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元クレイジーケンバンド“組長” 廣石惠一氏が逝去
- Photo:Eiji Kikuchi(top)、Takashi Hoshino(2006.11)、Masafumi Sakamoto(2012.04)
杉山清貴&オメガトライブ、クレイジーケンバンドのドラマーとして活躍した廣石惠一氏が、3月16日に脳出血のため逝去していたことが、クレイジーケンバンドの公式SNSの発表で明らかになった。享年64。
廣石氏は1960年に神奈川県に生まれ、中学1年生のときに所属した軽音部でドラムを始める。高校生で本格的な演奏活動をスタートすると、“のど自慢”イベントでのバック・バンドや、ディスコを初めとするさまざまな現場での実戦を通じて、AORや演歌に至るまで幅広い音楽ジャンルを経験。現場で培われたオールマイティなドラム・プレイを武器に活躍し、20代の頃に杉山清貴&オメガトライブに参加。プロ・デビューを果たした。
同バンドの解散後、85年に横山 剣(vo)に出会い、パーカッショニストとしてライヴをサポートするようになり、1990年には横山と共にZAZOUを結成するも、解散。そこでバンド活動に懲りてしまい作曲活動のみに専念していた横山を、再びバンドの世界に導いたのが他ならぬ廣石氏だったそうで、1991年に自身の率いるバンドに横山を誘い、クレイジーケンバンドの前身となる“CK’S”を結成。
精力的な活動を経て、98年に“クレイジーケンバンド”名義での1stアルバム『パンチ!パンチ!パンチ!』をリリースし、ロックやファンク、ジャズにボサノヴァ、ヒップホップ、ムード歌謡などなど、バラエティに富んだサウンドを融合しながら、現在もあらゆる場面で流れる「あ、やるときゃやらなきゃダメなのよ」(2003年)や「タイガー&ドラゴン」(2005年)、「昼顔」(2009年)といったヒット・ナンバーを数々生み出していった。
ホーンやキーボード、パーカッション、コーラスを含め10人以上の大人数編成(時期により変動)で織りなす厚みのあるサウンドをまとめあげ、どんなジャンルを昇華した楽曲も抜群の対応力と安定感、そして歌心をもって支え続けた廣石氏。2022年に膝関節炎療養のため活動を休止し、2023年に方向性の違いでバンドを脱退するも、“組長”との愛称で親しまれていた。
持ち前の対応力と高い演奏技術で、日本の音楽シーンを彩った廣石氏。本誌にも2005年11月号を皮切りに、何度もご登場いただき、さまざまな言葉を残してくれた。

「うちの場合、レコーディング前にプリプロがほとんどないんですよ。…(中略)…初めて曲を聴いて、数時間後には間違いなくドラムは録り終わってます(笑)」(リズム&ドラム・マガジン2005年11月号)
「このバンドは、ホントだったらループでやればいいじゃん、っていうヤツを、生で全部叩いてみるっていうのが根底にある。ループだったら絶対に出来は違うんですよね。生で叩いてみることによるマジックを期待してるという部分はあります。同じことを機械でずっと叩き続けるのと、人間が叩き続けるのでは、絶対に温度差が出てくると思うし、温度差を知ってる大人なんで(笑)。(2006年11月号)

なお本誌には横山 剣にも対談(2012年4月号)でご登場いただいており、2006年の廣石氏のソロ・インタビューに寄せて「おれは廣石さんのドラムだけでなく、人間・廣石惠一の大ファン」(2006年11月号)という熱いメッセージも贈ってくれていた彼は、2012年の対談時にも「“楽曲が一番幸せな形に着地する”っていう部分は、いつも廣石さんと、言葉じゃなくて以心伝心の部分でやってます」、「野球で言ったらキャッチャーのように全体を監督している感じですよね。絶対に合図とかを見落とすことはないですし。(中略)あとは、歌心ですよね。歌詞をちゃんと把握しながらやってくれる」と語ってくれた。
廣石氏は影響を受けたドラマーについてチューリップの上田雅利やジェフ・ポーカロの名を挙げており、自身の万能なドラム・プレイについては、インタビューではたびたび”インチキ”と謙虚に語りながらも、サウンド面では楽曲ごとの理想のニュアンスを追求。電子パッドやトリガーを用いた実験的なサウンド・メイクも積極的に行い、時にはスネアやハイハットなどの機材を10台以上多数入れ替えてアルバムのレコーディングに臨むなど、バンドを支える中でさまざまな工夫を凝らしていた。まさにバンド・サウンドの根幹を担う存在だったと言える。
氏は、2019年、2023年にそれぞれ再集結した杉山清貴&オメガトライブに復帰し、同年11月の公演にも参加したが、その後は体調不良のため一時離脱していた。プロ・ミュージシャンとして40年以上に渡り活動してきた氏だが、まだまだ活躍を望まれたドラマーの1人と言えるだろう。
本誌に最後にご登場いただいたのは、2018年1月号の特集企画「”現在”を写すドラム・セット 35″NEXT”」。当時、クレイジーケンバンドのツアーで使っていた機材の取材だったが、長年愛用していたファイブスのアクリル・キットにドラム・トリガーを装備したハイブリッド・セッティングを愛用。トリガーは一般的に打面側に装着することが多いが、スネアはボトム側に装着したので、その理由を聞くと、“鳴りを妨げないために”ということで、「ドラマガで見て、試してみたんです」と笑顔で語っていた姿が今も印象に残っている。
心よりご冥福をお祈りします。