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【R.I.P.】伝説のセッション・ドラマー、ジェームス・ギャドソン逝去 80代でも現役を貫いた“King of Groove”
- Text:Rhythm & Drums Magazine
“King of Groove”の異名を持ち、数えきれないほどのレコーディングに参加し、ジャンルを超えて音楽シーンを支えたレジェンド・ドラマー、ジェームス・ギャドソンがこの世を去った。享年 86。アメリカのドラム専門誌であるModern Drummerが追悼記事を公開。SNSでは縁深いドラマーやミュージシャンが哀悼の意を表明している。
ジェームス・ギャドソンは1939年生まれ。アメリカ・カンザスシティ出身。ドラマーだった父親の影響で、子供の頃から音楽に親しみ、打楽器にも触れてきたが、子供の頃はドラマーではなく歌手を志していたそうで、コーラス・グループの一員として、若くしてレコーディングも経験。
本格的にドラムを始めるのは、参加した兄のバンドのメンバーが去ったことがきっかけだったという。左利きにも関わらず右利き用のドラムでプレイすることになり、猛練習を重ねたエピソードもよく知られた話。このヴォーカリストとしてのキャリアで会得した歌心、そして左利きなのにプレイは右手リードというスタイルが、彼のドラミングに独自の個性をもたらした。
その後、ドラマーとしての活動を本格化させ、60年代半ばに拠点をLAへと移し、チャールズ・ライト率いるワッツ103rdストリート・リズム・バンドに加入(71年頃脱退)。名曲「LOVE LAND」ではリード・ヴォーカルも務めている。
キャリアの大きな転機となったのは、ビル・ウィザースでの活動だろう。中でも全米1位に輝いた「Lean On Me」、数々のアーティストにカヴァーされた代表曲「Use Me」などを収録した72年発表の『Still Bill』、そしてカーネギー・ホール公演を収録したライヴ・アルバム『Live At Carnegie Hall』は名盤として、現在も高く評価されている。
ビル・ウィザースについて、2009年5月号のインタビューでギャドソンはこう回顧している……「僕にとっても、ものすごく素晴らしくクリエイティヴな時代だった。創造性に富んでいて、とても楽しくやっていたよ」、「ビルのツアーに出ていたんだけど、僕らはジャムったりする際、いつも何か実験的にやってみたんだ。リハーサルのときなんかでも実験的なビートをやったりして、彼はそれを聴いて”それをもう一度やってみてくれ!”と僕に言ってきたよ」。
70年代はセッション・ドラマーとして多忙を極め、マーヴィン・ゲイ、マイケル・ジャクソン、ドナルド・フェイゲン、ハービー・ハンコックなど、幅広いアーティストのレコーディングに参加。中でもマーヴィン・ゲイの『I Want You』は傑作として名高い。また、70年代末から80年代にかけて巻き起こったディスコ・ブームにおいても重要な役割を果たし、シェリル・リンの「Got To Be Real」、グロリア・ゲイナーの「I Will Survive」といったヒット曲に極上のグルーヴを刻んだ。
90年代から2000年代にかけては、BECK、ポール・マッカートニー、ノラ・ジョーンズを筆頭にビッグ・ネーム達の作品に参加。そのグルーヴは流行り廃りとは無縁で、時代を超えて常に求められ続けた。ジェフ・ポーカロはギャドソンのプレイを「シルクのように滑らかなグルーヴ」と絶賛。ネイト・スミス、ジョーイ・ワロンカーら現代を代表するグルーヴ・メイカー達も深いリスペクトを公言するなど、まさに“King of Groove”と呼ぶに相応しい存在。

また、ギャドソンは日本との関わりも非常に深い。80年代には山岸潤史、清水 興らと共にバンド・オブ・プレジャー(Band of Pleasure)を結成し、日本に本物のファンク・スピリットをもたらした。また、バンド・オブ・プレジャーのメンバーも参加した教則映像作品『ファンク R&Bドラミング』を通じて、アメリカ各地のビート・スタイルを解説し、多くのドラマーに影響を与えた。
90年代には古内東子のアルバム・プロデュースを手がけるなど、J-POPの洗練されたグルーヴの形成にも貢献。また、2015年にリリースされた吉井和哉の『STARLIGHT』にも2曲で参加し、日本のロック・ファンにも鮮烈な印象を残している。
特筆すべきは、日本のドラム・シーンに遺した教育的、精神的な影響。愛弟子である沼澤 尚を筆頭に、玉田豊夢、ひぐちしょうこなど、現在の音楽シーンを支える多くの日本人プロ・ドラマーたちが彼を師と仰いでいる。ギャドソンも「彼らの活躍がとても誇らしいね」(2013年1月号)とうれしそうに話していたのも印象深い。

そして日本との関わりにおいて、忘れてはいけないのが、2012年10月13日、14日に開催された本誌主催のイベント=「ドラム・マガジン・フェスティバル2012」への出演だ。沼澤との師弟共演で、初日のトリを飾り、名盤に刻まれた“本物”のサウンド&グルーヴを披露し、日本のファンを魅了。この夢のコラボレーションは元住吉POWERS2、大阪BIG CATでも繰り広げられ、その模様はライヴ・アルバム『The Sure Shot Live』や、本誌2013年1月号の付録DVD『The Sure Shot』としてパッケージされ、大きな反響を呼んだ。
以降もラナ・デル・レイ、ディアンジェロ、ケリー・クラークソン、ウルフペックなど、音楽シーンの最前線を走るアーティストのレコーディングにクレジットされるなど、70代になっても第一線で活躍。また、2016年にはバンド・オブ・プレジャーのリユニオン公演、2019年にはデイヴィッド・T.ウォーカーと共に来日も果たしている。
80歳を超えてからも、ハリー・スタイルズの『Fine Line』、グラミー賞を獲得したジョン・バティスタの『We Are』などの話題作に名を連ねており、世代、ジャンルを超えた多彩なアーティスト/プロデューサー達が、レジェンドが刻む唯一無二のグルーヴを求めてレコーディングに起用。調べてみるとコロナ禍以降もライヴ/レコーディングで活躍していたようで、音楽、ドラムへの情熱は衰え知らずだったことがうかがえる。

筆者はこれまでに2回、対面でギャドソンに取材する機会に恵まれた。中でも印象に残っているのは、ドラム・マガジン・フェスティバルで来日した際、彼が見せた「片時も練習を欠かさない姿」である。楽屋はもちろん、ホテルへ移動するタクシーの車内でも、常に素手で膝を叩き、リズムを刻み続けていたギャドソン。取材時にそのことについて質問すると、彼は穏やかにこう答えてくれた「今でも毎日練習しているよ。練習が好きなんだ。歳を取るほど練習しないといけないんだ」。
世界中のアーティスト達が絶大な信頼を寄せたあのグルーヴは、地道な反復と、純粋に練習を愛する姿勢の賜物なのだとあらためて実感。また、そうした努力の積み重ねが、長年に渡りファースト・コール・ドラマーとして活躍し、晩年まで現役であり続けた“原動力”になっていたのではないだろうか。
ドラム・シーンに大きな影響を与え、数々の名演を残してくれたギャドソン。“King of Groove”の偉大な功績に敬意を表すると共に、心よりご冥福をお祈りいたします。
