようにセットアップされていて(笑)、オンにするときと、オフにするときにはエンジニアに目で合図をしてくれって言われたね。それでドラム・ソロのときにぶっつけで試してみたんだ。どんなサウンドになるのかは、実際に演奏の中で使ってみるまでわからなかったけれどね。あとは知っての通りさ。ワウワウは今でもレコーディングなんかで時々使っている。素晴らしい発明だったと思うよ。他にやっている人はいないよね。

    ●確かにそうですね。R&Bの影響との関連で言うと、BB&Aの「Superstition」で聴かれる“ダチーチー” は、バーナード・パーディの影響なんでしょうか?

    カーマイン あれはモロにバーナード・パーディだよ。確かキング・カーティスの「Memphis Soul Stew」でやっていたよね。僕はあれをBB&Aの「Lady」の終わりの部分に取り入れたんだ。いろんなネタを“盗ませてくれた”アイドル本人に会うときに、僕は正直になることにしているから、初めてバーナード・パーディに会ったときに、正直に申告したよ(笑)。彼とはそれ以来ずっと友達で、NAMMショウで掛け合いをやったりもしているんだ。

    そんなわけで、“ダチーチー”は間違いなくR&Bからの影響で、BB&Aでは君の言うように「Superstition」でもやっているし、最初のスタジオ盤でもずいぶんやっていたね。当時の僕は、あのフレーズで知られるようになったんだ。右手で8分音符以外のことをやるようになったのは、1971年にカクタスを組んだ頃のことだった。「Parchman Farm」みたいな速いシャッフルをツーバスとバック・ビートで出しておいて、右手ではベルやチャイナでメロディっぽいことをやるわけ。

    ツーバスの速いシャッフルをレコードで最初にやったのも僕みたいで、モダン・ドラマー・フェスティバルで議論になったことがあるんだ。『Spectrum』でのビリー・コブハムという意見もあったけど、「Parchman Farm」をレコーディングしたのはもっと前だからね。ただそれも考えてやったわけじゃなく、自然に浮かんできたものだったんだ。じっくりと考えてやるのは好きじゃないよ(笑)。でも、クリニックをやるようになって、たまたま思いついてやったことをあらためて分析しなきゃならなくなったんだ(笑)。特に「Lady」のグルーヴみたいに、当時としてはかなり緊張感の高いジャズ・ロックみたいなものは、根本から分析し直す必要があった。自分では何だかわからないままにやっていたからね。