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    【Archive Interview】カリーム・リギンス

    • Photo : Cherry Chill Will
    • Interview:Rhythm & Drums Magazine/Translation:Yuko Yamaoka

    ディラのトラック作りの秘密は
    レコードの聴き方
    彼は各楽器をしっかり聴く耳を
    持っていたんだ

    2006年に惜しまれつつこの世を去った天才ビート・メイカー、J・ディラ。MPCを駆使して彼が作り上げた揺らぎのビートは世界中に影響を与え、本日放送されたNHK Eテレで音楽番組「星野源のおんがくこうろん」でもフィーチャーされた。ここではディラの盟友で、共にサウンドを創造していたドラマー&プロデューサー=カリーム・リギンスのアーカイヴ・インタビューをお届けしよう。

    ●初めてのインタビューということで、ドラマーとしてのあなたの音楽的なバック・グラウンドについてお聞きしたいと思います。まずドラムを始めたのきっかけを教えていただけますか?
    カリーム まず僕の父がピアニストだったんだよ。父の名前はエマニュエル・リギンスで、グラント・グリーンと一緒にプレイしていたんだ。僕が父達の演奏を見るようになったのが3歳の頃。演奏を見るとき、僕はいつもドラマーに注目していたんだ。ドラマーを見ることが大好きだったから、自然とドラムをプレイしたいと思うようになったのさ。

    ●では、どのようにドラムを学んできたのでしょうか? 独学ですか?
    カリーム 独学だったね。レコードを聴きながらプレイしたり、あとは父が一緒にプレイするドラマーをリハーサルやステージでよく観察していたね。

    ●自分のスタイルを培っていく上で影響を受けたドラマーは誰でしょう? グレッグ・ハッチンソンからの影響が大きいようにも感じるのですが、いかがでしょうか?
    カリーム もちろんグレッグからの影響は大きいよ。デトロイト出身のジャズ・ドラマーであるローレンス・ウィリアムスのプレイはいつも見ていた。彼からは多大なインスピレーションを受けたね。ロイ・ブルックスやジョージ・ゴールドスミスとか、僕が若い頃にデトロイトで活躍していたいろんなドラマー達からたくさんの影響を受けたんだ。

    ●高校の頃にベティ・カーターのバンドに加入したことが本格的なキャリアのスタートになったそうですが、彼女のバンドに参加することになったきっかけは何だったんですか?
    カリーム グレッグが僕のことを彼女に紹介してくれたんだ。グレッグがベティ・カーターに僕の話をして、彼女に僕の連絡先を渡したんだ。そして彼女が僕に電話をかけてくれて、すべてが始まったんだ。その後は君もご存知の通りだよ。

    ●10代でデトロイトからニューヨークへと活動の場を移したそうですが、世界中から凄腕ミュージシャンが集まってくるニューヨークの音楽環境は、当時のあなたにとって刺激になったのでは?
    カリーム 本当にそうだったね。毎日必死に練習を重ね、素晴らしいプレイをしているミュージシャン達に囲まれてものすごい刺激を受けたよ。ミュージシャン達が懸命に努力している姿を日々目撃するような環境に身を置くことで、僕も自分に更なる磨きをかけて、ステップアップして頑張りたいっていう気持ちになったよ。テクニックにしても、もっと向上させたいと強く思ったし、当時のニューヨークで気を吐いていたエリック・ハーランドらの素晴らしいドラマーからもすごくインスパイアされたね。

    ●ニューヨークはミュージシャン同士の競争も激しいと思いますが、その中でトップ・ドラマーの1人へと上り詰めたあなたは、他のドラマーと何が違っていたんだと自分では思いますか?
    カリーム 練習の賜物かな……。僕が大好きで見ていたドラマー達にしても、彼らはいつも練習を忘れなかった。僕はベーシストであるレイ・ブラウンと何年も一緒にプレイしていたけど彼も毎日練習する人だった。やっぱりそこが大事なんだよね。よく聴いてよく練習することで、成長し続けることができるんだと思うね。さらに成長することによって自分が演奏する楽器に関する知識も増えて、より深く楽器を知るようになるんだ。実際、偉大なミュージシャン達が楽器の歴史に関してしっかり勉強していることを、僕は目の当たりにしているからね。楽器を深く学んで楽器をリスペクトすると、楽器が君の面倒を見てくれるようになるよ! あとはジャンルを超えてさまざまな音楽に携わっていたことも大きいかもしれないね。

    ●ジャズ・ドラマーとして第一線で活躍する一方で、ヒップホップの世界ではプロデューサーとしてコモン、エリカ・バドゥら数多くのアーティストを手がけていますが、デトロイトで生まれたあなたにとって、ジャズと同じくらいヒップホップは身近な音楽だったんでしょうか? 
    カリーム 小学生の頃から僕はヒップホップが好きだったよ。小さな頃からよくラップなんかをやっていたね。僕と同じ年代の人はみんなそうじゃなかったかな? そしてヒップホップの制作に携わるようになったのは高校に入ってからだね。MPC3000を手に入れて、レコードからリズムやビートをサンプリングして、それらを使ってビートをクリエイトしていたんだ。

    ●マシンでリズム・トラックを作るのと、生ドラムに座ってアプローチを考えるという作業は、別ものなんでしょうか?
    カリーム ある意味では似ているけど、でもやっぱりアプローチ自体は違うんだ。実際のドラムを叩くときには、インプロヴィゼーションでやったりすることが多いけど、マシンでビートを作るときは、何というかもっとビートを陰で操っているような感じなんだ。僕はその両方が好きだね。脳の違う部分を使っている感じがするよ。

    ●ヒップホップ・シーンでのキャリアはいつ頃スタートしたんでしょうか?
    カリーム 96年頃かな。最初に制作に携わったのはコモンの『One Day It’ll All Make Sense』というアルバムだった。でもこれはライヴで録った曲だったから、マシンで取り組んだ最初のアルバムはJ・ディラの『WELCOME 2 DETROIT』だ。このアルバムの中に僕がMPC3000を使って作った最初のビートが収録されているんだ。

    ●今は亡きJディラの存在は、あなたにとってものすごく大きいと思いますが、初めて彼と出会ったときのことは覚えていますか?
    カリーム コモンが『One Day It’ll All Make Sense』に取り込んでいた頃だったね。コモンはディラのビートを貰いにデトロイトに来たんだ。そのときにコモンが僕を迎えに来てくれて、彼の車に乗ってディラが作業している地下室に行ったんだ。そこで紹介してもらったのが最初の出会いだね。

    ●J・ディラの作るリズム・トラックはDJ達だけでなく、ドラマーにも大きな影響を与えたと思いますが、彼のグルーヴ・メイキングにはどんな秘密があったんでしょうか? 
    カリーム ディラのトラック作りの秘密は彼のレコードの聴き方じゃないかなぁ。彼はレコードを聴くとき、各楽器をしっかり聴く耳を持っていた。サンプルに使いたい部分だけ探して聴くのではなく、もっと作品そのものに深いリスペクトを払っていて、アルバムの上から下まで隅々まで完璧に全て聴き込んでいた。そうすることでディラはそれらのアルバムでやっていることを、マシンを使って自分で再現してしまうんだ! つまり彼はマシンを巧みに扱いバンドみたいなサウンドを出すことができたってこと。実に画期的だったね。

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