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【R.I.P.】セッション・ドラマーとしても名を馳せたデレク・アンド・ザ・ドミノスのジム・ゴードン急逝

  • Photo:Estate Of Keith Morris/Getty Images

エリック・クラプトンが率いたデレク・アンド・ザ・ドミノスのメンバーで、セッション・ドラマーとしてもビーチ・ボーイズ、ジョージ・ハリスン、ジョー・コッカー、ジョン・レノン、スティーリー・ダンなど、数多くの傑作に名を刻んだジム・ゴードンが3月13日にこの世を去った。享年77歳。

ニューヨークタイムスによる訃報ニュース

ジム・ゴードンは1945年生まれ。ロサンゼルス出身。17歳のときにエヴァリー・ブラザーズのライヴ・サポートを務め、ドラマーとしてのキャリアをスタート。その才能を当時のNo.1セッション・ドラマーであったハル・ブレインに認められ、彼が率いていた伝説の音楽集団=レッキングクルーに名を連ねるようになった。

1960年代中頃からセッション・ドラマーとしての活動を本格化させ、ビーチ・ボーイズ『Pet Sounds』、グレン・キャンベル『Gentle on My Mind』、メイソン・ウィリアムズ『Classical Gas』を筆頭に数々の作品に参加。LAのファースト・コール・ドラマーとして名を馳せるようになった。

ジム・ゴードンの名前を世界的に有名にしたのは、やはりエリック・クラプトンらと結成したデレク・アンド・ザ・ドミノスでの活動だろう。LAスワンプ・シーンの中心的存在であったデラニー&ボニーのヨーロッパ・ツアーでエリック・クラプトンと共演し、共にツアー・サポートを務めていたボビー・ウィットロック(key)、カール・レイドル(b)と結成。当初はジム・ケルトナーが参加する予定だったという。

ジョージ・ハリソンの『All Things Must Pass』のレコーディングを通して意気投合したという4人は、デイヴ・メイスン(g)も加えた編成で、同年6月にロンドンでデビュー・ライヴを開催(ライヴの後にデイヴがバンドを脱退)。イギリス・ツアーを経てレコーディングに臨み、11月に『Layla and Other Assorted Love Songs』を発表。クラプトンが現在も歌い続ける「Layla」の後半のピアノ・パートはゴードンによるもので、共同作曲者としてもクレジットされている。

デレク・アンド・ザ・ドミノスは1年と短い活動期間で解散。イギリスに滞在していたゴードンは、ブリティッシュ・ロック・バンド、トラフィックにアディショナル・ドラマーとして参加。その後、アメリカへと帰国し、セッション・ドラマーとしてますます多忙を極め、フランク・ザッパ『Apostrophe (‘)』、スティーリー・ダン『Pretzel Logic』、ホール&オーツ『Daryl Hall & John Oates』など、膨大な数の作品でプレイ。彼に影響を受けたというドラマーも多く、今は亡きジェフ・ポーカロもその1人だ。

ドラマーとしては輝かしいキャリアを誇っていたゴードンだが、私生活ではアルコールとドラッグに頼る日々が続いていたそうで、その影響によるトラブルで、仕事が激減。そして1983年、精神を病んだゴードンは母親を殺害。その後、統合失調症と診断され、懲役16年の判決を言い渡されて収監。長年に2023年3月13日に、カリフォルニアの医療施設にて急逝したことが広報担当者より発表された。

心よりご冥福をお祈りいたします。